第458話 1Lくらいの涙
今日から召喚士として本格的に活動するということで、しばらくはルークと会うこともなくなる。そんな彼から今日くらい夜通し飲んで語ろうじゃないかと言われたので、努は百十階層に酒とつまみを持ち込んだ。
ルークは違う、そうじゃないと言いたげな顔をしていたものの、結局最後も百十階層を周回しながら油まみれな夜を過ごした。
だがいくら何年も務めたクランリーダーを辞めさせられたことによって脳内麻薬がドバドバとはいえ、一睡もせず努の助言を受けながら本気のスポッシャーを相手に立ち回っていたルークは目がしょぼしょぼしていた。そして綺麗な朝日が差し込むギルドを見て憂鬱げに息をつく。
「ツトム君、もしかして将来は医療系で食っていく感じ……?」
「二日酔い治すだけで食っていけるならそうしますけどね」
「いや、これは二日酔いだけじゃないと思うんだけども? これから毎朝僕にヒールかけてくれない?」
ただ努の本格的なメディックとヒールを受けてからは脳みそを新品に入れ替えたのではと錯覚するほど元気になったので、ルークは驚きながらもそんな提案を持ち掛けていた。それを努は嫌そうにかわしながら清掃員に軽く挨拶をして今日はもう潜らないことを告げた。
「ねぇ」
「確かに一番初めは効き目あるでしょうけど、段々慣れてくるので意味ないですよ。寝られるならそれに越したことはないので」
実際に回復はしているのでエナジードリンクのようにどんどん効き目が薄れる代わりに摂取量が増えていくことはないにせよ、自身の身体で実験している体感ではさほど変わらない気もする。とはいえ辛い一日を乗り越えるためのスタートダッシュを切れはするので、短時間睡眠の多い努も常用はしていた。
(年齢の割に若々しい探索者も多いし、美容に効いてる説も濃厚だよな。高レベルの白魔導士なら副業先には困らなそう)
その代表格であるカミーユを幻視しながらごねるルークをしっしと払いのけ、努はギルド食堂で軽めの朝食を頼んだ。ついでにその脇で売られていた朝刊も購入し、朝から酒に浸っている人生楽しそうなおじさんを横目に自分も席に座る。
「ぷはーっ」
それから新聞を読みながら注文した小盛りサラダが出来るまで待っていると、正面からビールのCMみたいな声が聞こえた。新聞を下げてちらりと見ると先ほどのおじさんとグラスをちょいちょいと動かして乾杯をしているルークが見えて、努は思わず鼻で笑った。
「人生勝ち組じゃないですか」
「だよねー? 一回くらいしてみたかったんだ、ギルドで飲むの。ツトム君も飲むかい?」
「オレンジジュース一択ですけど」
「なんで?」
「この後PTメンバーと合流する時にどう言い訳するんですか?」
「そういえばツトム君のPT、華ありすぎじゃない? 羨ましい、妬ましい」
「……それが目的ならもっと大人しい面子にしますよ」
にへら顔で酔っ払ったフリをしてずけずけと聞いてくるルークに、努は遠い目をしながら答える。天性の馬鹿に爆発済みの地雷とそのお付き、そして三年越しに爆発するかもしれない地雷を相手に果たして鼻の下を伸ばせるのだろうか。
「僕だって強い女の子四人に介護されて160階層に行きたーい!」
「それを言うなら僕も今すぐ170レベルになって一軍に復帰したーい」
「我儘だねぇー」
「随分と楽しそうですね? 私《わたくし》も混ぜてくれませんか?」
グラスを片手に駄弁っていたルークの肩を指がめり込むくらいの力で掴んだ女性は、にっこりとした笑顔で努に礼をした。ルークと対面している努から見れば視界の端に映っていた、随分とご立腹な様子のステファニーである。
更にその奥では今日に限って随分とギルドに来るのが早いアルドレットクロウと無限の輪の一軍御一行もいらっしゃり、努は流されずにお酒飲んでなくてよかったと心底思いながらサラダを受け取りにいった。
「飲んでるのはルークだけですよー。今日は夜からギルド長に納品する装備を仕上げてましたよー」
「そんな当たり前のことを言われても困りますが」
ヘルシーなサラダ片手にダイエット中のような言い訳をしている努に、リーレイアは澄ました顔でにべもなくそう言って視線を戻した。その少し後ろに並んでいるアルドレットクロウの一軍PT。その中に随分と目付きが悪いエルフがいることに気付かないフリをしながら、努はガルムやゼノにも軽く挨拶だけしてそそくさと席に戻る。
「ツトム君!? 席はこっちだよねぇ!? 見ないフリはなしだよ!!」
「僕もそろそろPTメンバー来るんで」
ばんばんとギブアップでも要求するように机を叩いて抗議しているルークの周りには、ステファニーだけでなくアルドレットクロウの古参メンバーが勢揃いして彼を糾弾していた。一昨日にあれだけ召喚士として再スタートを切るから応援してほしいと涙ぐましい啖呵を切った後に、朝から酒など一体どういうことなのか。
その後も努は素知らぬ顔でサラダをむしゃむしゃと食べていたものの、いい加減にうるさかったので食器を片付けた後に中々のメンバーが出揃っている席に向かった。
「いいじゃんっ……! 初日くらいさぁ……! 最近お酒なんて全然飲めないほど忙しかったんだからさぁ……! なのに、なんっ、で、みんなそんな責めるのぉぉぉぉ!!」
「いい歳したおっさんがこれだけ泣いてるんで、今回は許してあげたらどうですかね。嘘泣きでもないみたいなんで」
「おっさんじゃないぃぃぃぃ!! まだ36だしぃぃぃぃ!! じゃあなんでディニエルは言われないのぉぉぉ!! 100歳越えてるのにぃぃぃぃ!!」
「36歳は人間基準だとおっさんで、精神的に成熟した大人だとみんな思ってますよ。僕も少し前まではそうだと思ってたんで」
「だから、ハーフエルフだって言ってるじゃーーん!! なんでっ、僕ばっかりお仕事しなきゃいけないんだよぉーー!! もううんざりだよ! ぼくだっていっぱい、好き放題、召喚したいだけなのにぃー!! ツトム君だって成果も出てない刻印好きにしてるじゃん! じゃあなんで僕はだめなんだよぉーー!! こんなに頑張ってきたのにぃ……」
(朝から酒飲んでるのが原因ではあるけど、そうでもしなきゃお人好しリーダーがクランメンバーに本音を吐きだせそうもないしな。爆発しないで変に蒸発するよりはマシか)
実際にクランリーダーを辞めさせられたショックとアルコールが混じったことも相まってか、今回ばかりはルークも栓が抜けたように愚痴を垂れ流して机に縋りついていた。そのギャン泣きには彼の嘘泣きに慣れているクランメンバーたちも流石に面食らったようで、人の家の窓ガラスを割ってしまったかのような空気が流れている。
それこそ昨日直接話されたクランリーダーを引退すること自体が嘘で、いつものようにクランリーダーの仕事をして下さいと首根っこを掴まれれば、嫌だ嫌だと言いながらも仕事をこなすのではないかと思っていた。
ただ今回はどうもそういうわけではないことは明らかだった。努と朝から酒を飲み交わしているところを見てついいつもの調子で責めてしまったステファニーは、そんなルークの無様な主張を聞いてはっとした顔をしている。それはルークの真意に気付けなかった他の古参たちも同様だった。
「ツトム、何やってるの……?」
そうこうしている間にエイミーたちもギルドにやってきて、何やらどったんばったんしている最中にいる努に恐る恐る話しかけた。それにあのルークが泣き喚いていることも彼女たちには重かったのか、獣人三人の尻尾は揃って垂れ下がっている。
「それじゃあ、僕はPTメンバーを待たせているのでこれで。頑張って下さい」
「あっ、ちょ――」
自分のPTメンバーが来たことを建前に、努は36のおじさんがしゃくり泣きだすという非常事態から抜け出した。その際にステファニーが何か言おうとしたものの、努は知らんぷりの早足でそこから抜け出した。
「どういうこと……?」
「アルドレットクロウの問題だから触れなくていいと思うよ。取り敢えず99階層行ってから話そうか。しばらく収まりそうもないし」
お酒って怖いね、と一人呟きながら努はその騒ぎを見に行こうと列から抜け出している野次馬たちを横目に、さくさくと九十九階層へ向かった。
――▽▽――
「爛れ古龍って完全体の討伐はまだなんだよね?」
99階層に転移してからすぐに先ほどの並々ならぬ事態を説明するのかと思いきや、突然百階層のことについて尋ねてきた努にクロアは面食らいながらも答える。
「えーっと、記録上だとそうですね。ただアルドレットクロウか紅魔団の一軍なら突破できそうとは言われてますけど」
爛れ古龍は再生する臓器の数によって強さが決まる階層主であるが、臓器再生の妨害をせずに待機していた場合は努が黒バグで通過する直前の究極完全体まで成長することとなる。ただそこまで成長させるのにそもそも二時間かかり、仮に成長させたとしても爛れ古龍の攻撃は理不尽極まりなく全滅までが早いため、攻略はそこまで進んでいないまま放置されている。現状ではスタンピードで最前線組が一時的に出払う時に、ワンチャン狙いで挑むPTがいるくらいである。でなければそもそも階数的に神台へ映れるかも怪しいからだ。
(難易度としてはエンドコンテンツに近そうだしな。情報だけ見る限りじゃ200階層の階層主って言われても納得の理不尽っぷりだし、白門のレイドボス級かもしれない。まぁ、攻略必須じゃないからいいけどさ)
それに爛れ古龍は刻印装備さえあれば楽勝の成れの果てとは違い、割と王道の階層主ではある。味方のアンデッド化や心臓を捧げることによるレイズなどの初見殺しはあるにせよ、それに気を付けていれば戦い方はそこまで難しくもない。だが臓器破壊にはアタッカーが、味方のアンデッド化を防ぐにはヒーラーが、長期の安定した戦闘にはタンクが重要になるため、PTの総力が問われる階層主といえる。
そのためどの役割が欠けていても突破が難しく、単純なキャリーは仕様上厳しくなっている。今となっては100階層ですら初級者の壁になってしまっているが、その難易度は努から見れば適正に見えた。
(僕を殺すために作ったような初見殺しは今でも許さんけどな)
爛れ古龍についての情報を纏めてある迷宮マニアが書いた用紙を確認しながら内心でぼやきつつ、努はボケッとした顔で古城を眺めてのんびりしていたハンナを見つめる。
「ハンナ、百階層では魔流の拳使うの控えてもらえる?」
「え、なんでっすか?」
「そもそも100階層に挑むレベルが適正じゃないから、少しは縛らないと練習にならないからね。あと110階層も大分特殊だったし、爛れ古龍で避けタンクの立ち回りを再確認した方がいいかな。正直、五人PTになってからのハンナ力出し切れてないし」
「なんか噛み合わないっすよねー」
「そもそもPT構成自体が変則的っていうのもあるけどね」
90階層から99階層までは全員のレベルが高いため、ほぼゴリ押しで通過できてしまった。だからこそ少し手応えのあるモンスターが相手だと予想以上に手間取ってしまい、少し危ういという場面も散見された。それらは視野の広いエイミーや三種の役割をある程度こなせる努がいるため危機にはならなかったが、このゴリ押しを続けてしまえば後に痛い目に遭うということはハンナも感覚的に理解していた。
「あとは単純に火力を下げたいから、装備には一時的に階層強化と弱体の刻印つけようか。そうすれば100階層の適正値から下方調整されるし、レベルと差っ引いてある程度釣り合いは取れるでしょ」
「弱体の刻印なんてあるんだね?」
「こういう時くらいしか使い道ないけどね。あと有効的に使ってるのは警備団くらいかな?」
弱体の刻印は警備団の護身用武器に付与されているようで、基本的に武器を持ち歩いている者はそれで対処するそうだ。いざという時はそれを解除することもできるようだが、基本的にはそれで対処するようになってからは怪我人が大分減ったようだった。
「簡易的な刻印だしいざとなればこうやって消すこともできるから、危なくなったら縛りを解除しても問題ない。これで全滅するのもしょうもないしね。刻印の跡も余程繊細なものじゃない限りは消せるから」
衣服の刻印なら施す箇所によっては少し強めになじるだけで効果は消えるので、縛りプレイを解けずに死を待つなんてこともない。実際に軽く刻印してそれをシミ取りでもするかのよう消してみせた努は、四人の武器を預かってそれぞれ二つ刻印を施した。
「意外と簡単そうなのです、刻印」
「ハンナでも出来るしね」
「あたしはもうやらないっすよ」
「才能あるのに」
「ぜぇーったい嘘っす」
以前に暇つぶしで努の真似をして模様を刻んでいたハンナは、その後彼に刻印油をつけられて見事に刻印士としての一歩を刻んでいた。ただそこまで刻印に魅力を感じなかったのか、彼女のステータスカードにある刻印士のレベルは2で止まっている。
「今から始めて師匠に追いつけるならいいっすけどね」
「これから毎日やれば追いつくよ」
「寝る間も惜しんで刻印なんてしたくないっす……。しかもそこまでしても成果出ないとか、辛くないっすか?」
「なんだ? お前は僕をルークみたいに泣かせたいのか?」
「あっ、そういえばルークさんどうしたんですか? それを聞きたかったんですけど」
「あとでアルドレットクロウの人たちに聞けばいいんじゃない? それにあの騒ぎじゃ今日の夕刊にでも出そうだし」
おっさんが人前で涙する理由は一リットルよりも重そうなので、それからも努はルークについての追及は何となくではあるがかわしつづけた。
刻印で肉体にデバフをかけて
弱らせたところで淫紋で…ゲフンゲフン
なんでも無いです。