第448話 ほんのりゴリナ呼び

 

 百十階層を突破した翌日から無限の輪は休日だったので、クランメンバーたちは一緒に朝食を食べ終わると各々別行動を始めた。


「今度余裕がある時にでも顔を出すといい。……ロレーナも待ちかねているぞ?」
「余裕が出来たらね」
「もし肉体的な訓練が必要な時は――」
「今はその時じゃないかな」


 ガルムとリーレイアはシルバービーストの孤児たちに探索者としての指導を行ってくるようで、ダンジョンに行く時と変わらない装備を着込んでいた。その後ぶつぶつと何か言っているリーレイアと、それをしんなりとさせた犬耳で聞いているガルムを努は窓から見送った。

 ゼノは毎週の休みには家族と羽を伸ばしているようで、今日はランチにコリナの予約している店に行くためか彼女と軽く打ち合わせのような話をしていた。


「ツトム君もどうだい?」
「突然だし、今回は遠慮しとくよ。でも一度はピコさんにも挨拶したいし、コリナが目をつけてる店も気になるから……来週の休みから都合のいいところでよろしくお願いできる?」
「それなら任せてください」


 朝食を終えたばかりなのにもうランチのことで頭が一杯なのか、コリナは幸せ一杯に微笑みながら請け負った。もはや姉御と呼んでも遜色ない彼女の頼もしさに努もにっこりした。

 そしてゼノは週に何日かはクランハウスに泊まっている二歳の長女を連れて、自前の工房へと向かって行った。そんな長女はいってきますというように手を振り、ハンナとコリナは窓に張り付きながらにっこにこで、努はその隙間から片手で返した。


(子供、案外可愛いもんだな)


 今まで子供と実際に触れる機会なんてなかった努は素朴なことを思いつつ、夜なべでの刻印によって凝った身体をほぐすように首や肩を回す。するとそんな様子を見ていたハンナに凝りを取るいい方法があると言われ、クランハウスの庭へと連れ出された。


「まずは握り拳を作って、ぐーっと力を入れるっす。……はい、緩めていいっすよー。これを全身順番にやっていくっすからねー」
(いや、なんかこういうのテレビで見たことあるな。はい貴方は催眠状態に入りました! って言われて柔道みたいに引き倒されるやつ)


 オーリが欠かさず手入れしているからか感触は悪くない芝生に座りながらハンナの指示を聞いていた努は、うつらうつらとしながら途中で何度か寝落ちしていた。そのおかげか多少頭はすっきりしたが、意図したことではなかったのか彼女は不満げな顔をしていた。


「僕はこれから神台見てくるけど、ハンナも来ない?」
「あたしは魔石の選別するからいいっす」


 瞑想を真面目にしなかったせいか完全に拗ねた様子のハンナは、先日のスポッシャー戦で大分消費した水の魔石を補充するためにオーリの下へのっしのっしと歩いていった。どうも魔石の中でも品質が悪いものは使い物にならず、高い中でも合う合わないがあるので彼女にとって魔石の選別は大事な事ではあるようだ。


「コリナはどう? ランチまでの間でいいんだけど」
「……えーっと。私、リーレイアやガルムみたいな護衛は出来ませんよ?」
「んー、大丈夫じゃない? 別に誰かから明確に命まで狙われているわけじゃないし、あくまで念のためってだけだからね。ほら、対人戦は今でも苦手だからさ」
「まぁ、別にいいですけど。でもあまり期待しないで下さいね」


 内心でゴリナ呼ばわりしている努の思いはこの数日のちょっとした会話や仕草で若干伝わっていたのか、ボディラインの出にくい緩めの服装をしている彼女も少し不服そうにはしていた。だが自身の恰幅がこの三年で良くなってしまったことは自覚しているのか、頼もしい傭兵でも見るかのような努の視線に文句までは言わなかった。


「用心している相手は生産職関係ですか?」
「それもあるけど、オルファンっていう孤児団体が結構危ういと思ってるんだよね。僕に復讐したそうな元新聞記者もいるし、今ダリルに代わってリーダーしてる奴は確か、前に僕が元孤児上がりってことで因縁つけてきたりもしたからね」
「そうなんですか。でもあそこはダリルが実質的に抜けてからは、色々とボロが出て探索にも支障をきたしているってゼノから聞きましたよ」
「僕も知り合いから色々聞いてみたけど、概ね間違ってないみたいだね。まぁ、ダリルはお世辞抜きでよくやってたと思うよ」


 孤児の中で出てしまった犯罪者への処遇を巡っての判断を出来なかったダリルはみるみるうちに影響力を失ったものの、無限の輪を抜けてからオルファンという大人数の孤児団体を立ち上げて運営してきた彼の手腕――というよりはその人間性を努は評価していた。

 そもそも大所帯のクラン運営など、想像するだけで寒気がする。今も尚探索者やら生産職やら、一軍やら二軍やら、ミナを許す許さないで派閥争いをしているアルドレットクロウを見ればその運営がいかに大変であるかがわかる。

 ただあれでもまだ大手クランとして機能しているだけマシで、その他にアルドレットクロウの真似事をしようとして頓挫しているクランは数知れない。少なくとも金色の調べのように強烈なリーダーや、シルバービーストのようなクランメンバー全員の共通認識などがなければ在籍人数の多いクランは立ち行かない。

 それもオルファンはきちんと教育を受けていないような物事の判断能力が乏しい孤児ばかりで構成され、生きるためとはいえ元々犯罪を繰り返していた子供も多かった。だからこそ当時は元無限の輪という知名度だけで立ち上げられたものの、上手くいかず頓挫するだろうと言われていた。

 しかしダリルは元々無限の輪に在籍していた時から孤児院に欠かさず顔を出しては支援を惜しまなかったため、その誠実な人間性は思いのほか広まっていた。その誠実さを買って彼と取引や商談に臨む者は意外にも多かった。

 そしてダリルが信頼を置いている様子だったミルルも、元新聞記者というだけあってか元々のスペックは高い。そんな彼女が人と繋がれる信頼があり顔の広かったダリルを上手く利用することによってオルファンは何とか機能していた。

 だがそれはあくまでダリルとミルルに依存した組織に過ぎなかった。元々王都で軽犯罪を犯しながら生き延び、だからこそ暴力をも厭わないリキが大した判断能力のない孤児たちに祭り上げられてリーダーになった途端に、オルファンからは波が引いていくように関わる人々がいなくなっていった。

 そしてリキにはその信頼を結び直すような誠実さも、上に立つような器もなかった。そんなオルファンは今となってはまともな取引すらままならず、統制の取れていた孤児団体ではなく烏合の衆へと成り果てていた。

 それにダリルの手厚い支援と指導によってなまじ探索者としてのレベルが高いからこそ警備団からも厳しくマークされ、実際に捕まるようなことをしでかす輩も出始めていた。


「オルファンは完全に孤立無援でいずれは分散するだろうけど、力だけは持て余してる。そこに悪い大人が近寄ってくるのは当然だよね。特に金と知名度だけは持ってそうなアルドレットクロウの生産職辺りは、既に目をつけてるんじゃない?」
「……その可能性は高いですね。ツトムさん、刻印を止めろって言われても一切止めませんし、実際に圧力をかけられて周囲の流通を止められても自分で刻印階層に潜って素材採取できますしね。そうなるともう力づくで脅すってことになってもおかしくはないです」
「そうならないために色々手は打つつもりだけど、レベルの低い現状で単純に力押しされるのは苦しいからね。だからこそ人通りの少ない場所で単独行動は控えたい。上位の神台とかギルドなら安心なんだけど、下位の神台はどうしても人目が少ないからね」
「一応、聞いておきますけど、その、刻印を諦めるっていう選択肢は……」


 地雷原にでも足を踏み入れるかのような様子で聞いてきたコリナに、努は目を丸くした。


「勿論あるよ。例えば……もしオルファンに捕まって拷問にでもかけられそうになったらすんなり諦めるよ。別にそんな気を遣われるほど刻印に拘ってもいないし」
「…………」
「いや、信じてよ。ゼノから聞いてるだろうけど、別に刻印は大きな選択肢の一つに過ぎないし、失っても他の選択肢を捜すだけだよ。ただアルドレットクロウから一方的に圧力をかけられたぐらいで手放すほど軽いものでもないってだけだから」
「アルドレットクロウに圧力をかけられたら、普通の人はすぐ手放すんですけどね……」
「そう? ドーレンさんとかが鍛冶職人関連で圧力かけられたら命を賭してでも反抗しそうだし、他の生産職も同様だと思うけど。僕はそこまでじゃないよ」 
「うーん……」


 とはいえここまで成熟している探索者が突然生産職になろうとした事例はないし、そもそもそういった発想すら浮かばないコリナは努の行動を頭では理解しようとしても理解できなかった。

 その後も努は神台市場に向かいながら刻印のレベル上げや必要性について説明したものの、ドーレンなどと同様に一定の理解は示してくれたものの心からの理解を得られることはなかった。


(もう少しこの世界にも通用しやすい理論で説明した方がいいのかな? ネトゲじゃ常識だよ、で伝われば楽なんだけどな。コリナとの話し合いで理論武装しておきたい)


 元々鍛冶職人として働いてきたドーレンは固定概念があるからまだしも、王都出身で多少の教養は身につけているコリナを説得できないのは些かこちらの説明能力が足りないのかもしれない。努はどうすれば上手くサブジョブについて言語化できるかなと思い悩みながら、彼女との対話を続けた。

 その後、そろそろ反省したかなと言わんばかりの顔でクランハウスのリビングに帰ってきたハンナは、努がいないことを確認すると一度だけ地団太を踏んだ。

 コメント
  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 8:18 PM

    ダリルは大失敗やらかしてるな。善意からの行動でも訓練された半グレを量産しただけになってるけど後始末出来てないのはどうするんだろ

  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 10:27 PM

    ダリルは大失敗やらかしてるな。善意からの行動でも訓練された半グレを量産しただけになってるけど後始末出来てないのはどうするんだろ>
    に対して
    焼け野原と屍の山が積み重なった
    場所が在っただがソレが
    元オルフェンの居住区だとは
    誰も思わないだろう
    そんな屍の山に一人の者が
    立っていた
    その者は元オルフェンのリーダー
    ダリルで在る
    ダリルは最後の一線を越えた
    オルフェンの責任をとる為に行動に出たのだった
    だがその姿は若き日に犯罪者を
    滅ぼしたガルムに何処か面影が
    似たモノを感じたと自警団の一人
    は語った
    (と言う妄想を想像しました)

  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 10:35 PM

    まぁ自衛できれば刻印の凄さ(サブジョブの凄さ?)を世間に説明する必要ないしなぁ
    ネトゲのトップ層なんてお得な情報隠すし
    努の場合ヒーラーの地位向上の為にヒーラーの技法を広めてたから別に生産職の為に刻印の凄さを教える必要ないしな

  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 10:43 PM

    ダリルは多分挽回する機会あるやろ、ガルムみたいに単独でオルファン潰して狂犬を継ぐとか(レベル上でも対人だとガルムやダリルクソ強いし、ダリルは頑丈さトップクラスでないっけ)

  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 10:45 PM

    ランチまで刻印忘れて神台見て午後からおばあさんに挨拶して帰ってきて刻印マラソンしてそう
    流石に2日の休日中までは刻印せず神台巡りか?

  • 匿名 より: 2020/10/02(金) 11:10 PM

    相変わらずツトムの内心が酷過ぎるw
    でもロレーナしかりリーレイアしかりハンナしかり、内心で酷い表現している仲間ほど本当は信頼に値したりするw
    逆に内心でフォローされてる奴は大抵アウトwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 12:47 AM

    はやいぞ更新

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 12:56 AM

    ダンジョン突破で刻印が必要なフロアがあるかも知れない。ぐらいで説得できそうな、ダンジョンギミックあるし
    110層にこもってスキル上げすればステファニーあたりが勘違いしそう。

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 1:26 AM

    ハンナかわいい

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 1:44 AM

    説明なんて簡単。
    「元居た世界だと常識だよ」
    これで一発

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 2:13 AM

    コリナはどうしてこうなっちゃったの…?

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 2:28 AM

    地団駄ハンナ バ可愛いなw

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 4:08 AM

    毎話の更新が楽しみでしかたありません。引き続き無理のない範囲で更新お願いします!

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 7:32 AM

    ×固定概念
    ◯固定観念

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 8:24 AM

    生産職兼ねるのはゲームなら基本ですよねー
    早く生産の方でもあっっと言わせるところが見たいw

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 8:47 AM

    あれ? ひょっとしてオルファンの探索者レベルが高くて更生の余地がある人材を刻印要員に教育する流れ?

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 10:17 AM

    夜なべで刻印しまくってるツトムさんは確実に腱鞘炎患ってると思うんですけど、ヒールなら余裕で腱鞘炎も治るだろうと思うと羨ましすぎます。腱鞘炎はいっそ腕ごと切り落としたいくらい辛い…

    筋肉痛と違って慣れたらなくなるようなものじゃないから、ネトゲ廃人やってたときもテーピングガチガチでやってたのかな…?

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 10:50 AM

    我が儘を言ってすいませんが、例えば50話みたいな区切りの良い所で登場人物紹介やセカンド、サブジョブ等の設定まとめ回を入れてもらえるとありがたいです
    読み返してはいるんですが読解力が足りず、頭がこんがらがってしまいました……

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 11:21 AM

    圧力かけるのはあかんけど、職人からしたらいい気分じゃないのは分かるから、あんまり悪く言われるのはな
    作中でもコメント内でも
    それこそ神のダンジョンが出来る前から受け継がれてきた技術な訳だし

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 11:59 AM

    更新お疲れ様です!
    努殿は今回オルファンから被害を被らなければいいなと思いました。たまには努殿に救いを~。
    とか言いつつ、罪には徹底した罰を。許せる罪には救済付き罰スタンスは好きです。
    新聞記者ミルルの時のような、ざまぁ展開も楽しみだし、贖罪する展開も楽しみだし、まさかのスルー展開が待ってるかもしれないし…!
    先が楽しみです!

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 12:34 PM

    なんだかもう、ひたすらハンナが愛しい。孫的な意味で。

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 3:13 PM

    廃人は生産特化のサブキャラ作るから・・・

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 3:14 PM

    ゲームだと生産特化のサブキャラ作れるから多少はね?

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 3:30 PM

    これ、ゼノも理解したつもりになっているだけで多かれ少なかれ勘違いしてそうだな

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 5:03 PM

    オルファンが無限の輪で刻印要員はあるかもね

    でもリキたち暴君は既に犯罪者を出してるから無理
    部下しか犯罪犯してなくても幹部も同罪で捕まるのは必然
    犯罪者指揮していたリキを部下にすると、世間的には無限の輪が犯罪者の親玉に見られて、詰む
    周りがフォローしてもツトムとリーレイアは許容できないだろ

    だから、ダリルが養っている探索できない子たちだけ
    自分で生活費を稼げるようになるのは大きい
    ミルルもダリルも取り込めて育児問題も解決だね

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 5:16 PM

    ガチガチの固定観念ってたしかにやっかいだけど
    ツトムがミスリルの低品質や中品質がつくれるようになって
    職人が鉄しか扱えないかわりに高品質や最高品質つくれたとして
    どっちがいいか 位の事は理解できそうなものだけどね

    もちろんなれるかどうかという問題もあるし
    それに実はどっちにもメリットがあって
    強さよりコストとか入手性なら鉄の高品質
    コストより強さを求めるならミスリル
    つまり最前線でがっつり儲けたいならミスリル
    確実な攻略情報がそろった中程度をエンジョイ風にほどほどの稼ぎでいきたいなら
    鉄の高品質がいろいろコストパフォーマンスが高いはずだけどね。 
    自分のレベル次第だけど選べるようにするには今からあげておくしかないよなー

    それ以外も含めて本領発揮は追いついてからなんだろうね。

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 5:27 PM

    教養のある相手を説得できないなら〜になる辺りやっぱりツトムで安心しましたわ 笑
    他の人の飯の種の領域に手を出すんだから上手いこと説明しなきゃね…既得権益なわけだからね…

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 7:35 PM

    アルクロってユニス狙ってる調査員いたよね… 
    ツトム潰しが加速するか?

    無限の輪に入ってやってもいいのです。

  • 匿名 より: 2020/10/03(土) 8:52 PM

    ゲームだと生産職であれレベル上げは必須ってのが常識だもんねぇ。
    技術あればレベル上げなくてもいいとかそんな訳あるか!って感じだけど、現実だったらどう説明すりゃ伝わるんだろ。
    技術だってレベル依存のやつもあるはずなんだぞー

  • 迷宮まニアBAN より: 2020/10/03(土) 10:17 PM

     ダンジョン探索者はレベル上げの必要性を体で覚えてLv1から始まるダンジョン生活の中で(繰り返される死で)理解していくが、二足の草鞋を嫌う世界での生産者は降ってわいたサブジョブレベル認定をこれまでの業績に対する自動評価にしか思っていなさそうですね
    コリナ→ゴリナの変遷も単なる大食漢ゆえだけでなく、この世界の人種が特性として脳筋傾向にありパラダイムシフトに頭だけではついていけないのを示唆しているのかもと邪推する

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