第807話 前例
「朝からコリナと病院行ってきたっすけど、ぜんれい? がないっぽいのでいつ治るかは不明っす! でもこれ付ければ外出ても大丈夫そうっすから、明日からはあたしも探索したいっす!」
ハンナはそう言いながらキレの良い型稽古をその場で披露し、身体は万全であることをアピールした。
実際に彼女は神華が神善試合ということでノースキルノーステータスを解除していたため、現状では大きな戦力となる。ただ魔流の拳は使える見込みがなく、ユニークスキル持ちというわけでもないので神華との戦いには付いてこられない制約はある。
それに鳥人が翼に何かしらの支障をきたした際に付ける翼帯《よくたい》により、ハンナのみずぼらしい外見は大分マシになっていた。それなら問題ないと判断した努は彼女の提案を受け入れ、ガルムとダリルとの間で視線を彷徨わせる。
するとダリルがおずおずと手を挙げた。
「あの、僕もオルファンの様子見に行きたいのでハンナと代わっていいですか?」
「あれ? あの様子だともう帰ってくるな、とでも言われたのかと思ってたけど」
そんな努の冗談めいた推測を前に、ダリルは口をわなつかせた。そして気味悪そうな目で彼を見つめ返す。
「……なんで、わかるんですか?」
「いや、だってダリル。昨日の夕飯でめちゃくちゃ萎えてたじゃん? 大方、この緊急時に無限の輪を優先したことでアレからヒステリー気味に責められでもしたのかなぁと」
「…………」
「クランリーダーの僕からすれば、オーリたちを守ってくれて本当にありがとうではあるけどね。オルファンと無限の輪どちらに向かうかは完全に二者択一だったし、もしダリルがクランハウスを守らなかったらオーリたちが危険な目に遭ってたかもしれない。だからこそオルファンで肩身は狭いんだろうけど、オーリたちを守ったことに胸は張りなよ」
するとその場にいたマリベルが慌てた様子でダリルの前に出てきた。
「重ね重ねになりますけど、ありがとうございましたっ。オーリもあの時、毅然とはしていましたが、内心はとても不安だったと思います。実際にダリルさんがクランハウスに駆けつけてくれた時には、私たちもようやく気を抜けたことも本当ですから」
「……はい」
「…………」
本当に自分の判断は正しかったのかと揺らいでいたダリルは、マリベルの言葉で少し肩の荷が下りた様子だった。そんな彼と努を見比べていたハンナは何故かもやっとした表情こそしていたが、それが一体何なのかを言葉にすることはできなかった。
それから幼い孤児たちが多いオルファンの様子見へと出ていったダリルを見送ったハンナは、さささっとディニエルの近くに寄った。
「今日はどこ潜ったっすかー?」
「刻印階層。あそこでも火力足りなくてオイリーフにも苦戦する始末だった。四人PTは現実的じゃない」
「確かにな。明日は黒魔導士のアルマが入るとはいえ、火力不足による戦闘の長期化は避けられなさそうだ」
「んじゃ、あたしは活躍できそうっすね!」
「どうだか。魔流の拳ありきだったでしょ」
「あたしはさいきょーの避けタンクっすよ? あのー……女の神様も驚いてたっすから!」
ディニエルとガルムが今日の探索についてハンナと話し合っている最中、努はゼノ夫妻の子供の面倒を見ていたコリナを呼び寄せて残る左指の再生治療を始めた。
「はーちゃんは大丈夫そうでしたか……?」
「まずはあの頭の元になってるモンスターを解剖して、構造を把握してからじゃないと治療は無理そうだね。脳ヒールもまるで効かなかったし」
「なるほど……。もし外のダンジョンで捕まえる必要があったら声をかけて下さいねぇ?」
「その辺りは帝都の方が詳しそうだし、バーベンベルク家を通じて調達してもらうよ。そういえばハンナの容体は詳しくわかったの?」
「それがですねぇ……」
刻印装備を着込んでコリナの指を再生させつつ、努は彼女と患者についての情報共有も行った。ハンナの羽根抜けについても前例がないことらしく、治療の目途は立っておらず薬で様子見とのことだ。
「アーミラも様子は見てきたけど、まだ神龍化解ける気配もなさそうだね。こっちも前例がないから困ったもんだ。多少は意思疎通取れるし、指で地面に文字も書けるからそこまで生活に苦労はしてなさそうだけど」
「そうなんですかぁ。後で私も様子を見に行きましょうかねぇ?」
「暇そうにしてるから歓迎してくれると思うよ」
「…………」
そんな二人の近くには既に泣き止んで多少は落ち着いてきたリーレイアも傍らにいた。そして努たちの情報共有が終わったところを見計らったものの、視線が彷徨うばかりで声が出ない。
「そう落ち込むなよ」
また卑屈にでもなっているのかと努が助け舟を出すと、彼女はじっとりとした視線を返してきた。
「……落ち込んでいません」
「前例がないことだらけなこの状況下だと、パニックになる方が普通だ。むしろ障壁内で楽しそうに生肉かじってる神竜人とか、一生治らないかもしれないのにへらへらしてる奴がアレなだけだよ」
「それは本当にそうですぅ。もし私がステータスとか失われていたら、多分もっとパニックになっていましたよぉ?」
そう言って指で頭をくるくるぱーした努を横に、コリナも目を閉じてうんうんと頷く。そんな二人を前にリーレイアは情けなさで歯噛みする。
「……そういえばツトムは、元の世界ではステータスのない状態で過ごしていたんですよね? よく、耐えられましたね」
「初めから存在しないものが無くても気にならないからね。無限の輪最弱は伊達ではないよ」
「胸を張って言うことではないですぅ」
「流石、無限の輪最強は言うことが違うね?」
「そんなものになった覚えはないですし、私より強い人は浮かびますからね? ディニエルさんとかハンナさんとか」
「総力戦とはいえ、実質的に神華一回殺したのはコリナだしね。神殺しさんパネェっす」
「よくわからない言葉で煙に巻こうとしないでくださぁい……」
「…………」
何だか架空の父親と母親みたいな二人のやり取りを前にリーレイアは目を伏せた後、軽く微笑んだ。
「ではこれからもよろしくお願いします。最弱と最強さん」
「リーレイアさーん? 今から模擬戦でもしましょうかぁ?」
「冗談になってないよ、それ」
「私はツトムさんみたいに脅かしたりしませんからねぇ?」
「どの口が……どの口が? 指、治してやらんぞ?」
「それは脅しですぅ!! 治してくださぁい!! 何かと不便ですから、ねっ? ねっ?」
早朝にしごかれて死にかけていた努のジト目に対し、流石のコリナも慌てたのか先ほどのリーレイアよりも媚びた笑顔を浮かべ始めた。
更新有難うございます。