第442話 愉快な階層主
「そういえば刻印階層の階層主、なんか見た目は道化師みたいだよね。タコだけど」
「あー……」
クランメンバーと一緒に朝食を食べ終えてからふとそんなことを口にした努に、コリナは嫌なことでも思い出したかのような遠い目をした後に苦笑いを浮かべた。
「ちょっと特殊な部類に入る階層主ではありますね。それもあってか迷宮マニアたちからは低めの評価を受けていますけど、実際相手にするのはかなり嫌なモンスターでした。今でも戦いたくありませんし」
「この前少し神台で見たけど、なんかふざけた感じだったよね。たまに遊んでる人もいたし」
「それもありますし、爛れ古龍の次というのも余計に弱さを際立たせているのだと思います。でもいざやってみると難しいですし、仮にも百十階層の階層主ですから油断はできない相手ですよ」
百十階層主であるスポッシャーというモンスターは、見かけでいえば巨大な茹で蛸そのものだ。鮮やかな赤色をベースに目や吸盤などの所々が化粧でもされているかのように白く、頭に被っているシルクハットを取って挨拶する様からしてまるでピエロを想起させるような見た目と挙動をしている。そんな道化師のような見た目に違わず、スポッシャーは随分と愉快でふざけたモンスターだ。
(ギミックが多めのボスって感じだけど、正攻法だと慣れるまで死んでを繰り返していく感じなんだよなー。事故って死にたくないよ)
そんなスポッシャーの正攻法は、自力でオイルまみれのアトラクションを超えて階層主の下に辿り着くことだ。オイルアトラクションの攻略タイムが早ければ早いほどスポッシャーは弱体化する仕様で、練度の高い五人が良いタイムを出せれば戦闘せずに倒すことも出来てしまうほどである。
ただ、初見でそのアトラクションを攻略するのは不可能に近い。いわばローションありのSASUKEのようなものなので、ほとんどの者は油まみれの坂を滑るまま場外にすっ飛んで蘇生待ちになったり、勢いよく壁にぶつかったり地面に叩き付けられてクリティカル判定で死ぬ。
それにアトラクション内でスキルを使おうものなら奥にいるスポッシャーがシルクハットに触腕を突っ込み、使った者の周りから空間を割くように姿を現し捕らえられてそのまま引きずり込まれて退場させられる。ただスキルの使用に関しては情状酌量の余地が認められる場合もあり、その境界線は未だにはっきりとはしていない。
そして退場させられてしまった場合は蘇生出来ない即死扱いとなり、全身油まみれのままギルドの黒門に送還されてしまうようだ。死んだ後にこうしたデメリットが処置される階層主はスポッシャーが初めてである。そして当初はこれから死にデメリットがつくことを危惧するような声は上がっていたが、それから百六十階層まではそういったことが起きずにいるため今は収まっていた。
なので基本的にはスキルを使用しても咎められない各アトラクションの入り口前でヒーラーが待機し、他の者たちが命懸けの遊戯に勤しんでコツを掴んでいく形となる。ただ最後にはヒーラーも向かわなければならないので1人では安定性に欠けるため、蘇生持ち2人のPT編成で挑むのが無難である。
「ディニエルはゴリ押しで突破したんだっけ?」
「えーっと……」
「今のところは、ディニエル君と紅魔団の一軍しか武力行使での攻略は成功していないね! それに、失敗したら半日近くかけて油汚れを落とさなければならない羽目になるからね。些かリスクが大きすぎると思うよ」
そこまで百十階層の攻略情報について詳しくはなかったコリナが言葉に詰まったところで、新聞を読んでいたゼノは顔を上げてそう忠言した。
スポッシャーのアトラクションをスルーして力づくで攻略するルートも既に開拓されているものの、その難易度は百十階層に相応しいものとなる。まず本体に近づくまでにシルクハットを経由して空間転移してくる八本の触手をかいくぐらなければならず、近づくほどその攻撃は激しくなっていく。
そんな中で一本にでも身体を掴まれて空間の裂け目に引きずり込まれてしまえば油まみれでギルド行きのため、ある程度攻撃に耐えられるタンクや蘇生持ちのヒーラーは通用しない。そのためにも進化ジョブを使う必要があるのだろうが、一撃死の攻撃を避けながら本体に辿り着くことは並大抵の者では不可能である。
その攻撃をかいくぐって近づいた後には一撃死の要因でもあるシルクハットを破壊する必要があるのだが、縦横無尽に動く八本の触手に加え本体も巨体を活かした体当たりや大量のタコ墨を吐いたりと一筋縄ではいかない。そして僅かでも隙を見せればシルクハットを用いた一撃死を繰り出してくるので、相当アタッカーが優秀でない限り武力で攻略することはできない。
そして現在百十階層をゴリ押しで突破したのは、アルドレットクロウの一軍と紅魔団の一軍しか存在しない。アルドレットクロウはディニエルが、紅魔団はヴァイスとアルマの活躍によってそれを成し得ている。
「ってことは、ディニエルも何度か油まみれでギルドに放り出されたわけ?」
「それもあってか、彼女が一番初めに攻略したね」
「へー。あのディニエルがね」
油まみれでギルドの黒門から床にダイブしてカーリングのように滑っているディニエルを想像して少し笑みを浮かべていると、リーレイアが獲物を見定める蛇のような目でじろりと見やってきた。
「貴方も百十階層に挑んだ際には油まみれで首でも折って死ぬと思いますが、ご自分の心配はなさらないで大丈夫ですか?」
「今のところはゴリ押し突破目指してるから、その心配はないよ。まぁ、油汚れに効く洗剤があるかは心配してるけど」
「……三人で、ですか。無謀としか思えませんし、クロアという人物がそこまで優秀だった覚えはありませんが」
「その分ハンナが優秀だしね。ディニエルとヴァイスに匹敵するくらいの力はありそうだし、一度試してみようかなと」
「むふー」
ソファーに寝転びながらサラマンダーに小さな火の魔石を分け与えていたハンナは、努の話を小耳に挟んで得意げな鼻息を上げている。
「確かに魔流の拳の修行を終えてから強くなったとは思いますが、以前は三本を相手取るのが限界でした。努とクロアで一本担当するとしても、三本手に余ります。ハンナが以前の倍を対処できると? ヴァイスやディニエルですら五本の対処が限界でしたが」
「ふぅん! ふん!」
抗議するような鼻息を上げているハンナを横目に、努は笑みを誤魔化すように口を一文字に結んだ。
「ハンナが五本、僕が二本、クロアが一本って計算だね」
「……今までアタッカーをしていない貴方が、二本を捌き切れると? 百四十階層まで辿り着いているクロアを抜いて? にわかには信じられません。油まみれでギルドに放り出されて恥を晒す未来しか見えませんが」
「少しは信じてくれよ」
「貴方が信じられないような行動を繰り返しているから、こうして疑っているのですが?」
「まぁ、それもそうか。なら結果が出たら少しは信じてくれよ」
「…………」
自分の、もしくはガルム辺りが期待しているようなことを何一つ言ってくれない努に、リーレイアは深く息をついた後に探索の準備をするためか二階へと上がっていった。
「ツトムさん」
「今部屋まで追いかけて僕の行動について説明したところで、聞く耳が持てるような状態でもないでしょ。百十階層を攻略したら少しは気分も落ち着くだろうし、その時に話すよ」
百十階層で死にたくないからPTに入って助けてくれ、とでも言えばリーレイアはねちねちと文句こそいうものの実際に助けてはくれるだろう。今の自分に対する周囲の評価を彼女は気に入っていないようだし、それを少しでも払拭したいという思いも強い。だからこそ努を引き上げたいのだと思っているのだろうし、今度こそ頼られたいという気持ちもあるのだろう。
だがそれで彼女自身の気持ちは満足するかもしれないが、探索者としては停滞もいいところだ。せっかく自分がいない間でも最前線の位置をキープ出来ているのに、下の手伝いでそれを下げてしまうのは勿体ない。PTメンバーが埋まらないのならまだ妥協案として採用することはあるにせよ、少なくともエイミーは帰ってくるので大きな問題ではない。
「フォローはみんなに任せるよ。悪いね」
「リーレイア君には私たちが背負わせすぎてしまった部分もあるからね。そこに関しては気にしなくていいとも。ただ、百十階層を越えてもらわないと少し困ってしまうぞ? 攻略できるビジョンは確かなのかね?」
「そこに関しては、八割がたハンナ次第だね。いけるとは思うけど」
「ふん!」
「本当に大丈夫なんですかね……」
その場のノリかなにかなのか鼻息でしか喋らなくなってしまったハンナを、コリナは心配しながらも足下をすり抜けて階段を上がっていくサラマンダーを見送った。
ふんふんふん