第453話 ルークの苦悩

 

「……ふぅ」


 思わず漏れ出そうになったため息。それを何とか一息つくように変えてはみたものの、アルドレットクロウのクランリーダーであるルークの表情は芳しくない。もう三十を越えて何年か経つにもかかわらずその外見は依然として子供のようだが、気苦労が多いせいかその小さな外見の割には妙に大人らしかった。

 ギルドの神台に映っている時刻はもう深夜の二時を回っている。それを横目で確認した彼は後ろを付いてきていた男のクランメンバーたちの方に振り返った。すると彼らは命の恩人に頭を下げるような勢いで礼をしてきたので、ルークは安心させるような笑顔でもう行っていいよと告げた。


(キリがないなぁ。根本から潰さないことには下半身に正直な人はすぐ釣られるだろうし)


 足早にギルドを去っていた上位軍に所属しているクランメンバーたちは、以前から異性関係のスキャンダルをやらかすような者たちだった。そんな彼らが今回しでかしたのは、最近急速に発展してきた神台を利用した性的コンテンツに制作側として参加したことである。

 元々異性関係にだらしなかった者たちということもあって大したスポンサーがついていないとはいえ、その性的コンテンツは今や迷宮都市で問題視されている一つになりつつある。そんなことに大手クランであるアルドレットクロウの、それも上位の神台に出るような探索者が関わっているのは看過できない。


(それも灯台下暗しときたもんだ。新聞社の言う通り大元が犯罪クランだったらどれだけ良かったことか)


 しかもその性的コンテンツ制作には、決定的な証拠こそないがアルドレットクロウの幹部クラスが関わっているのは間違いない。いくら潰されても下請け業者をいくつも作り出す資金力に、深夜とはいえ神台に映せるほどの階層を素人が攻略するためには実力のある探索者の協力が不可欠だ。

 かつてのギルド職員や警備団と抗争を繰り広げていた時代ならまだしも、今や見掛け倒しで一般人を脅すくらいしかできない犯罪クラン程度が首謀者になれるような案件ではない。むしろ下請けとして消費され、矢面に立たされているからこそ話題に上がっていると見るのが妥当だろう。

 それにそもそもその性的コンテンツは、帝都からの探索者や技術者が迷宮都市に流入した時にあちら側の文化が持ち込まれたことで発展してきたものである。そしてその者たちを最も多く取り込んだのはアルドレットクロウであり、状況的にもそのぐらいの規模感がなければここまで持続的に続けられていないだろう。


(……お腹痛い)


 ルークは拡大を通り越して肥大化してしまったアルドレットクロウを完全に持て余していた。それどころかクラン内で割れていた派閥争いは激化し、保守派な彼の立場も危うい方へと傾きつつある。

 元々アルドレットクロウは王都でのスタンピードで死人が出た時から意見が分かれ、ミナが探索者として表に出てからは更に激化した。それに百階層以降では生産職にも明確なジョブとレベルが導入されたことにより、探索者と生産職の間にも溝が深まっていた。そこに帝都から流入した高レベルの探索者も相まって、内部の派閥はより複雑になりクランリーダーであるルークですら全てを把握できないほど膨れ上がっていた。

 そこで収拾をつけようとしても時は遅く、結果としてルークは臆病な保守派認定をされて他の派閥がより結束を深めることになってしまった。今になって振り返ればいくら利益が出るとはいえ安易な拡大に走らず、階層攻略の勢いを落としででもクラン内部の小さな争いの芽を地道に摘んでいくべきだったと言えるだろう。


(でも、あの勢いに乗らないなんて選択は出来なかったなぁ。もしそうしてたら多分、紅魔団には抜かれてたし他のクランも上位の神台に食い込んできてた)


 だが大きな需要の見込めた生産職と帝都の探索者を飲み込んで拡大することで、アルドレットクロウとしての実績や利益はうなぎ登りに上がっていた。そこに待ったをかけたところで周囲からは時流を読めない無能扱いをされるだろう。ただその考えが頭の片隅にあったとはいえ、あの状況で停滞の判断はとても出来なかった。

 そのツケを払っているからこそ、今こうして地道に足を使って一つ一つ問題を潰して回っているのだ。いくら派閥争いによって前よりクラン内での影響力が落ちたとはいえ、ルークがアルドレットクロウを創設し長年クランリーダーを務めてきたことに変わりはない。そんな彼が現場に足を運ぶことで解決できる問題はいくらでもあるし、今回の件もそのうちの一つだ。


(でも一通り問題を片付けたら、もうクランリーダーは引退させられるかなぁ。体よく問題を押し付けて解決させてからポイっ、ていうこともあの狐みたいな人なら平気でやりそうな気がする)


 クラン内派閥の中で最も影響力の高い帝都出身の男の顔を頭で想像しながらも、ルークはくぁうと可愛く欠伸を噛み殺す。


(まぁでも、よくやったと思うよ、僕。あのヴァイスとカミーユにレオンと肩を並べられるまでになったし、持たざる者としては大快挙じゃん。仲間たちも大分良いところまで連れて来られたし、僕も悪くないところまで辿り着けた。アルドレットクロウが落ち目になることはしばらくないでしょ)


 神からの寵愛を受けた者――ユニークスキルを持つ者が徐々に頭角を現し始めた時代に、しがない行商人をしていたルークは奮起して神のダンジョンから探索者を始めた。

 神のダンジョンが生まれて間もなくはそこまで攻略も進んでいなかったため、探索者でなくとも最初はそこまでPTを組むことに苦労はしなかった。一部の探索者はどんどんと階層を更新していったが、探索経験のない初心者も多かったからだ。

 だが時間が経つにつれて初心者たちも探索にこなれてくると、徐々にジョブごとの強さも語られるようになった。そんな中、召喚士がPTにいると召喚に使う魔石分の報酬が減ることからルークは徐々に他の探索者から敬遠されるようになり始めた。それを肌感でわかり始めた頃に彼はどうすれば召喚士が活躍できるか考えた。

 まずはとにかく、無駄な召喚を一切しないこと。白魔導士よりはマシだがタンクにすら負ける程度のSTRでも、ルークは召喚士の数少ない頼りない攻撃スキルを徹底的に使い倒した。そして召喚も相当に吟味して費用対効果のある時だけ行い、砂粒のような魔石をかき集めて召喚する姿から彼はあまりにもケチな召喚士として少し有名になった。

 そんな彼ならPTに入れてもいいと言う探索者が増え始め、自力でPTを組めるまでになったルークは次の段階へと進んだ。召喚士がモンスターを好きなだけ召喚できるような、経済的に強いクラン。そうして出来たのがアルドレットクロウだった。


(……そういえば、そうだったっけ? ユニークスキルに嫉妬するようになったのは、その後か。みんなで神台見ながらずるいよなーって愚痴ってたもんなー)


 過去を振り返る暇もないほど忙しく、それでいて一人で追い詰められてもいなかったルークはそんな自分の思わぬ発見に少し驚いた。立ち上げた当初からユニークスキルずるい! 許せん! といったモチベーションでひた走っていたのだと思っていたが、そういえば初めは召喚したい気持ちが強かったということをふと思い出した。


(……僕も、出来ればステファニーとかビットマンみたいになりたかったけど、無理だったなぁ。ユニークスキルなんてなくても探索者の最前線に立てるって証明したかった。まぁ、アルドレットクロウからそういう人が出ただけよしとするべきか)


 初めは召喚士の自分が好き放題召喚して神台に映る中で無双する姿を夢想していたのだ。ただその夢が現実的になり始めた最中、五十階層でジョブ格差が明確になり始めて古参の仲間たちが探索者としての活動が厳しくなってしまった。そんな状況で私利私欲を満たす気にもなれず、ルークは上位の神台を利用した広告を打ち出してスポンサーから資金を引っ張ってアルドレットクロウの運営を成立させることに注力した。


(その点、ツトム君はスマートだったなぁ。持たざる者なのに、持ってるみたいだった。特にスタンピードの時なんて、むしろユニークスキルを引き連れて戦ってたもんなぁ。あの時は結構悔しかった)


 そして突如として現れたツトムという存在で、ジョブの概念は一変した。それによって豊富なジョブを抱えていたアルドレットクロウも一変することになり、ステファニーを筆頭にスターと言える者たちも続々と生まれた。

 そのことはルークとしても喜ばしい出来事だったが、その頃から数百の集団を纏めるクランリーダーとしての役割を果たすことが多くなっていた。それこそ当初の夢を忘れるほどに。

 そして目の前の責務を必死にこなして辿り着いた末路がここだ。召喚士が好きなだけ召喚できるような懐の深いクランを作るという夢は、いつの間にかとにかくアルドレットクロウを大きくするということにすり替わっていた。

 忙しさにかまけて本当に大切なことを見失った。だがそれでも、ここが終着点なわけではない。


(……クランリーダー引退させられる時は初心に帰って盛大に召喚して、記念撮影でもしようかな。それからは家庭でも作ってのんびりしてもいいし、また夢を――)


 クランリーダーとしての立場を追われかねない身とは思えない、いつものように穏やかな顔つきに戻ったルークの背後。それはぬるりと彼の足下に辿り着いた。

 ぺとりと踵に触れた不可思議な感触に彼はびっくりしたように振り返る。


「……あ、どうも。お久しぶりです」
「……えぇ?」


 百十階層でのペナルティを受け、油まみれのまま黒門からカーリングのように滑り出していた努。そんな地べたに仰向けの彼と目が合ったルークは、ノスタルジックな気分が台無しになったこともあってかドン引きした様子で見下ろすしかなかった。

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