第470話 単なる餌要員

 

「風呂入りてー」


 結局丸一日81階層で過ごす羽目になり努はげんなりしていたものの、刻印に没頭しつつセーフポイントで久しぶりに長い睡眠を取ったことで意外と悪くない休日を過ごしていた。


「……では、次は闇精霊のレヴァンテとの契約を」
「うっそだろお前。今日はもう帰って寝なよ」
「結局アスモとは契約できてません。レヴァンテ欲しいです」


 それに反してリーレイアはほとんどの時間を蛹化したアスモの前で過ごし、大した睡眠も取っていないようだった。しかし黒門からギルドに帰ってきた後も緑の瞳はギラギラしている。もしかしたら雷鳥のように闇精霊とも契約できるかもしれないという期待感が彼女を突き動かしているようだ。


「レヴァンテと契約できれば160階層が劇的に攻略しやすくなる、なんてこともあるかもしれません。現にアルドレットクロウの二軍は闇精霊を扱える精霊術士を入れていますからね」
「突破できてないでしょ。そもそもタンクが溶けてるし。精霊術士五人PTとかならワンチャンありそうだけど」
「ツトムと契約したら人魚にでもなりそうじゃないですか。人魚ですよ、人魚。とびきりの」
「風呂入りたいし帰るよ」
「……帰ったが最後、寝ますよ」
「いや、寝ろよ。明日は探索なんだし」
「ちっ」


 そうこう話していると突然後ろから舌打ちが聞こえてきたので、努は通行の邪魔にはなっていないことを再度確認しながら振り向く。


「……あぁ、アーミラね。ご苦労様です」
「うぜぇ」


 今日は朝から珍しく黒の門番をしていたアーミラは、そうぼやきながら慣れた手つきでポケットから煙草を取り出す。そして軽く龍化しながら口元に咥えて火を付け、努を追い払うように紫煙を吹き付けた。


「……あれ、煙草吸うんだ?」
「わりぃかよ」
「別に悪くはないけど、吹きかけるのは止めてくれる? 普通に不愉快だけど」
「…………」


 しっしと煙を手で払って結構な嫌悪感を見せてきた努に、アーミラは少し意外そうにしながら煙草の火を指でつまみ消す。


「おや、今日は随分と珍しい時間に勤務しているのですね?」


 その行為に努がギョッとしている間に、後ろにいたリーレイアもアーミラにそう指摘した。そしていつものように返ってこない返事を待った後、思いついたかのように努の肩にしな垂れかかる。


「昨日はツトムが寝かせてくれなかったので、すっかり寝不足です」
「……は?」
「僕を会話のダシにするんじゃないよ。お前はアスモに夢中で寝不足になっただけだろ」


 そう言って肩を揺するとリーレイアはすっと離れながら深い緑色の目を細める。


「実際寝にくいことは事実でしたけどね。神の眼も届かない階層ですから証拠も残しづらいですし、寝ているところを襲われてはたまったものではありません。乙女の密かな気遣いもわからないとは」
「やかましい。そもそも――」
「それな。ツトムなら瞬殺だろ。まぁ手を出す気概もねぇと思うけど」
「うるさいよ」
「どうでしょうね。今は刻印するといって夜も出かけていますが、その裏で何をしているかわかったものではありませんから」


 竜人二人に好き放題言われて途中言葉も遮られた努は諦めたように肩を落とすに留めた。その後も二人は話し込みそうだったのでそそくさと離れてクランハウスへの帰路につく。


「こんにちはー」
「……うす」


 その途中で努は神台市場に寄り、森の薬屋で青ポーションを買い始めたぐらいの頃から交流のあった魔道具職人の出店に顔を出す。アルドレット工房によって本格的に干された数ヵ月前には目を逸らしていた彼も、何かと顔を出しては挨拶してくる彼をずっと無視することは出来なかった。それに商品の売買などもしていないので、アルドレット工房から咎められることもない。

 努は平日探索した後の帰り道で通る店には顔を出しているし、休日も110階層に潜らなくなってからは神台を見ながら刻印することが多くなった。そのため以前のようにほぼ毎日のペースで神台市場に顔は出していて、無視されるのも構わず挨拶回りをしていた。


(ゼノ工房経由で刻印装備広げられるとはいえ、流通先が一つだけなのは厳しい。リスク負って味方にまで付いてくることはないだろうけど、何かと黙認してくれるだけでこっちとしてはありがたい)


 まだ最前線レベルではない努が作成した40前後の刻印装備は、決定的な需要を満たしているわけではない。だが深海階層に潜りたがる魚人たちのようにニッチな需要を満たすことは可能なレベルではある。そして現在神台を見るにオワタ式のような攻略をしている160階層でも、刻印士のレベルが50、60となれば対策装備を作れる可能性がある。


(高レベルの刻印を回すには僕の生産時間と莫大な金が必要だ。そのためにも刻印装備の流通先は何としてでも確保したい)


 その一環として努は無愛想で中には邪険にすらしてくる輩にでも、以前から関わりがあり腕もある各職人たちを見つけては軽く挨拶していた。


(ちょー嫌そうでウケる。挨拶してくるだけの奴を無理に追い払うわけにもいかないもんな)


 勿論アルドレット工房からの圧力を恐れて無視する者がほとんどだったが、努は挨拶するだけで何か取引を持ち掛けているわけでもない。店を開いている以上そんな男をそこまで無下にすることもできない。

 それを何十日も繰り返されて段々と無視を決め込むことも出来なくってきた職人たちの店回りを済ませながら、努は今後雷鳥にアスモ、闇精霊のレヴァンテとの契約も控えているので魔石換金所へと向かう。


「嫌われてる癖してよくやるよね。面の皮が厚いというか」
「みんな君みたいに魔石と金基準なら楽なんだけど」
「うっさいわ」


 今も下町にある工場のような場所で魔石の取引をしているドーレンの孫娘は、相変わらずその外見通り小生意気に息巻く。そしてすっからかんになった光魔石をそこで補充した努は瓶詰めされて売られている質の悪そうな刻印油や、ジャンク品のように紐で吊るされている他の魔石を眺める。


「外装自体はそこまで変わってないけど、商品は前より充実してるね。質も値段も相応だけど。あっちは高級品でも置いてあるの?」
「入りたかったらオーリでも連れて出直してきなよ」
「こういう魔石持って来たんだけど」
「……微妙なラインのやつばっかじゃん」


 そうは言うものの努がいくつも出した魔石は鼻で笑って突き返すような物でもない。深海階層でフグのような見かけをしたモンスターであるグフタフが吐き出すことで採取できる水の小魔石は非常に高品質なので、富裕層向けとして扱われることが多い。特に深海階層にも詳しいクロアが魚群の中に混じるグフタフだけ上手く狙ってハンマーで殴打して吐かせていたため、それ関連の魔石は多く手に入れていた。

 その他にも深海階層でたまに流れている水魔石は明らかに高品質なため、一定の需要がある。喉から手が出るほど欲しくはないが、魔石を扱うことを生業としている者からすればストックしておきたいぐらいの絶妙なライン。


「これとかも若干レアでしょ。グフタフの中で混じったやつ」


 深海のどこからか魔石をいくつも丸呑みにしてストックしつつ徐々に消化していく習性を持つグフタフは、稀に何かの間違いで複数の魔石を結合してしまうことがある。その典型的な例である水と火の魔石が混ざった物を台に置くと、彼女は茶色い眉を顰めた。


「レアっちゃレアだけど、実用性ないし」
「それならギルドで売るけど」
「買わないとは言ってないじゃん。せっかちかよ」


 受付台に置いた混合魔石を取り下げようとしたところでひょいと手に取った彼女は、少し見定めた後に引き出しからしなやかな布を取り出して丁寧に拭いた。


「他は? あんた刻印階層ばっか潜ってたし、そこの魔石もあるでしょ」
「そっちは少し取っておきたいからあんまり市場には出さないかな。後で化ける可能性もあるし」
「だったらもうアルドレット工房が買い占めてるでしょ」
「んー、確かに持ち腐れになることも否めなくはあるけど」
「……否め? つまり、どういうこと?」


 単純にアルドレット工房の生産職が無能であれば刻印階層の魔石による何かしらの可能性を見逃していることもあるが、恐らくそれはないだろうと努も思ってはいる。それこそ百階層の次があると知った当時の探索者たちはこの先行利益を誰にも渡してなるものかと奮起したに違いないし、その当時最前線だった刻印階層の攻略と研究は相当な人数で進められたはずだ。

 自分には神のダンジョンに酷似した『ライブダンジョン!』を攻略した経験があるとはいえ、研究しつくされた階層で新たな発見を一人で発掘することは不可能に近い。それこそ刻印階層でドロップする少し黒色が混じった魔石は刻印関連に使えるのではないかということも、当然数多く検証はされているだろう。そして検証の結果関連がないと判断されたからそこまでの価値を見い出せられてはいない。

 ただ、もしかしたらこの魔石もワンチャンあるのではないかという期待もしてしまうのだ。一年後には刻印魔石とでも名付けられて、刻印士には必須の素材に成り得るのかもしれない。

 なので努は刻印階層でドロップした魔石の中で刻印油が混じったようなものは取っておいてあるが、彼女の言う通り宝の持ち腐れになることも否めなかった。それこそ転移してきた発展途上の時ならまだしも、今では迷宮都市も大分発展してきている。


「実際一理あるし、半分は出すよ。僕が溜め込んでるよりは価値があるだろうし」
「あっそ。まっ、私は別にどっちでもいいけど。……あと、鑑定してる間ならあっち見てきてもいいよ。あんたの持ってくる魔石、査定出すのめんどいやつばっかだから時間かかるし」
「いや、別にいいです」


 親切心でそう勧めてやったのに驚くほど素っ気ない反応をされた孫娘は、意味がわからなそうに目をパチクリとさせた。


「何で? 精霊にあげるなら高品質の方が喜ばれるって聞くけど。光魔石、もっといいやつあるよ?」
「確かに高品質な魔石あげると精霊が喜びはするけど、精霊術士見てる限りそれとこれとは別な気もするんだよね。……おじさんがいくら女の子に貢いでも恋愛には発展せずにただの金づるとしか見られない、みたいな感じ?」
「何それ、かわいそ。……え、じゃあ精霊術士の人たちって、そんな感じなの?」
「あくまで僕の予想だけどね。実際精霊との親愛度上げてるの、常日頃の魔石じゃなくて各精霊に対応したダンジョン産のドロップ品のおかげだとは思うけど」


 精霊に魔石をあげることは『ライブダンジョン!』における消費アイテムによるただのエモートだと努は認識しているので、魔石での餌付けは誤差の範囲だと思っている。するとドワーフの孫娘は気まずそうに目を逸らす。


「……それ、あんまり広められると困るんだけど。精霊術士、結構なお得意さんだし」
「……まぁ、仮にそれが広まったとしても一定の需要はあるし問題ないと思うけど。精霊が魔石食べる姿に喜ぶ層は意外と多いし」
「あんたから聞いたことは、忘れることにする。明日から精霊術士が来る度に心から魔石勧められなくなるのは嫌。……うちのフェンリルは刺々しい氷魔石が好みだとか言ってる人が、精霊からはただの金づる扱いされてるなんて思いたくないし」
「無駄な努力お疲れ様、とでも思っとけばいいんじゃない?」
「あんた刺されるわよ、精霊術士に」


 少し立ち話も過ぎたところで鑑定待ちの割り印を受け取った努は、職人たちに前向きな嫌がらせをしながらクランハウスへと帰っていった。

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