第490話 不可視の怒り

 

「どうも」


 モイの手足から結構な血が流れていたせいか、野犬のような顔つきの浮浪者から受け取った緑色の杖は嫌になるほどベタついていた。努の張り付けていたような愛想笑いが欠けそうになる。

 その先には人の手足と自分が刻印を施した純白の大剣が無造作に落ちていて、瀕死の孤児たちが何人も見える。気持ちが悪い。人の四肢を斬り落とすことを厭わない探索者の価値観も、動けない少女の装備にすら集れる人間性すら失った者たちも。

 だがこれがこの世界の常識だ。別の世界からお邪魔している立場の自分がどうこう言っても変わるわけがないので、それに順応しなければならないだろう。だからこそ135階層では自分の中の一線を越えた。


「あの、帰ってもらえます?」


 この浮浪者たちも別に好き好んでモイの装備を奪っているわけではないだろう。それこそ自分だって明日の飯もないような状況に陥ってしまったのなら、金品を身に着けた動けない少女がいたら襲ってしまうかもしれない。

 そんな理論を並び立てて何とか表情と言葉を取り繕った努に、浮浪者たちはおずおずといった様子で離れていく。

 そして事が終わるのを待つかのように遠巻きで待機し始めたのを見た努は、顔をわなつかせて緑色の杖を振るった。


「エアブレイドッ」


 巨大な風の刃は浮浪者たちの真上にある廃墟を削り取る。頭上からの轟音と風圧に頭を押さえて驚いている者たちに努は血濡れた杖を再度向ける。もううんざりだった。


「消えろぉ!! 今すぐ!!」


 その怒号と杖を向けての脅しで浮浪者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。そんな彼の剣幕にガルムは目を丸くし、アーミラはぞくぞくしたような顔で煙草を片手に振り返る。


「はっ。ディニエルに撃たれた時にも、そんな風に怒ってたのか? 嬉しいぜ。俺は直接見てなかったからな」
「…………」


 ミルルから献身的な治療を受けて起き上がれるくらいまで回復していたダリルは、彼女の言葉に複雑そうな表情を浮かべる。二人はその現場に立ち会うこともなく、後日そのことを告げられたに過ぎなかったからだ。

 そんな二人を見て努は落ち着きを取り戻そうと深いため息をつき、ガルムの隣で歩みを止めた。135階層での出来事を未だに消化しきれていなかった故の爆発。それを自分の刻印した大剣で孤児を斬ったであろうアーミラにも向けたくなりはしたが、彼女の言葉を聞いていたダリルの顔を見て少し冷静になった。


「……二人だけ突然放り出した形になったことについては、悪かったと思ってるよ」
「三年前のことを今更謝られてもな。どうでもいいわ」
「どうでもいいと本当に思ってるなら、わざわざ話題にも出さないと思うけど?」
「……減らず口は相変わらずか。俺はさっきの方が好みだぜ」
「そっちも相変わらず暴力的みたいだけど、探索者から警備団に転職でもしたのか? やり口がらしくもなく陰険だけど」


 血に濡れた手で口を押さえて声にならない叫び声を上げている少女たちを見るに、舌を斬って口封じでもしたのだろう。対探索者を想定している警備団のようなやり口で無力化されている孤児たちを眺めてそう投げかけた努に、彼女はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「警備団ならもっとえげつねぇ手を使うだろうよ。ギルドの門番も最近は大変なんだ。俺も大人になったんだよ。まだ甘ったれでうじうじしてるあいつとは違ってな」
「こんなに散らかしておいて何が大人だよ」


 努が地面に落ちていた血だらけのナイフをアーミラの方に蹴飛ばして滑らせると、彼女は不思議そうに首を傾げながらそれを足で止めた。そして何とか這いずって逃げようとしていたリキが目に入り、思いついたように大剣を手に持つ。


「おい。まだ途中だから逃げんじゃねぇよ。まだ一本ずつ残ってる、よなぁ!?」
「ひぃぃぃっ」
「止めろっ!!」
「……あ?」


 リキに向かって大剣を振り上げたアーミラに向かって努が叫ぶと、彼女は不愉快げに眉を上げた。そして大剣を手放し距離を詰めて努の胸倉を掴んだところで、ガルムに半身を入れられて静止させられる。

 ただガルムも彼女に害意がないことはわかっていたのか、あくまで軽く止めただけだった。そしてアーミラは努を安心させるようにその表情を緩めると、リキに会話を聞かれないよう顔を寄せて小声で囁く。


「脅し役は俺がやる。お前はそのまま庇っときゃいい」


 したり顔でそんなことをのたまう彼女の意図こそ伝わりはした。要するに良い警官と悪い警官のようなものだろう。あまりに粗暴な彼女を止めればリキたちは恩義を感じるだろうし、それでいてここまで残虐なことができる彼女と関係がある自分に仕返ししようとも思わない。


「は……?」


 だがそんなものは余計なお世話にも程があるし、自分の価値観とかけ離れすぎている。そんなアーミラの胸倉を掴んで押し返すように顔の距離を離すと、彼女は困惑したように眉を曲げた。


「……何だよ? ……あぁ、もしかしてダリルと戦ったことにでも怒ってんのか? お前は知らねぇだろうが、そもそもオルファンの排除はあいつが提案したことだ。俺はそれの尻拭いをしてるだけだぜ?」
「オルファンをこんな風に排除しろと、僕はアーミラに頼んだか? ダリルから頼まれたとも思えない。何してるんだ? お前」
「……お前こそ、あんな顔新聞で晒しといてよく言うぜ」


 どうも得心がいかない顔で見当違いな反論をしてくるアーミラ。その姿は努からすると純粋すぎる子供に見えた。大人が虫を嫌いと言うから足や羽をもいでその成果をこれ見よがしに見せてくる、浅い良心を持った子供。

 正直言って気持ちが悪いにも程がある。強烈な嫌悪感。これが135階層の自分を思いやっての行動だというのなら、勘違いも甚だしい。先ほどの浮浪者たちと同じように強く拒絶してやれば自分の間違いに気付くだろうか。


(……子供だったのは、僕もだろ)


 だが主観を勝手に押し付けている今の彼女と同じようなことを、以前の自分もしていた。数年の時を過ごしたクランメンバーたちへ何も言わずに遺産だけ残して消えようとしていたこと。

 それは二度とこの世界に戻ってこれないと考えた上での独断だったが、今振り返ってみれば逃げの自己満足でしかなかった。故郷に帰りたいことを説明して話し合えば決裂こそあっても、ここまで拗れることはなかっただろう。

 そんな自身の経験があったからこそ、努からすれば嫌悪感が湧くほどの凄惨さを見せつけられても冷静になって対話することができた。


「……僕のことを考えて動いてくれたこと自体は嬉しいけど、あんな顔晒してた奴が今の状況を見てどう思ってるかは想像できるだろ」
「…………」


 その言葉を聞いて考え込むように視線を落としていた彼女の胸倉から手を離し、訴えかけるように両肩を掴む。


「僕はこんなことをさせるために刻印装備を贈ったわけじゃない。神のダンジョンを攻略するためだ」
「……んだよ、それ。別に俺は、そんな……」


 それでようやく察しがついたのか、アーミラは気まずさを紛らわすように震える手で煙草を取り出そうとポケットを漁る。そんな彼女を生暖かい目で見ながら努は表情を緩めて提案する。


「だから、今度からは軽くでいいから事前に話してくれ。オルファンについてはこっちで穏便に対処できる算段はあったし、その中でアーミラが協力してくれるなら助かったと思う。……まぁ、あの時に黙って帰った僕が言うのもなんだけど」
「……そりゃ、そうだ。……くそ。黙って消えやがって、馬鹿が」


 吐き捨てた煙草を踏み消して呟いた彼女は力なく努の胸に頭突きしようとしたが、事前に張ってあったバリアがそれを防いだ。


「…………」


 開かない自動ドアにぶつかったようにでこを押さえて見上げてくるアーミラに、努は目で謝りながら落ち着くように手で諭した。

 それからささやかな攻防こそあったが、バリアが割れるまでには至らなかった。そして努はミルルの手によって回復していたダリルの方に目を向ける。


「ダリル」


 感情を露わにしてアーミラと話していた努を見て目を見開いていたダリル。そんな彼に武器を収めたガルムは前に出て声をかけていた。それから何かを言おうとしたが口を噤んで犬耳は萎れ、発する言葉を模索するように藍色の尻尾が渦巻く。

 あまりにも沈黙が長かったのでその隣から様子を窺うように顔を出してみたが、どうもガルムから話したそうだったので努は引っ込んだ。すると彼は不甲斐なさげに頭を掻いた後、改めてダリルに向き直る。


「ミルルから事情は聞いた。だがお前の口から直接聞かなければと、私は思う。オルファンのことも、これからどうしたいのかも」
「…………」
「飯でも、どうだ。久しぶりにダディの焼いたステーキを食いたい。ツトムも連れてな」


 随分と昔のことのように感じる三人での思い出。今ではシェルクラブも早々食べられるものではなくなったし、店自体も大分変わっている。


「……もう今じゃ、人気で予約も取れないですよ」
「コリナが計らってくれている。二週間後だ。空けておけ」
「……はい」


 有無を言わさぬようなガルムの言葉に、ダリルは俯きながら答えた。そんな二人を見て努はおどけたように呟く。


「……二週間後、空いてたっけな」
「…………」
「物凄い目つき。ほら、刻印装備の納品があるからさ」
「空けておけ」
「わかってるよ。それじゃ、本格的に治していきますかー。アーミラー、煙草吸ってないで運んでこーい」


 既に応急処置は済ませているのでそこまで痛みはしていないものの、未だに重傷な者が多い孤児たちを見回した努は本格的な治療を開始した。

 

 コメント
  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:26 PM

    本当に努は大人になったなぁ! そうだよ、全部あの時仲間を信頼して説明した上で別れてればこんなにこじれなかったんだ。 ちゃんと努もわかってたんだな、よかった。 アーミラを適当に持ち上げるでも拒絶して突き放すでもなく、正面から向き合えてのは本当によかった、やっとアーミラと再会できた感。

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:29 PM

    普通なら頭をトンって胸に当てて服でもギュッとするところだが、デコがガンつってバリアに阻まれて見上げるのはライブダンジョンぐらいだろう
    ていうかアーミラやっぱ寂しかったんやなってヒロインポイント高いぞ、努からしたらマイナス補正も大きそうだけどw

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:29 PM

    ツトムとアーミラの成長が感じられる良い回

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:35 PM

    アーミラやっぱかわいいなあ。
    ハイティーンぽさがすごいリアル

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:36 PM

    努のシャウト久しぶりやね。
    それぞれが間違いを間違いだと認められずに絡まってた状況が解けたみたいで……ええ話やわ。
    努はどこか一歩距離引いているような態度だったし、穏便に遠い距離から解決する手段にも興味あったけど、ぶつかり合えて良かったとも思うわ。

  • 矢上 より: 2021/10/29(金) 10:40 PM

    今回のお話すごく好きです
    決着の仕方がとても良かった

    当時突然放り込まれて帰りたいのに帰れるかもわからない追い詰められた精神状態で冤罪で社会的に潰されそうになったから二度とされないように潰しただけですもんね

    無限の輪との別れも仲間に話して帰れないのが怖かったからあんな風に拗れたんだろうし…

    努は捻くれているだけで悪人ではないし小心者だから自分をさらけだしたりしないから誤解されるけど

    今回は心に余裕があるから前より仲間に対して歩み寄れたのが今回の着地点なんだなと思ってほっこりしました

    面白かったです

    更新ありがとうございました

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:43 PM

    お互いに大人になっていい感じに落ち着いたな。オルファンは圧倒的な暴力で押さえ込んだだけで解決しているんだかしていないんだかまだわからんけど、相当頭悪くない限りというかイカれてない限りツトムには近づかんだろ。それともツトムが進むべき道を指し示すのか。昔のツトムなら警備隊に投げてガン放置なんだろうけど、ダリルの件も含めて何かしらアクションは起こしそうかなあ。ともかく昔の仲間集合編の第一部完か。次は普通に考えればゼノかな。それとも最後が意外にゼノは拗らせていて、先にディニエルの可能性も?とにかく楽しみ

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 10:52 PM

    なんでこの作品が打ち切られたか分からない
    本当に面白いわ

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:05 PM

    こういった心の成長の描写も好きです。

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:06 PM

    匿名 より: 2021/10/29(金) 9:20 PM
    あー、じゃあ現実で考えてくれ。
    現実というか努の元の世界の話で言ったら努がミルルにやったことは裁判やクレーム。
    努は冤罪を晴らして加害者に社会的制裁を与えただけ。例えば某上級国民の事件あったよね、あれを日本人はどう思うか。お爺さんは早く罪を認めて償って欲しい、刑務所に入れられて欲しい。そう思うのが普通の日本人だと思う。ただそこに暴力は介入していない。社会的制裁や罰則は必要だが、暴力を持ち出すと犯罪者と変わらなくなる。
    努の倫理観のラインはそこにあると思う。

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:09 PM

    更新ありがとうございます!
    ツトムが成長してる………!ちゃんと話さないまま帰還して謝罪も「悪かった」の一言で済ませてたのは気になってたんですけど、今回で真っ直ぐ向き合ってくれて嬉しいです!
    しかしリキ達相手に穏便な対処を考えていたのは少し意外でした……
    まあミルルに制裁した頃のツトムは今よりずっと余裕も無かったしこの世界を現実と受け止めきれてもいなかったから、ゲームで悪質プレイヤーを引退に追い込む感覚でやり過ぎてたんでしょうか
    本当に変わりましたねツトム……

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:17 PM

    開かない自動ドアはさすがに草

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:17 PM

    努が帰還する時の自分の行動を振り返って反省してることが知れて良かった。
    ようやく物語らしくなったかなって。
    これからも楽しみにしてます。

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:20 PM

    ツトムのバリアは鉄壁だな!
    時間を2週間置いたってことはその間にまた何かあるのかな?
    というか、その間、オルファンの連中はどう扱うのかしらん。
    毎回続きが気になります。

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:28 PM

    2週間という期間でオルファンの動向やダリルの気持ちの推移を描いてくれそうだね
    もしくは少し触れる程度で一気に2週間後に飛ばすか
    あとは他のキャラの視点も見たいし、そういえば街中のフライって禁止じゃね?怒られるのかな

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:38 PM

    なんか綺麗にまとまったように見えるけどリキ達はどうなんのかな。というかそろそろ死んじまわないかこれ。

  • カミヤ より: 2021/10/29(金) 11:46 PM

    丸く収まって良かった良かったw

    努も大分この世界に馴染んできてしそのうちブラックラグーンのロックみたいにならないかなぁと少し期待しているw

    アーミラがレヴィ役やればぴったりだと思うんだよなぁwww

  • 匿名 より: 2021/10/29(金) 11:49 PM

    努の穏便な対処って襲撃きたところにガルムで返り討ちにして警備隊に突き出す案ではw穏便なのかどうなのか
    まあガルムならあっさり失神させて終わりだろうけどね

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:14 AM

    ツトム今まで散々クズ行為してきたくせに、それ棚に上げてアーミラに説教してマウントとるんかぁ
    なんか幻滅したわ
    小物過ぎる

  • べるふぇる より: 2021/10/30(土) 12:22 AM

    やっぱり努は日本人。なんだかホッとする。
    にしても……努の成長が良い。前なら間違いなく距離置いてたと思うけど、少し歩み寄ったのがもう……。

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:39 AM

    更新ありがとうございます。
    警備団の鎮圧はもっとえげつないんですね…日本人の価値観とはかけ離れてるなぁ…
    まぁ、逆もあり得るかもしれないけど。つとむさんの穏便な対応がこの世界で穏便な結果になるかは分からんし:。

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:46 AM

    更新ありがとうごさいます!
    ゴリナ今どうしてるんだろ

  • もやし より: 2021/10/30(土) 12:49 AM

    更新ありがたい

    やっぱり努は一回帰らないと精神的にやばかったと思う

    それはともかく努なりの穏便も見てみたい気がするなあ
    どんなのか分からないけど、個人的にはガルムとダリルのタンクコンビで挟んで人間卓球でボコボコとかもありかもと思う
    実際にはそういう機会、流石になさそうだけど
    到着までの経緯もちょっと気になる
    このアーミラの不器用さ見たらリーレイア鼻血出したかね

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:53 AM

    アーミラがめちゃくちゃヒロインムーブしてる…

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:58 AM

    なんというか、どのキャラクターも『らしい』感じがしてよかったです。

    どのキャラクターにも拘りがあって、譲れないことや過ちがある。

    アーミラは強さに拘るし、ダリルは甘さがある。
    ツトムは最低限の安全マージンを取りたがるし、暴力を嫌う。

    どれも長所にも欠点にもなる。

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 12:58 AM

    丸く収まりそうで良かったよなあ
     
    2週間後の会食が楽しみやな

  • 上手くいくはずがない より: 2021/10/30(土) 1:02 AM

    食事に毒するかどうか期待して仲直りさせない

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 1:06 AM

    なんか努にがっかりしたわ

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 1:12 AM

    現実の鎮圧でも銃社会なら犯人の命は二の次だからな
    手錠かけて終りにならないなら物理的に行動封じるしかないし
    警備団だと捕まえた後のこともあるからね

  • 匿名 より: 2021/10/30(土) 1:21 AM

    バリアでゴンッからのささやかな攻防はコミカライズがめっちゃ楽しみ

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