第764話 たかが数%
それからその階層で出現するモンスターの完全なる魔石を納品し、無事182階層へと進んでからの休日。努はゼノ工房に訪れて納品されていた将軍の装備を前に嘆く。
「面倒くせぇ~~~」
冬将軍:式の青白く光る鎧と双剣に、春将軍:彩の戦装束と大扇子。それらには発注書通りの専用刻印が刻まれており、どれもスロット8のため刻印士のレベルがトップクラスである努でも厳しい難易度である。
それらを四つも仕上げなければならないことに努は辟易としつつも、まずはLUKの上がる刻印を仕込んだ装備に着替える。まだ完全な検証こそ済んでいないが、LUKを上げておくことで刻印の成功確率が数%上がる見込みが体感であった。
たかが数%、されど数%。特に試行回数の多い刻印ともなればその数%の差は大きくなる。それを着込んだ努は、ダリルが手に入れていた鎧に刻まれた紋様に機械階層産の刻印油を馴染ませる。
(いや、めっちゃ吸うじゃん)
その油は刻印を成立させるために必要な触媒であり、刻んだ紋様に浮き出るほどは塗らなければならない。ただ冬将軍:式の鎧には馴染んだと思えば消えていく。それを自前で賄える探索者ならまだしも、刻印油を買い付けている刻印士なら冷や汗ものだろう。
物理法則どうなってるんだと徒労感を覚えるほど刻印油がなくなっていき、一瓶と半分が消えたところでようやく紋様にじっとりと滲み出てきた。数十万のガチャかよと努は内心でぼやいた後に口を開く。
「刻印」
その声と共に紋様がうっすらと輝き始める。この輝きが最後まで続き刻印に光が宿れば成功となり、逆に失敗した場合は刻印油が消失したままうんともすんともいわなくなる。
するとその紋様は光を失わないまま最後に一際強い煌めきを発し、専用刻印は成立した。それに努は少し目を丸くしながら確認する。
(……専用刻印は刻印油を食う代わりに確定とかか? 8スロがそう簡単に成功するわけもないし)
現在レベル70台である努が現実的に刻印できるスロットは7であり、8も可能ではあるが成功確率がうんと低くなるので相応のコストがかかる。なので飛び切り運が良くない限りは一発で成功など有り得ない。
(刻印油を食う代わりに確率50%みたいな仕様か? そもそも専用刻印なんて代物が初めてだからわからないな。実際のところ詳しく探せば他の装備にもありそうなもんだけど)
それから引き続き三つある専用刻印も試してみたが、成功確率は五割といったところだった。ただ上振れ下振れもあるので何とも言えず、努は神妙な面持ちのまま刻印を終えた装備を眺める。
(ええやん。流石にプロは違うぜ)
春将軍:彩の戦装束に入った刻印は背に刻まれ、成立した今は桜色にぼやけた光が衣を縁取っている。刻印自体は努の発注した通りだが、そのデザインを分割しつつ戦装束に組み込んだのはゼノ工房の職人たちだ。
仕事として数え切れないほどのダンジョン産装備を仕立ててきた彼女らは目も肥えているからか、努が適当に描いたデザインを再解釈して良い形に纏め上げている。ハンナの水着装備に刻印した時は不評だったが、これなら彼女も満足するだろう。
(あとは専用刻印してるフリして他の刻印済ませちゃお)
専用刻印の成立が思いのほか早く終わったので、努はそれらをマジックバッグにしまい積んでいた装備を刻印していくことにした。もはや何を入れていたか覚えてもいないのでマジックバッグを引っくり返して内容物を全て床に出し、大掃除の気分で整理していく。
(あー、欠けた王冠がいっぱいあらぁ。そういえば経験値UP系のやつ量産しようとしてたんだっけ。案外使い回せたからこんなにいらなかった)
それこそ経験値UP(大)の刻印が出ればまた需要は生まれるが、現状のレベルでもまだ見当たらないので恐らく刻印士90レベルから実装だろう。それまでは塩漬けにしておく方がいい。
(これは……草原階層のやつか? 30階層以下はそもそも宝箱がドロップする間もなく探索者に突破されるから、逆にレアなんだよな。それで僕が活かしてみせるぜと息巻いたものの特に思いつかなくて埃被ってたやつだ)
マイナー装備で最前線攻略は夢が広がリングではあるが、階層に応じた強さまで一定引き上げる階層同調という刻印が必須のためスロットを1つ失った状態で組まなければならない。ただダンジョン産の装備には特殊効果が付いている物も多いため、案外使える機会はある。
(機械階層で役立つことがあればいいんだけどなー。正直わざわざ対策するほどでもないっていう)
とはいえ単純に最新の階層からドロップした装備に各ジョブのテンプレ刻印を刻む形でも普通に攻略は進む。スロットが1つ多い恩恵もある分小回りも効きやすいため、下手に考えるよりテンプレの方がいいこともザラだ。
(そのテンプレの走りを作るのが一番いいからな)
『ライブダンジョン!』でテンプレ装備を生み出したことは生憎とないが、その欠片に一プレイヤーとして携わった経験くらいはある。それから努はマイナー装備を鑑定して能力を確認してはどの刻印が合うのか吟味し、あーでもないこーでもないとぐだぐだした。
「サボりなのです?」
「そもそもこっちは休日だよ。サボりもなにもない」
「ならそんなに刻印するんじゃねぇですよ。バカンスにでも行ってくるです」
「そういえばスタンピードの間引き、この調子じゃ僕も行く羽目になるのか。その時は刻印油たっぷり持っていこうかな」
「……今後はサブジョブを上げる機会になるですか。せっかくのバカンスに水を差される他の探索者が可哀想なのです」
その途中でゼノ工房に出勤してきたユニスに絡まれつつ、努はステータスカードを参照しながら刻印を書き写して装備の内容を試行錯誤し続けた。
それも時が経つにつれて段々と煮詰まってきて頭も重くなり、発注書を盗み見して刻印の短縮を目敏く指摘してくる彼女も鬱陶しく感じてきたので努は気分転換に部屋を出た。
工房の母屋では若いドワーフのノルグが弟子たちと共にダンジョン産装備の鍛造をしており、高熱の炉を世話して汗を流している。その傍らでは他の装備を一から作っているのか、鉱物を打つリズミカルな金属音と共に火花が散っていた。
そこから少し離れた作業場ではダンジョン産装備の革や布を加工する職人たちも作業しており、大きな針を用いて革鎧を縫合していた。その革に針を突き刺すだけでも結構な力がいるはずだが、主婦たちは夕飯の献立について話しながら作業を進めている。
「針がデカい」
「ツトムは両手使っても入れられなさそうなのです」
隣で従業員が利用しているポットからコップに果実水を注いでいたユニスは、努の細い腕を見て鼻で笑った。確かに彼女たちの二の腕には長年の研鑽で培われた、立派な筋肉が宿っている。
「縫える方がおかしいんだよね。回復いりますかー」
「ほっ、ほしい~~~」
「そう言ってくるのを待ちに待ってたっ」
思ったよりも力仕事である革細工をこなしている職人たちに努がそう声をかけると、マダムたちを筆頭に殺到した。とにかく指先に力を込める仕事なのであまり無理をするとうっ血したり関節痛が起き、集中しているとずっと同じ姿勢になるので腰痛にも悩まされる。
「それじゃあ順番で」
今日は手に関する治療が多かった。自分よりも皮が厚くなっている職人たちの指から、手首の違和感を問診して適切なヒールを行っていく。
「……それじゃ私もお願いするです」
「まいど」
そんなベテランともいえる職人たちの指先やら腰やらを治していると、ユニスもどさくさにまぎれて回数券を出してきたので一枚消費させておいた。
更新ありがとうございます。