第468話 深海遊泳
「ほんとにタコだね」
「本当にタコなのです」
刻印階層の階層主はデカい蛸だと聞いて半信半疑だったエイミーとユニスは、遠目からでもギョッとするような大きさのスポッシャーを見て顔を見合わせている。そして機械仕掛けのハンドルを回しながらシルクハットを取ってつるりとした頭を見せてきたスポッシャーに、エイミーは首を傾げてユニスは微妙な会釈を返した。
「なんか、フェンリルとは違った意味で倒しにくそうだね」
「悪い奴ではなさそうなのです」
「実際、刻印する人からすれば良い奴ではあるね。普通のドロップ品被ってればハイタッチも出来るし」
「……それ、なにか意味はあるのです?」
突如として発生した異次元の穴から出てきた触手と何食わぬ顔でハイタッチしている黒いシルクハットを被った努に、ユニスは若干引いたような顔で尋ねた。そして自分の被っていたそれをエイミーに貸した彼は、ハンナから譲り受けた白いシルクハットを被り直しながら答える。
「検証した感じスポッシャーとちょっと変わったコミュニケーションが取れるくらいだね。あとは白いシルクハットならオイルアトラクションの難易度難しくするとか? 多分だけど、ただの遊び要素だから意味はないと思うよ」
「……草原階層にいた、やたら足の速い兎みたいなものなのですか?」
「そんな感じじゃない。あれも別に討伐したところでドロップ品は大したことなかったでしょ」
「そんなものを階層主にされても困るのです」
「ここなら一定時間内なら刻印油使い放題だし、お前もそろそろ通うことになると思うよ」
そう言うとユニスは露骨に嫌そうな顔をしたものの、無限に湧き出る刻印油に魅力は感じているのか目だけはそれを追っていた。帝都での探索活動とポーション制作でそこそこ稼いでいたとはいえ、刻印油を購入する費用は彼女にとって手痛い出費であることに違いない。現地でしか使用できないとはいえ、それを活かさない理由はない。
「それじゃあ、スポッシャー戦について軽く説明させていただきますね」
「よろしくー」
その後はクロアが特殊なスポッシャー戦についての説明を初見の二人に向けて始めたので、努はオイルアトラクション攻略に便利な手袋や雑巾などを念のため確認する。特に難所のボルダリングは余程慣れていない限り道具を使った方が安全ではある。それに努からすればたまに秋山君と登っていたこともあってか、ちょっとした懐かしさとこだわりもあった。
「師匠は大変そうっすね」
「ハンナみたいにズルできないからね」
魔流の拳はスキルではないため、スポッシャーからの反則判定を受けない。そのため彼女は風の魔力をぶっ放してボルダリングの壁を一足飛び、なんて芸当も可能なのでオイルアトラクションはあってないようなものである。
「じゃあ師匠も練習すればいいじゃないっすか? 魔流の拳。今なら直々にあたしが教えてやるっすよ!」
「あれだけいた魔流の拳の門下生、何処に行ったんだよ。結局実際にはハンナしか使えないんでしょ?」
「……まぁ、そうっすけど」
「仮に教えてもらうにしても、あのご丁寧に挨拶しにきた坊主の人からでしょ。あの人が影の伝道者、みたいな扱いなんだし」
メルチョーの人生を賭した修行に付いていった魔流の拳の門下生たちは何十人といたが、迷宮都市に帰ってきたのはハンナと数人くらいだった。実際に修行の中で命を落とした者も何人かはいたようだが、大半は途中で逃げ出したらしい。そして新たに魔流の拳を習得した者は現れなかったので彼女が正式な伝道者となった。
ただハンナが人に魔流の拳を伝え残していくことはできないと悟っていたのか、メルチョーは彼女のように習得こそできなかったが実際に修行を耐え抜いた身体と魔流の拳の知識を兼ね備えた坊主の男性を、第二の伝道者に任命した。
その彼はメルチョーが遺した道場の引き継ぎを済ませた後、ハンナが在籍する無限の輪に挨拶をしに来たとオーリが話していた。その後努も直接挨拶はされたので見知ってはいた。
「それじゃ、特別にダブルで教えてやるっす」
「結構です。ハンナみたいな天才じゃないんで」
「……それ、結構ムカつくんすけど」
「やーい天才ー。毎朝の瞑想欠かさないでやんのー」
「やかましいっす」
「おい、下に落ちたら洒落にならないぞ」
からかうように瞑想のようなポーズをしている努に、ハンナは鬱陶しそうに青翼をばさばさとさせて彼が浅く被っていた白いシルクハットを落とそうとした。
(修行してる時に天才だなんだ散々言われでもしたのかね。意外と闇が深そう)
「師匠がそれ被ってると余計胡散臭さが増すっす」
実際に魔流の拳の修行をしているハンナを見ているわけではないので、今度坊主頭の人にそれとなく聞いてみるかと思いながら説明を終えた様子のクロアに声をかける。
「それじゃあ、ユニスの介護よろしく」
「誰が介護なのですぅ?」
「まぁまぁ、初見の人は仕方がないですから……」
オイルアトラクションの初見突破は普通の探索者でも難しい部類なので、そこまで肉体派でもないユニスはその身体の小ささもあってクロアに文字通りキャリーされる形の方が攻略は早いだろう。そうして先行していった二人を横目に、エイミーは楽しそうに目を輝かせた。
「んじゃ、わたしはツトムに介護してもらおっかなー? はい、抱っこー♪」
「本気で無理そうならハンナにすっ飛ばしてもらうといいよ。それが嫌なら自力で行きなよ。エイミーなら大丈夫でしょ」
自分が初めてのフライ制御に苦戦する中、すいすい飛んでいたエイミーのことを未だに覚えている努はにべもなくそう言った。
「えー。でもこの前神台で見た時は、男女が楽しそうに抱き合いながら滑ってたよ? ツトムもルークと滑ってたじゃん」
「ただでさえハーレムPTなんて言われてるのに、そんなことまでしたら観衆にぶっ殺されるんじゃないかな?」
「……あたしは一緒に滑らないっすよ!?」
「やかましい」
「ぬあああぁぁぁぁぁ……!!」
そうこう話している内にクロアがユニスを抱っこしながらオイルスライダーを滑り飛び、初見である彼女の絶叫が木霊する。それに続いて努もシルクハットをしまうと慣れた様子でオイルスライダーに乗り込んで向こう側に滑り飛び、若干がっかりした様子のエイミーもそれに続く。
「うわ」
そのぬめり具合に少し驚いていたものの、二人の手本を見ていた彼女はそつなく辿り着いた。そしてハンナは威嚇するゴリラのように両拳を地面へ叩き付けると同時に宙を飛び、更に空中で風の魔石を砕き風力を発生させて衝撃を和らげながら着地した。
「思ったより怖いのです! 本当に大丈夫なのです!?」
「オイルアトラクション苦手な子を何人も運んでたから大丈夫だと思いますよー」
「……んー、なるほど。確かにこの絵なら売れるかも」
安全確認に必死なユニスを何てことなさげに諫めるクロア、それをエイミーは神の眼片手に分析して一人頷いている。
「やってること最早チーターじゃない?」
「……何を言ってるのか知らないっすけど、その感じからして悪口であることは確かっすよね」
「ある意味で褒め言葉ではあるよ」
努はそう解釈を捻じ曲げながら、途中触手の妨害もあるオイルシーソーを一足先に渡り始めた。
――▽▽――
オイルアトラクションの途中でエイミーがクロアに抱えられて喚くユニスをからかい倒して暴れさせた挙句、三人仲良く沈没死なんて事故もあったりしたが、努たちはスポッシャーを難なく倒して一度ギルドへ帰った。そしてギルドの更衣室で各々深海対策の刻印が施された水着を着込み、捨てても構わない敗者の服を羽織って111階層へと転移した。
転移したと同時、五人は薄暗い海中にいた。事前に聞いていたとはいえ突然水の中に放り込まれるという事態に、ユニスは慌てたようにぶくぶくと空気を溢れさせている。ただ刻印装備のおかげで難なく息はできることを理解すると次第に落ち着きを取り戻す。
(オイルアトラクションの次はのんびり海中遊泳か。また変な記事でも書かれそうだな。僕なら書くね)
そこまで露出度は高くないものの水着であることには違いない女性陣三人をライトアップして映している神の眼を横目に、努は何処までも降りていけそうな深海に視線を戻す。刻印装備によって呼吸と水圧については問題ないが、水中でスキルは唱えられないので懐中電灯のような魔道具で照明を焚いて視界を確保する。
観衆の目さえ気にしなければ神の眼はとても便利な照明代わりにもなるが、水着姿を映さないことによる男性視聴者からのヘイトは凄まじいものとなる。その分深海目当ての魚人からは喜ばれるだろうが、やらない方が無難だろう。そのため神の眼の操作についてはエイミーに任せて、努はクロアと共に探索の先導を担うことにしていた。
(喋れないの、地味に不便だよな。対策しなきゃスキル使えないのも大きいし、これで戦闘するのは相当厳しい。恐らく刻印士の60か70レベル辺りにそれ対策の刻印あるんだろうな)
とはいえ111から113まで続く深海階層は一度も戦闘せずに抜けることも可能だ。基本的には特定の魚群に付いていけば黒門に辿り着くようだが、それを見つけるには多少の慣れがいる。ただクロアは大した実力もない探索者アイドルたちのキャリーを何度もしてきたからか、140階層までの攻略には長けていた。
(ベテランのダイバーって雰囲気で頼もしいな。服装は不真面目だけど)
片手でちょいちょいと誘導したり、この先にはモンスターが多いので迂回しようなど、ハンドサインとわかりやすい表情で的確に指示をくれるクロアは頼もしい上このうえない。ただ水着に関しては女性陣の中でもぶっちぎりに露出度が高いビキニなので、アイドルも大変だなと思う。
(刻印装備じゃなかったら凍え死んでそう。実際、初めて潜った探索者からすれば初見殺しもいいところだろ)
深海階層の温度はおおよそ2℃らしいので、とても海パンとゴーグルだけで泳げるような環境ではない。刻印装備様様である。
そして長年地味に気になっていた獣人の尻尾の付け根もクロアの後ろ姿で確認して努は満足しつつ、彼女の案内に従って適宜照明を焚きながら付いていく。
(たまにモンスターとぶつかっちゃって逃げ帰るしかなくなる、なんてこともあるって聞いてたけど、クロアの進行なら大丈夫そうだな。エイミーたちも最早観光気分だし)
ぽわぽわと光るクラゲを指差してぼごぼご空気を漏らしているユニスに、何やら水中でも戦えるか試すように拳を振っているハンナ。そしてそれを上手い具合に神の眼を操作して撮っているエイミー。今頃神台ではダイビング特集のTV番組のような映像でも流れているだろう。
(大体こういうステージは深海の主、みたいなものが底の闇から現れるってパターンが多いんだけど、黒門があるような浅瀬は平和っぽいな。アルドレットクロウが深海用の刻印装備作って、魚人たちがこぞって潜れば何か見つかるかもしれないけど)
意外と素通りできるような場所には大抵何かしらの隠し要素があることはテンプレなので、努としてもこの深海階層に何があるのかは興味があった。ちゃんと粘ればカミーユと同様の刻印装備を作成することも可能なので、自分で潜って確認することもできる。
ただこういった隠し要素を自分一人で探求するのは、成果が大きい分非常に骨が折れる。それに深海に関してはそもそもその場所に関心がある魚人たちがいる。そこと深海探索で張り合うのは分が悪い。
(ルート開拓、割と好きではあるけどそれだけに時間かけるほどでもなかったしなー。やるにしてももう少し人口が絞れてる場所にしないと、成果だけかっさらわれるのもあるし)
なので努は深海探索が活発になる切っ掛けこそ作りはしたが、開拓に関してはカミーユ率いるギルドと深海大好きな魚人たちに任せていた。
とはいえ最近カミーユが発見した沈没船らしきものと新種のモンスター、なんて情報を見ると後ろ髪を引かれる思いをすることも確かなので、うーむと腕を組みながらも深海階層を順調に進んでいった。
ガルム「見たけりゃ見せてやるよ」