第467話 新たな精霊

 

「相変わらずノームはあれだけど、進化ジョブのおかげでウンディーネ一強ではなくなったね。フェンリルヤバくない? 乗り物として使ってる人も見たし、一強の可能性ありそう」
「初めての貴方に懐いているのは不愉快で仕方がありませんけどね……」


 氷の精霊だからかひんやりさらさらと撫で心地の良い毛並みをした白狼の子供は、まるで家族にでも甘えるかのように努の足に頭を擦り付けている。そんなフェンリルとの親愛度がまだ四大精霊ほどではないリーレイアは、納得のいっていない顔で彼をねめつけていた。


「ふふっ」
「…………」


 そんな二人がクランハウスへ一緒に帰ってきたところをタイミング良く発見したオーリは、大きな洗濯籠を運びながら微笑ましそうな笑みを漏らした。その様子を目ざとく察知したリーレイアはげんなりとした顔のまま玄関の靴を揃える。


「あっ、ツトムさん。お手紙が届いていたので、お部屋に置いてあります」
「あ、了解でーす」


 事務関係の手紙はオーリに一任しているので個人宛ということになるが、一体誰からだろうか。たまにカミーユが手紙をよこしてくることがあるので、彼女がアーミラのことについてしたためてくれたのかもしれない。そんな推測をしながら努は汗を流すために階段を上がると、軽々と段差を飛び越えながらフェンリルの子供も付いてくる。

 浴室にまで入ってこようと顔を扉に突っ込んでくるフェンリルを足で押すようにして阻み、扉を閉めた努は手早くシャワーを済ませて温風の出る魔道具で髪を乾かす。


「ぎゃーっ!!」


 そして着替えも済ませた途端に外からガチめの悲鳴が聞こえてきたので、一体どうしたと思いながら扉を開ける。すると何故かハンナが激昂している様子のフェンリルに腕をがっつりと噛まれて血まで流していた。腕を伝って流れ出す血が床にぽとぽとと落ちる。

 それに呆然としているとこちらに気付いた野性味溢れる表情をしていたフェンリルは、途端に目を丸めて怖かったとでも言いたげな鳴き声を上げながら飼い犬のように足下へ寄り添ってきた。

 その見かけこそ凛々しい大型犬とはいえ、分類としては狼のためその牙や爪も犬よりは殺傷能力が高い。ハンナの血で染まっている口元から見ても疑う余地はないだろう。それに神台で見たフェンリルは人が乗れるくらいの大きさまであったし、単身でモンスターを食い千切るくらいの攻撃力もある。


「ヒール。何かやった?」
「いや、なんか前と違って大人しく座ってたから、触ろうとしたらガブリとやられたっす」
「……ちょっと判断が難しいな。まぁ、飼い犬じゃなくて精霊だし、相手もハンナだからセーフか?」


 骨折まではしていなかったのですぐに回復スキルで治したものの、一応ハンナの手を取って状態を確認しながら努は独り言のように呟く。すると彼女はジッとした目で見つめてきた。


「なんであたしならセーフなんっすか」
「どうせ無理やり撫でようとでもしたんでしょ。精霊との相性悪いくせに」
「……それ、リーレイアに言ったらすごい怒りそうっすね」


 この小さな白狼が無限の輪で飼われているペットなら結構な問題だが、精霊ともなると如何ともしがたい。それにハンナは怪我に無頓着である分、無邪気に刺激しすぎることは以前ウンディーネに手の甲を貫かれたことからしても想像できる。とはいえ子供が虫や動物に噛まれた、みたいなノリで普通なら全治一ヶ月はかかりそうな怪我をするのは止めてほしいが。


「血、自分で拭いといてね」
「わかってるっすよー」


 そう言って洗面台に備え付けられていたタオルをひったくるように取って床を拭き始めたハンナを一瞥してため息をついた後、努は自室へと戻った。そして机の上に置いてあった手紙の裏面を見て差出人を確認する。


(おっ、ダリルか)


 カミーユの粋な計らいでアーミラと上手い具合に橋渡しでもしてくれないかと期待していた努としては、若干のシンパシーを感じながらも手紙を開く。だがその内容はまず差出人として書かれていたダリルの字面からして違ったし、読む前に努が予想していた内容でもなかった。


(中身はあの狸かよ。オルファンのスパイとして情報渡すって言われても、信用できるわけねー)


 その内容としてはまず長々とした謝辞から始まり、それからはオルファンの内部事情とダリルやミルルの立ち位置。そして最後には現在オルファンの主力となっているリキたちに、ミルルが取り込まれる形でスパイになったことが記されていた。

 それで得た情報についても事細かに書かれてはいたものの、努としてはそもそもその情報元が信用できないので大して参考にはできない。それならまだダリルがあちらに取り込まれたフリでもしている方がありがたかった。仮にオルファンと敵対関係になった際、努が気にするのはダリルとその周辺にいる孤児たちだけだ。

 ミルルについても個人的な感情で言えばこの際面倒なのでケリをつけていきたいが、ダリルの支えとなっているなら別にどうこうするつもりはない。この際に結婚しましたとご報告されてもおめでとうございますと言えるかもしれない。

 ただ、過去のことはもう水に流してオルファンを退けるために一丸となって共闘しましょう、なんてことは真っ平御免だ。何を今更味方面をして擦り寄ってきているのか。裏切る可能性のある味方などいない方がマシだ。ダリルを言葉巧みに騙して二重スパイをしている可能性が高いとみていいだろう。


(……念には念を入れておくか)


 とはいえこの情報を完全に無視することも出来なさそうだったので、努は御大層な便箋に一筆書いてから部屋を出た。すると前足に顎を乗せて伏せた状態で待機していたフェンリルが即座に立ち上がり、足下をぐるぐると回る。


(こうして見ると人懐っこい友達の飼い犬みたいだけど、さっきのを見るにちゃんと狼だしな。気軽に触りづらい)


 もし自分があんな風に噛まれたらと思うともう恐ろしくて手出しはできなかったので、努は野生動物にでも接するかのような態度のまま階段を下りる。そして相変わらずフェンリルが自分に懐いていることが気に食わない様子のリーレイアに睨みをきかせられたので、ソファーに座っていた彼女に近寄る。


「そろそろ精霊契約、解除したら? ご飯も食べるし」
「……はぁ。それが出来たら苦労はしませんよ。私の言うことはまだそれほど聞いてくれませんので、解除する時はフェンリルの気まぐれに左右されます」
「えー、何そのクソ仕様」
「……精霊契約、解除」


 そうぼやく努を見上げながら狼耳を伏せてお座りしていたフェンリルの様子を見て、リーレイアはお伺いでも立てるかのように解除を試してみた。するとフェンリルはそれに素直に従って光の粒子と化して霧散した。


「……精霊相性の良い人が近くにいると、契約しやすいなんてことはないと思いますが」
「検証してみれば? 精霊術士なら精霊との相性もはっきりわかりそうなもんだし」
「……もしかしたら闇の精霊との契約も出来るかもしれませんね。来週の休みに試しても?」
「……え? そもそも契約すらできないなんてことあるの?」


 何だか以前よりもかなり落ち着いた様子な、オーリの手伝いをしていたそばかすが目立つ女性。その人からすっと渡された水の入ったコップを会釈しながら受け取った努がそう言うと、リーレイアは困った生徒でも見るような目つきになった。


「初めから相性が良い精霊はスキルの行使くらいまでなら協力してくれますが、普通は契約を重ねて地道に信頼を勝ち得ていくものです。それに進化ジョブ後の新たな四大精霊については、未だに全てと契約して扱える者などいませんよ」
「へぇー。それじゃあ闇の精霊? は契約もできないのか。」
「それに新たな精霊との好感度を上げる特定のアイテムもあまり発見されていませんからね。だからこそ少し面倒な手順を踏むだけで契約はしてくれるフェンリルは貴重なんです」
(ライブダンジョンだと無料配布の精霊石食わせるだけで最低限は何とかなったからな。それで進めていけば信頼度はおのずと何とかなった。それに課金すれば精霊のスペックだけは上位層と変わらなかったし。……もし課金システムあったらみんなこぞってするだろうな)


 そういえばリーレイアが映っている神台を見ても、未だにサラマンダーやシルフばかり使っていたように見えた。フェンリルは信頼度稼ぎのために常時契約しているようだったが、あまり戦闘シーンで見たことはない気もした。それは新たに追加されている雷、光、闇の精霊も同様である。

 とはいえサラマンダーなどの元素の四大精霊たちも、三年前とは姿形をも変えていることが多い。特に小さな蜥蜴であるサラマンダーの変化は顕著で、今では小さなドラゴンといって差し支えない姿で活躍する様を神台で見せることもあった。

 その強化された四大精霊と相性の良いリーレイアは未だに精霊術士の中では一、二を争う人物であることに違いない。ただ最近はフェンリルや雷の精霊である雷鳥がもてはやされることが多いため、以前のような一強扱いまではされていないといったところだ。


「せっかくだし今契約できるか試してみたら? わざわざ休日に時間取らせるのもあれだし」
「契約に失敗したらその精霊と戦うことになりますが、それでもよろしいですか?」
「……よろしくないね。というか進化ジョブ後の精霊はそんな仕様なのか」
「あのウンディーネですら慈悲に満ち溢れているということを理解しました」
「それじゃあ、またの機会にということで」
「えぇ、では来週の午後からでよろしいですか? 夜からでも構いませんが」
「……まぁ、帰還の黒門の前で契約すればすぐ逃げられるか。階層主じゃあるまいし」
「そこでツトムの力を見せていただいても構いませんよ。実際、一度は見ておきたいですし」
「嫌です」


 ぽんぽんと誘うようにソファーを叩きながら微笑んでいるリーレイアに、努はにべもなくそう言って食卓の方に向かった。そして座っていたガルムの犬耳を背でも図るように触って、彼を困惑させていた。

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