第454話 下ネタおじさん

 

 スポッシャーの突破後、努は百十階層の利用方法について考察していた。百十階層のアトラクションに流れているものが刻印油であることは想像に難くなかったが、いざそれを実際に利用するとなると意外に難しかった。

 基本的に刻印油はオイルスライムなどのモンスターを倒すことで生まれるドロップ品でなければ、たとえ回収してもギルドに帰った時には消えてしまい持ち帰れない。そのためフィールド上にある刻印油はダンジョン内で使用するしかないことは、刻印階層を攻略するにつれてわかっていた。

 なので努は百十階層でもオイルアトラクションの一番初めにある滑り台前で待機し、横から流れ出る刻印油をせっせと掠め取って刻印を進めていた。


(あ、時間制限はあるんだね)


 ただ三分が経過したところで努の真横に異次元の穴が展開され、そこから触手の先っぽが出てきて指差しでもするように滑り台の先を示した。そして四分を過ぎる頃には触手が二本三本と増え始めて素振りし始めたので、努はいそいそと刻印装備をしまってオイルまみれの滑り台に乗るしかなかった。

 逆アーチ状の滑り台の先は途中で切れているので、上手く勢いを調整して反対側に移らなければならない。勢いが良すぎればそのままコースアウトしてしまうし、勢いを殺し過ぎてもずるずると滑り落ちて油の海に沈む。そこから浮かぼうにも触手に引きずり込まれて窒息死は免れない。


「フライ」


 オイルアトラクション自体が初めての努はそのぬめりに慣れておらず、その滑り台から態勢を崩したまま飛び出した。このままだと間違いなく死ぬなと思った彼はスキルを使用し、一瞬浮かび上がって軌道修正することで事なきを得た。

 しかしその一瞬をスポッシャーは見逃さなかった。すぐさま努の真横に異次元の穴が出現して赤い触手が顔を出したが、何やら考え込むようにうねっている。そして審議の結果、今回は情状酌量の余地があったのか、おイタはだめよと人差し指でも左右に揺らすような警告だけで済まされた。


(うん、情報通り痛みはないな。よかった)


 その後またアトラクション前で刻印油を掠め取っては警告され、再びスキルを使用した際には今度こそ容赦なく触手で異次元に引きずり込まれた。ただスキル使用によるペナルティ退出だと死ぬ時と違って装備のロストもなく、痛みもないことは事前に聞いていたのでそれが事実であることをその身で体験した努はホッとした。

 そして油まみれでギルドに帰還してからは、事前に雇っておいた清掃業者に掃除を任せた。ただ清掃している間はギルド職員や探索者からすれば邪魔にもなっていたので、努はギルド側と色々な改善案を出しながら妥協点を探る交渉を重ねた。

 その結果、人の少ない深夜帯なら混み合うこともないのでそこまで迷惑をかけることはないし、ついでにギルドの清掃も行うメリットをつけることで問題ないということになった。

 そういった改善をしながら努は百十階層で刻印してはスポッシャーにスキル使用のペナルティで戻される、といった刻印マラソンを繰り返していた。そうしているうちにオイルアトラクションのコツも徐々に掴み始め、今では最難関であるオイルボルダリングもいいところまで進めるようになり、その分長く百十階層に留まれるため刻印の効率も上がっていた。

 そして今ではカミーユにプレゼントする予定の水着も試作段階に入っていた。まだ百五十階層の刻印油を使うような大博打には出ていないものの、近いうちにはそれで大幅な経験値を得られないかと考えている。


「まぁ、そんな感じです」


 何故自分が油まみれのままルークの足下に滑ってきたのかという説明を、油を拭いてからギルド特注の浴槽で洗い流してさっぱりしてきた努はそう締め括った。


「……いや、どういう感じ?」


 しかし努が油を落としている間に清掃業者から話を聞きながら何となくその手伝いをしていたルークは、モップを片手に理解できていない様子だった。そもそもの話、何故あの努が生産職になっているのか、というのがルークからすれば一番の疑問である。


「えーっと、最近作った物だとこういう感じですかね。基本的な水中対策と、水中移動がしやすくなるバフつきの自信作です。これはどのお店でも中々売ってませんでしたからね」
「いや、ツトム君。だからそうじゃなくて」
「え?」


 それなら実物を見せた方が早いかと努は自作の刻印水着をマジックバッグから取り出して説明し始めたが、ルークから話を聞けと言わんばかりにぶんぶんとモップを振られたので話を止めた。そしてそのモップを清掃業者に返したルークはしげしげと努を見つめる。

 その珍獣を見るようなルークの目は中々変わらなかったので、逆に努は尋ねた。


「そういうルークさんこそ、こんな深夜にギルドで何してるんですか? しかも何で掃除まで手伝ってくれてるんですか。そんなに暇な立場じゃないでしょう」
「……えっとね、あまり大声では言えないんだけど――」


 ルークは少し周囲を気にしたものの深夜ということもあってか、声を潜めるくらいの声量で神台の性的コンテンツに参加していたクランメンバーについて情報をかいつまんで喋った。その内容こそ下世話ではあったので努は半分笑いながら聞いていたものの、そんな下らない問題にルークが出張っていることからして色々と察していた。

 そして彼の話が一段落つくと、努は感心するように唸りながら腕を組んだ。


「よくそこまでクランのトラブル解決に奔走できますね。僕だったらそういう奴らは放置して、問題が大きくなったところでどうにもならなくなって切り捨てちゃいますけど」
「えー? じゃあもしガルムがそういう問題を起こしたらどうするの?」
「ガルムは替えがきかないんで犯罪でもしない限りは不問にすると思いますし、金さえ積めばその対策もやりようはあるじゃないですか」


 そんな努の話を聞いていたルークはいいことでも思いついたように目を見開いた。


「んー、いっそのこと毎日朝昼夜お店で抜かせるとか? いやっ、でもガルム君は果たしてそれで満足するかなー? それにツトム君だってまだまだ若いでしょー」
「……深夜テンションで頭おかしくなってます? 疲れてるならヒールでもしましょうか?」
「えっ!? 僕の何処を元気にする気!?」
「いや、典型的な面倒臭いおっさん……」


 きゃーえっちーと股間を押さえて非難してきたルークに、努は酔いどれのおっさんを相手にしているような顔でそう言い捨てた。すると彼は照れたように頭を掻きながら向き直る。


「ちょっと冗談ではぐらかしちゃったけど、お察しの通り今の僕には十軍程度でも首にするような力すらないんだよね。今じゃ名ばかりのクランリーダーってところかな」
「冗談にしては随分と生き生きしてましたけど」
「……だからさ、申し訳ないんだけどツトム君に圧力をかけてる生産職組合にもあまり介入出来ないんだ。それについては本当に、ごめんね。出来る限りのことはするつもりだけど、実際にはあまり役に立てないと思う」


 ルークもアルドレットクロウの全てを完全に把握しているわけではないにせよ、一般的に出回っているような情報くらいは知っている。なので努が油を落としている間に掃除までして待っていたのは、そのことについて直接謝りたかったということもあった。


「締まりがよくて助かります」
「……ねぇ、僕の話ちゃんと聞いてた?」


 しかし真面目な話など完全に聞く気のない努の雑な返しを前に、ルークは下げていた頭を上げて少し怒ったように整った眉を曲げた。ただ努はあっけらかんとした顔で口を開く。


「いや、下ネタおじさんが突然真面目に語り始めたのでびっくりしてます。なんかこれと似たような話聞いたことありますね。こう、やることやっといて風俗嬢に説教かますおじさんみたいな? どの口が言ってるんだろうって感じです」
「それについては悪かったよ! 最近レオンとかにはそういう話が振れないから、ちょっと溜まってたんだ」
「いくら欲求不満だからといって、それを三年ぶりに会った同業者にぶつけるのはどうかと思いますけどね。まぁ、再会の仕方も劇的っちゃ劇的だったんでしょうがないかもしれないですけど」
「そうだよねぇ!? 変わったことしてるのもうっすら知ってたけど、まさかスポッシャーに単騎で挑んで油まみれで帰ってくるとは思わなかったよ! 刻印のこと説明されなかったら触手好きの変態って勘違いしてもおかしくなかったよ!?」
「僕もまさかルークさんがド直球の下ネタぶちかましてくるとは思ってませんでしたし、お互い様じゃないですか? あのアルドレットクロウのクランリーダーしてる人だって尊敬してた気持ち返してくれます?」


 深夜に偶然三年ぶりの旧友と再会したら多少はテンションも上がって口は滑るかもしれないし、それが油まみれで足下に滑ってきたのなら尚更なのかもしれない。ただそれでも昔は適度な距離感で優しかった親戚のおじさんが、自分が成人するや否や風俗の話を振ってきた時のような何とも言えない虚しさを覚えたことは事実だ。

 ただ、そんなおじさんでも今や数千人規模になるクランの長をしていることに変わりはない。なのでまだ一定の尊敬はあるし話の内容もまだ白線の内側ではあるのでそこまでの不快感こそなかったが、なんだかなぁといった気持ちではあった。

 そんな具合で若干萎えているような気持ちが顔に出ている努を前に、ルークもまた困ったような表情で固まっていた。しかし一瞬の間が空いた後にすかさず言葉を返す。


「ツトム君が尊敬してるのはアルドレットクロウの一軍とか二軍の人たちでしょ? ……残念だけど僕はもう五軍が関の山だからね。それに最近は実戦も遠のいてるし、探索者として現役だとはとても言えないよ」
「そう言われると僕も今は刻印に割いている時間も多いので、探索者として現役とは言えませんね。まぁそれはそれとして、アルドレットクロウを立ち上げて成立させてきたっていう功績だけでも尊敬には値すると思いますけど。あと、ルークさん以外に目立った召喚士もいませんし」
「……さっきも言ったけど、今の僕をどれだけ褒めたところで、ツトム君にかけられてる圧力が下がることはないんだよ?」
「そうでしたね、すっかり忘れてました。落ちぶれたクランリーダーなんかに媚び売っても意味ないですよね」
「…………」
「冗談ですよ。泣き真似上手いですね」
「でしょ? でも今のは本当に涙ぐむまでいったからね。自覚していることとはいえ、人から言われるとこんなに傷つくもんなんだね」


 若干涙混じりの鼻をすする音が響いたので、努はすかさずそうフォローした。それにルークも冗談交じりで返したものの、地味にその言葉が突き刺さっていたのは確かだったのか努が即レスするぐらいその鼻すすりにはリアリティがあった。


「どうもすみません」
「いやいや、別に――いや? 凄い傷付いたし、今日はとことん付き合ってもらおうかな。こんな機会滅多になさそうだし」
「今日は刻印のペース早かったからいいですけど、三時には帰りますんで」
「……あと五分だけ?」
「そんなに話したいならまた明日来ればいいじゃないですか。百十階層でお待ちしてますよ」
「えぇ……もしかして毎日やってるの? こんな時間に? 朝から探索もしてるよね?」
「そうしないと刻印のレベル上がりませんし、仕方ないでしょう」
「いやぁー。ツトム君こそ、何でそんなに頑張れるの?」
「実際、アルドレットクロウの圧力があるのも大きいと思いますよ。この借りは必ず返すという気持ちは案外力になりますから」
「本当、ごめんね」
「これで相手がルークさんだったら遠慮なく叩き潰せたんですけどね。なんかその立ち位置ずるくないですか?」
「やめてぇ……叩かないでぇ……」


 そんな脳死の会話を二人は繰り広げた後、努はルークの股間にヒールを放ってから三時きっかりにギルドを出ていった。

 コメント
  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:10 PM

    股間にヒールを当てた効果が、知りたいです。

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:14 PM

    ルークと努がスポッシャーでストレス発散で遊ぶんかな

    ステファニー!深夜で刻印中が気にならないなら一緒にダンジョン潜りながら話せるぞ!!

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:20 PM

    下ネタだけで終わってるwww

    やばい面白い

    でも話が進まない
    つらい

    でもこういう回がたまらなく面白い

    困った(笑)

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:22 PM

    ヒールよりメディクで鎮静させてやれよ….と思う
     
    しかし初代のアルドレのギルド
    って下ネタで溢れるヤバイ所
    だったんじゃね?

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:24 PM

    スポッシャーかわいい!

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:28 PM

    ルーク3年で枯れてんじゃないよw
    逆境からの古参おっさん達のサクセスに期待

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:47 PM

    男子高校生のじゃれ合いみたいで笑えましたw
    ツトムならまた輝かせてくれるのでは!
    ヴィットマンとかソーヴァとかはどう変わったのかな。

  • たま より: 2020/12/04(金) 7:48 PM

    更新お疲れ様です!
    ルークおじさんは相変わらず憎めないなー。
    色々なフラグが乱立しててどう絡み合うのかが楽しみです!

  • 忍者 より: 2020/12/04(金) 7:49 PM

    好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 7:54 PM

    普通に面白かったんだけど、自分の感性がおっさんだからだと気づいて地味に衝撃…

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:00 PM

    深夜テンション楽しそうだな、おい(笑)

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:02 PM

    お互いに過度に私情を挟まないところが似てて相性良さそうw
    大人って感じする

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:06 PM

    刻印マラソン最高に笑ったMMOあるある懐かしいなぁ
    3軍作れそうだねルークくん来ないか?

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:09 PM

    こういう何気ない男同士の下ネタで昔の交友と会話を楽しむエピソードエモくね?
    展開はスローペースだし更新遅いのもあるから苦情出るのも理解はできるけど、これ後日談だし
    ダンジョン攻略と人間模様描いてる作品なんだから
    次の展開に繋がる小話があってもいいと思う
    山場、新展開でしか面白いと感じれない人は単行本を読んだほうがいい

  • ライダン好き より: 2020/12/04(金) 8:10 PM

    更新お疲れ様です!いまだ1番更新が楽しみ。
    作者に直投げ銭したいくらいです。

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:12 PM

    ドロップ品じゃないと刻印油維持できなかったんだな~と今までスポッシャーで油稼ぐ人がいなかった理由が判明ですね。

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:12 PM

    白線の内側w

  • 灰腕 より: 2020/12/04(金) 8:13 PM

    また難癖記者の格好の獲物になることやってんねぇ
    深夜帯、神台がピンクまみれになっている。一方その頃、努はヌルヌルしながら刻印していた。そして合法ショタはアソコが元気になった。
    レベル一気に上がってそうだな
    そういや刻印士以外のサブジョブのレベル上げはしないのかな?とりあえず刻印だけでいいとか?それかたしか「全てのサブジョブに共通で最初に使えるスキルが刻印」だったから刻印してれば他のも上がる?

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:15 PM

    ツトxルー

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:17 PM

    こかんにヒール

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:17 PM

    更新ありがとうございます。

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:19 PM

    ずっと「話が進まない」ってぼやいてる人はあれかな?
    家を建ててるのを見て「全然進んでないじゃん!土台とかよくわかんないやついらないから早く柱立てろよ!」って言う人?
    もっとわかりやすく言うと
    「3匹の子豚」

  • ライダン最高! より: 2020/12/04(金) 8:25 PM

    更新早くて嬉しすぎます。
    ライダン最高!

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:29 PM

    召喚した魔物に刻印できたら強そう

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:31 PM

    ルーク、何となく清掃手伝うとか良い人過ぎるw
    コリナと同じ臭いがするわw
    >股間
    そこはヒールじゃなくてメディックでしょw
    ツトムもテンション上がってて頭回ってないねw

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:34 PM

    スポッシャーのしぐさを想像してちょっとほんわかとした気持ちになった

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:37 PM

    触手かわいい

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:39 PM

    努×ルーク

    問題児のまとめ役シナジー?

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:43 PM

    これ、ツトムの刻印終わる頃には単騎でアトラクションクリアできるようになってるのかな?
    それで、ツトムが刻印の結果をみんなに示したら、色々な人が慌てて、みんな一斉に110階層に一気に押しかけた結果、ボスの難易度が劇的に上がって、ツトムの1人勝ちっていう流れもあるんでしょうか?

  • 匿名 より: 2020/12/04(金) 8:45 PM

    古い友人と会って妙なテンションで会話してる感がなんか好き

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