第533話 仮初の不死
「これでもうレベルは大丈夫そうだね」
「この調子なら160までいけるんじゃ……?」
「僕もやってみた感じだと150から露骨に経験値効率下がるから、取り敢えずここまででいいよ。160階層突破した後に上げればいいし」
もりもり上がっていく給料明細でも見ているように興奮していたダリルに、努は渋そうな顔で答える。彼のレベル上げも順調に進み150まで到達したので、ウルフォディア戦で呪寄装備込みでも即死はしないステータスにはなった。
「先は越されたみてぇだけどな」
そうぼやいたアーミラはやけに騒がしくなっていたギルドを見回す。
その後ギルド職員に聞いたところ、どうやら努たちが157階層に潜っている間にアルドレットクロウの一軍が160階層を突破したようだった。数ヶ月に渡り天空階層を守り抜いてきたウルフォディアは、ユニークスキルを持たない白魔導士と弓術士二人に敗れた。
神台から見ても針に糸を通すような場面の連続だった。だが二人は遂にそれを完璧に成し遂げ、仲間と探索者たちの熱狂によって黒門からの帰還を迎え入れられた。
努たちが帰ってきた頃にはその余韻しか残っていなかったが、ギルド内はどんちゃん騒ぎした後のように酒の匂いでむせ返り床には小銭や屑魔石が散らばっていた。祭りの後に残った食器の上に残る食べ残しを、食堂のおばちゃんが淡々と回収している。
「喜ばしいことだが、時間帯はよろしくないね。想定外に事が上手く進んでしまったのだろうが、出来れば夜がベストだっただろう」
「関係各所ブチ切れてそう」
ゼノの推察する通りアルドレットクロウの一軍は観衆やスポンサーに配慮した時間帯での突破を目指してはいたのだろうが、ウルフォディア戦が想定以上に上手くいっている時に加減なんて出来るわけもない。
そんなわけで観衆がまだそこまで賑わってはいない昼過ぎに突破してしまったようだ。夕刊を出すにはタイトなスケジュールかつ、朝刊では情報が遅すぎるタイミング。迷宮マニアたちはこぞって神台で見た映像を文で伝えるために筆を走らせ、挿絵担当は描き直しが許されない。
アルドレットクロウの一軍マネージャーからしてもさぞ頭の痛い出来事だろうし、二人に嫌味の一つでも漏らしているだろう。とはいえ初お披露目な161階層という目玉はあるため、夕方以降の取れ高は見込める。
「紅魔団が失速してくれたのは、ツトム君からすればありがたいのかな?」
「まぁ、あそことハンナのPTが仮想敵だったしね」
紅魔団はミナの今後を考えて呪寄装備が流通するまでは構成を変え、アルマとヴァイスの二人PTに切り替えた。とはいえ彼女はモンスターの殲滅力こそあれ、ミナのようにユニークスキルもなければディニエルのように避けタンクも兼用できるような身体運びはできない。
それに紅魔団が所持している黒杖の性能は現在の環境ではもうそれほど特異的でもなく、適性のある白魔導士でなら実用性があるレベルだ。ユニークスキルによる自然回復持ちのヴァイスがいるにせよ、紅魔団の二人PT突破はもうないと考えていいだろう。
ハンナは案の定160階層でも期待できる活躍を見せ、迷宮マニアからの注目を浴びている。完璧を目指すアルドレットクロウと対になっていたシルバービーストに代わり、彼女は魔流の拳を扱い観衆の度肝を抜く独創的な立ち回りを見せている。
それこそ昨日はあと一歩のところで突破も有り得たぐらいにウルフォディアを追い詰めていたので、現状では第二の突破候補だろう。
それに比べるとその他の最前線であるシルバービーストやアルドレットクロウの二軍三軍は何かが足りないと言わざるを得ないので、恐らく適性の刻印装備がなければ厳しい。ただ努の販売は中堅に絞っているため突破は絶望的だ。
「金色の加護、派生スキルでも出たらいけそうなんですけどね」
「ルークさんも、ちょっとズルくないですか? 守護者召喚、かなり強いですよね」
ただ天空階層の刻印装備を持ち、今後は浄化対策の呪寄も出回る予定のある中堅どころ。その中でもユニークスキルによるステータス上昇で呪寄によるデバフを無効化できるレオンは、少し可能性が見え始めていた。
それにコスパの悪さから引退者が多かった召喚士でも、クランリーダーと兼任して細々と探索者を続けていたルーク。少し前からは探索者専業となった彼も天空階層では頭角を現してきた。
階層が上がるにつれてモンスターの強さはインフレしていったが、探索者はサブジョブの縛りによる制限でまだほとんどの者がそれに追い付けていない。だが召喚できるモンスター自体はインフレしているものと性能は同じのため、相対的に召喚士は強くなっていた。
今まではモンスター召喚による甚大な魔石消費がネックだったものの、刻印によるドロップ率UPで特定の魔石調達が以前よりも楽になった。その環境がルークを後押しし、召喚士としての地力の高さも相まってウルフォディア戦では階層ごとの守護者を召喚しかなりの戦力となっていた。
「今の呪寄ならそろそろ実用できるラインだし、箔が薄れない内に突破したいね。いずれは二人縛りで拮抗していた相手に、五人で乗り込む弱い者いじめにしか見られなくなりそうだし」
「……なんか、本当にそうなりそうで怖いんだけど?」
「実際、数々のPTが突破してしまえばそうなる可能性は高いね」
そんな努の神台を見ながらのぼやきに、ソニアは大きい鼠耳を萎れさせながら縋るようにゼノを見上げる。だが彼からもそんな返しをされたので、口をわなわなと震わせたまま下向いた。
実際にここ数ヶ月間は最前線組としてウルフォディアに挑んできたソニアからすれば、努の言葉は荒唐無稽に聞こえる。
だが三年ぶりという致命的なブランクがあったにもかかわらず今となっては刻印士として一番の座につき、探索者のレベルすらも短期間で150まで追い付いてきた事実がある。そして刻印装備での能力底上げに浄化対策も済んだとなれば、確かに160階層の難易度は劇的に下がるだろう。
「……とはいえ、普通に戦っても強いですよね? ウルフォディア」
「そりゃそうだけど、それは女王蟻戦でも同じでしょ。それに僕の刻印装備と重騎士でそのレベルあれば、ちょっとやそっとじゃ死なないよ。むしろ死んだら恥ずかしいレベル」
「プレッシャーのかけ方尋常じゃありませんね?」
「装備ロストしたら下手すりゃ破産だからね。恐ろしい時代になったよ」
今まではダリルの装備がどれだけ壊れようが大して気にもしていなかった。だが刻印装備の中でも難易度の高い経験値UP中や、六つ以上の刻印が刻まれた大盾の破損には努でも目の色を変えざるを得ない。
そんな彼の実感が籠った言葉に、半笑いだったダリルの顔はみるみるうちに引き締まっていった。それを見た努は思わずくすくすと笑いながらダリルが背負っているタワーシールドを指差す。
「工房に足元を見られてる前提の話だけどね。それに重騎士は大盾二枚持ちだからまだマシだよ。装備を分散できないジョブが厳しいね。こういうローブとか、武器とか」
「……ちなみに、今の装備っておいくらぐらいなんですか?」
「聞かない方がいいと思うよ。まぁ、一層大切にはしてほしいけど」
「原価だけでも億はいくのではないかね?」
最近はゼノ工房での事務も再開したゼノの試算に努は笑顔だけを返し、ダリルは震えてかたかたと鎧を打ち鳴らしていた。
「つーことは、また初見突破狙いか。ツトム様不死伝説も継続だな」
「もう二回死んでるけどね」
「……あぁ、そういや初めに死んでたんだっけか? その辺後で詳しく教えろや」
「ぬっ!! それは私も大変興味があるね!!」
「あんまり人様に話せるようなことでもないけどね」
努の出自については百階層でドロップした用紙に記された概要で知っているとはいえ、突然百階層に飛ばされて爛れ古龍に殺されたことまではクランメンバーも知らない。事情を知らないソニアの手前、努はやけに連帯感のある二人から組まれた肩を払った。
ステファニーも以前は使い捨てヒーラーの
扱いで仲間から犠牲にされる側だったと思うけど、
今は仲間を犠牲にして浄化攻撃を防いでいる
のを見ると「以前のような何かを犠牲にした攻略でいいのかな?」って思ってしまう。
努がいないとこの世界の探索者は犠牲・ゴリ押し特化
の脳筋に見えてしまう(笑