第728話 GGするにはまだ早い
GG.それは文字通り良い試合だったと互いを称える言葉であると同時に、皮肉の側面もある難しい単語である。努も『ライブダンジョン!』のTAなりプロゲーマー時代のランクマなりで幾度と見てきたものだ。
それこそほぼ勝利といっても過言ではない相手側のチャットから放たれるGGこそ憎たらしいものはないし、その害悪戦法で何がGGじゃボケと言いたくなる場面も数知れない。
だがそのGG宣言はある種ハッタリである場面もある。架空の敗北に頭を支配され自分から勝負を投げてしまうほど情けないものもまたない。特に野良のランクマだとたまにそのハッタリで味方が投了して試合が終わる場面もあるため、それで台パンしたのも数知れない。
「…………」
わざわざこちらのギルドにまで出張ってきてのお疲れ様ですわ発言を前に、努は内心で敗北の予感を覚えたものの戦意は解かずにいた。そのままステファニーの手を取らずに自力で立ち上がり、ゆっくりと周囲の状況を観察する。
ステファニー含む一軍のメンバーが旧ギルドに現れたことで、周囲の探索者やギルド職員たちは湧いている様子である。だが180階層が突破されているにしてはその結果に対する熱狂がない気がした。
手を差し出したまま固まっているステファニーの後方には、PTメンバーのディニエルにアルドレットクロウと共同戦線を組んでいるロレーナも控えていた。ディニエルは表情筋が死んでいるような真顔であり、ロレーナは気まずげに目を逸らしていた。
「……ちくしょう、もう少し時間ありゃドデかいのかませたのによ」
「…………」
差し出された手が取られない気まずい空気が流れる中、アーミラは180階層戦について愚痴りながら黒門の前からどいて更衣室に向かった。それに同じ敗者の服を着ているリーレイアは唇を軽く噛みながら付いていく。
ダリルは全身鎧がロストしていることに顔を青くしており、ガルムは犬耳をぴこぴこと動かしながらそこに留まっていた。
「…………」
「…………」
突破されているのか、いないのか。努にはまだ判断がつかないがその核心を自分から尋ねるのも癪だった。そんな彼を前にステファニーもまた口を開けずにいた。
その張り詰めた均衡状態を崩したのは、努がステファニーの右目を見ての違和感だった。
「……なんか、右目? おかしくない?」
「へ? あっ、いやこれは、その……」
先ほど眩しすぎる神台の映像を見た拍子に右目が取れかけた際、ロレーナによって応急処置されたものの完全に治っているわけではない。なのでまだ右目の位置が安定しておらず、努から見るとステファニーの目玉が妙にぎょろぎょろと泳いでいるようだった。
「ロレーナと外でぶん殴り合いでもしたの?」
「ええっと……」
貴方の心底楽しそうな姿を目にしたくなくて抉っちゃいました、とは言えないステファニーが歯切れ悪く言葉を濁す。するとその会話をその長い兎耳で聞いていたロレーナがやれやれといった様子で近づいてきた。
「……ま、似たようなもんかもしれない。大方は私が治したので問題ないと思うけど、そんなに気になるなら師匠が仕上げて下さいよ」
「えぇ……? そもそもダンジョン外で目玉に違和感出るような一撃入れるか? 普通?」
随分と投げやりなロレーナを前に努は半ば呆れ顔をしつつも、ステファニーの少し飛び出し気味な右目をのぞき込む。すると彼女はぶるぶると首を振る。
「い、いえいえ! ツトム様のお手を煩わせるわけには!」
「いや、怖いからじっとしてな?」
「はーい。じっとしていて下さーい? 先生、お願いしまーす」
そのぶるぶるで眼球も明らかにおかしな挙動をしているのが見て取れたので、努は軽く引きながらも危うさを指摘する。するとロレーナが看護師のような口ぶりで患者をがっしりと押さえた。
急遽先生となった努は流石にこのまま放っておくのも忍びなかったので、ステファニーの右目を診察した。とはいえ大方は治っているようで、眼球自体は正常で骨が折れているわけでもなさそうである。
「目、少し開けたままにしてくれる?」
「はい……」
まな板の上の鯉みたいに身を固まらせて目をぎゅっと瞑ったステファニーに、努はそう諭して目を開けさせた。目を治療した経験は数少ないが、どうやら眼球を支える筋肉の損傷とその下にある脂肪が削れていることによる不安定さだと判断した。
「ヒール」
それらを再生するイメージで瞼の下を指先で触れながら緑の気を発する。治療のために何とか瞬きすらしないようにしているステファニー。目の周囲を触られるのは怖いよなと努も彼女の震えように理解を示しつつ、眼球を脂肪の座布団に座らせる。
そしてヒールが終わり少し距離を離して彼女の顔を改めて見た努は、この処置で問題ないと満足げに頷いた。
「……うん、綺麗になった。大丈夫そうだね」
「あぁ……ありがとうございます。先ほどまであった違和感が消えましたわ」
「それは良かった。大丈夫だとは思うけど、違和感あったら病院に行ってね。やっぱり専門の医者には敵わないもんだし」
探索者の怪我を治すことなら自信はあるが、毎日患者の目を診ている眼科の先生には到底敵わない。それこそたまに白魔導士として交流もしている努の言葉に、ステファニーは夢見心地の顔で頷いた。
そんな彼女を前に気を取り直した努は、その後ろに控えていたディニエルに視線を送った。
「で、何でわざわざアルドレットクロウの一軍たちがこっちに来てるんだよ」
「ツトムが式神:月まで到達してたから。私たちもさっき辿り着いた」
「……なるほどね。朝に潜ってるなんて珍しいとは思ってたけど」
「日が沈んだ夜には寝て、朝日と共に起きるに限る」
「そう言う割には早起きのイメージがないけど」
「そうかな」
(いや、突破してないんかい。式神:月までタッチの差で辿り着いただけかよ。まぁあのメタ読み月を初見突破は誰でも無理そうだけど)
ようやくアルドレットクロウも180階層を突破したわけではないことがわかった努は、一先ず安心といった顔でディニエルと談笑する。すると右目が治ったことに感激していたステファニーから離れたロレーナが、つんと目を吊り上げて会話に入ってきた。
「てか! 臨時PTであそこまで攻略するのズルくないですか!? 普通はお遊びのはずでしょ!」
「上手すぎてごめんね。でも共同戦線の奴とは話したくないから、用が済んだらあっちいってくれる?」
「くぅぉのやろーーー!! さっきまでステフに負けたと勘違いしてピリピリしてたくせによぉーー!!」
「してませーん。勘違い止めてねー」
兎耳をぐおんぐおんと猛らせるロレーナをいなしつつ、努はもう話すことはないと男子更衣室へと逃げ込んだ。それでもまだ付いてこようとした彼女はガルムに止められてぎゃーぎゃー騒いだ。
それから努たちが着替えが終わる頃には、ステファニーPTとロレーナたちも諦めてギルドを立ち去っていた。努たちも先ほどの反省会も含めた話し合いを、ギルド食堂で腹ごしらえをしながら行う。
「進化ジョブを使いこなしなさいという神の思し召しかな。アーミラへの対処は明らかに甘かったし」
「だよな。流石にガルムとダリルよりタンクが上手ぇと自惚れは出来なかったわ」
「すみません、最後の雷鳥を契約する判断は焦りが過ぎました」
「いや、悪くない選択肢ではあったよ。雷鳥がやらかしただけだし、おかげで式神:月を倒しても意味がないことはわかった」
「……なるほど。では次回もお呼びしても?」
そんなリーレイアからの問いに努は冗談めかして答える。
「しばらくは顔も見たくないね。もう鳥は懲り懲りだよ」
「ははは……」
そんな努の首を振っての嘆きにアーミラやガルムはそれもそうだといった顔をしている。だが努が空に向かって叫んでいた様を一人見ていたリーレイアは、彼の言葉に乾いた笑いを返すことしかできなかった。
月は倒さず、監視出来ない様に目を塞がないと駄目なのかな?