第465話 ロイドの思惑

 

「……いいの? あの工房連中ほっといて」


 会合の終わったアルドレットクロウの会議室で二人きりになった途端に、秘書のような恰好をした女性はひっそりと尋ねる。すると現在のアルドレットクロウのクランリーダーであり、化かし狐のような胡散臭さが垣間見えるロイドという男は朗らかな笑みを浮かべた。


「別にいいんじゃない?」
「そう思っているようには見えないけど」
「実際、こういうタイプには単純な力押しで何とかなることもありそうだし?」


 ロイドは今回の会議で主な議題に上がった男の写真を指先で撫でる。つい先日に深海階層の底まで辿り着ける強力な刻印装備を生産することに成功した、無限の輪のクランリーダーである努という男。そんな写真は勿論のこと、アルドレットクロウの情報網を駆使して彼についての様々な情報は調べ尽くされ、それが羅列された書類は広い机にずらりと並んでいた。

 それらに全て目を通し努の経歴や今までどのような考えでその行動に至ったかを推察していたロイドは、興味深そうに古めの記事を手に取る。


「ソリット社と対立してたっていうのは意外だったけど、その後は特に大きな揉め事は起こしてない。それに、元から荒事には慣れてなさそうな顔してるよ」
「それでも、迷宮都市の百階層を初突破したPTリーダーってだけで敵に回したくないわ。迷宮都市版の貴方みたいで」


 希しくも帝都の百階層を初めて突破したPTのリーダーでもあるロイドは、元PTメンバーである彼女を見て面白がるように笑みを深めた。


「一度も死なずに突破なんて俺には無理だったけどね。まぁ、確かにわざわざそんな人を敵には回したくないけどさ、工房連中の怒り具合凄かったじゃん? あれを止めるのはちょっとねー。めっちゃ唾飛んでたし」


 この小生意気にも出てきた杭だけは絶対に打たねばならぬと、アルドレット工房の上層部は努を潰すために膨大な手間とコストを垂れ流しながら這いずり回っている。あれはもはや理論ではなく感情で動いているのでもう止められない。


「……そうなるように煽ったのは貴方でしょ」
「まさか。俺の口先だけじゃあそこまで無茶はしないでしょ。むしろツトムがわざと煽ってる節があったから、ここまで燃え盛ってるんだよ。それにしても、よくもまぁ、絶対的な不利益あるのに突っ走ってくるよねー。ツトムなら今の立場を維持するだけでも上手くいくだろうし、大人しく200階層目指して探索者やってくれればいいのに」


 以前も100階層を初突破することを目標に掲げていたようだったので、迷宮都市に帰ってきた後もその流れを継承するのかと思いきや、彼は突然刻印士へと転身した。

 その時には観衆や迷宮マニアからは勿論クランメンバーからも反対されただろうし、アルドレット工房も手慣れた人脈を駆使して圧力をかけていた。それにより彼の持っていた人脈はほとんどが使い物にならなくなり、個人間で取引してくれるような者も皆無となった。

 普通の者ならその厳しい現実を目の当たりにしたら諦めて本業に戻ってくれる。だがそれで自分の資産や信頼を損ねることになっても、努は刻印士としての活動を続けている。

 その活動理由は周囲から圧力をかけられたことに対する怒りがモチベーションなだけであり、努は自身の感情を制御できず損切りもできない愚かな孤児であるとアルドレット工房は評していた。ただ過去の経歴を読み漁り努の人間性を推察していたロイドは、その結論に至るのは早計だと思っていた。

 そもそも努の出自が本当に孤児であるか、といったところからアルドレットクロウの中でも意見が分かれている。彼に対して感情的な者たちは所詮孤児だと決めつけているが、金と栄誉に振り回されなかった知見があることからしてそれはないという意見が多数派ではある。ただその証拠がいくら探しても一向に出てこないので、そこが疑問視されていることも確かだ。


(ここまで行動と考えに、自身の生き様まで一致しているのも珍しい。まさに迷宮都市の探索者としては模範といっていいだろうな)


 幸運者騒動で多少の波風は立てたものの、その当時の努は常日頃から白魔導士の地位向上をしたいと口にしていたという。そしてそれは彼自身が編み出した回復スキルに関する情報を公開する説明会を行ったことからして、単なる建前というわけでもなかった。

 しかしいくら理想を掲げてそれに見合う行動をしていたとしても、信頼と金が集まった途端に堕落していく者は驚くほど多い。いざその考えと行動によって成果が出たとしても、一般的な孤児なら今まで自分を冷遇してきた人や社会に復讐を果たしたくなるものだ。

 それこそ今のオルファンのように一番台が良く見える一等地の豪勢な家を借り、女と酒に溺れるなんて方が健全な反応だ。だが努は典型的な成金に陥りもしなかった。

 努のプライベートはその理想に寄り添うかのように地味で平坦かつ、探索に関わることについては大胆だった。探索活動は週に五回と最前線の探索者からすれば少ない方だったが、彼は毎日欠かさず神台市場には顔を出して上位の神台を視聴していた。そして迷宮マニアから探索活動に関わる業者たちと話しては、情報交換や売買を交わしていた。

 そんな地道な日々を過ごしているかと思えば、もはや倒産寸前の企業に突然数千万Gを融資したりと無茶なことをしていた節もあった。実際、努の投資はそこまで成功していたわけではない。ただ彼の私生活自体は地味なものだったし、余剰資金でしか投資をしていなかったので探索活動で得る利益によって日々の生活に支障はなかった。

 それに企業は潰れても努に投資された人の中では、大きな金額を出してくれた彼からの信頼に手応えを感じ再起した者も多い。努が投資していた中で当たったものは何十もあるが、その中でも氷魔石を利用した食材を冷凍するための魔道具は爆発的な人気を誇り、現在では一家に一台あるほど普及している。

 その投資で得た利益をただ浪費するわけでもなく、今度は一番台を目指すという理想の下で些かリスクを取り過ぎなほど運用していた。それで結構な損失を出すことも多かったそうだが、冷凍庫のように大きく当たったものも不思議と多く長期的に見れば大きな利益を出していた。

 そしてハンナという規格外のバカによってそれも全て消え去ったが、特に気にするような素振りも見せず努は今も彼女とPTを組んでいる。

 それは金を探索に必要なモノとしてしか見ていない、確かな証拠である。本当に金や名誉を稼ぐための建前などではなく努は一番台を目指すために考え行動し、それが彼自身の幸せにも繋がっているのだろう。

 そしてそれを証明するかのように、稀代のスタンピードでは貴族に表彰されるほどの活躍を見せ、迷宮都市の神のダンジョン100階層初突破を無死で成し遂げるなどという偉業を成し遂げた。それにディニエル、ステファニー、カミーユを始め、森の薬屋やバーベンベルク家など迷宮都市の主要人物ともいえる者たちとの親交も深い。

 そんな者がただの復讐心で刻印士をしているわけがない。再び一番台を狙うために、虎視眈々と牙を研いでいる。そう見るのが妥当だろう。それに自身の感情を制御できないアルドレット工房が勝ちうるかは、正直微妙である。


(とはいえ、弱点がないわけじゃない)


 まず、努は謎な出自の影響かあまり外のダンジョン攻略に積極的ではなかった。大方あの有名なヴァイスのように過去に仲間でも失ったとか、探索者としてはありきたりな理由だろうか。

 そして突然になって迷宮都市を三年間も離れたこと。それが彼の経歴の中でも大きな失策であることは誰が見ても明らかだ。その離れ際にも大きな摩擦があったせいか、ディニエル、アーミラ、ダリルも無限の輪から抜けることとなった。

 それから無限の輪はシルバービーストと同盟を組んで持ち堪えたとはいえ、その損失は計り知れない。残っていたクランメンバー自体は優秀だったということもあって神台上位には食い込めているものの、以前ほどの影響力はない。

 恐らくそうなってしまった原因も、彼の出自に関係している。だからこそその出自とそれに関することさえ突き止めれば、今も好き放題している努の動きを鈍らせることは可能だ。ただ、どれだけ調べ尽くしたところでその情報は出てこないのが問題である。


(……神の逆鱗に触れる、といったことは避けたい。それでは本末転倒だ)


 正攻法ではどうにもならない。なら裏の手を使う。彼の出自について知っているであろう無限の輪のクランメンバーと取引、もしくは脅すなどして情報を引き出す。その目処も立っているとはいえ、僅かな可能性ながらロイドが恐れていることがある。

 それほどの栄光を勝ち得ていて尚、努は女の一人も囲っていない。それは彼が不能、もしくは同性愛者であるからだと思ったが、調べた限りではそういうわけでもなさそうだった。

 それに加えて努は百階層で妙な動きをしたそうだ。ロイドは実際に見たわけではないのでいまいちピンと来てはいないが、死を覆したと噂されていてそれはあながち間違いでもないらしい。

 更に努が三年間も姿を消した際、最後の目撃情報はギルドでエイミーとガルムと一緒にダンジョンへ潜ったということだ。それも完全に確証が取れているわけではないが、少なくとも迷宮都市から正式に出立したわけではない。

 その不気味なほど性に興味を示さない私生活と、ダンジョンに消えたのではという情報。努はもしかして人間ではなく神の分身、もしくはそれに準ずる者なのではないか、なんて眉唾な噂も立っている。


(その実績からして絶対に嘘だと言い切れないのが面倒だ。案外サクッとやられて杞憂に終わってくれるといいけど)
「……あのさ」


 そんな思考を放棄するようにロイドは目の前の尻を揉みしだいていると、その女性は途端に白けた顔で振り返る。


「いいじゃん。減るもんじゃないし」
「ロイドが考え込むたびに揉まれる立場になってみなさいよ」
「いつも助かってます」
「……着替えてくるわ」
「いってらっしゃーい」


 そう言ってそそくさと会議室から出ていった彼女を、ロイドはひらひらと手を振って見送った。

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