第806話 師匠は竜人に厳しい
それから努はガルムとダリルを連れて紅魔団のクランハウスを訪ねた。臨時のPTメンバーとしてのアタッカー募集兼、恐らく脳死状態にある蠅の王の状態を診るためだ。
するとその話を聞いたとんがり帽子を被った黒髪の女性は鼻息を荒くした。
「あら、丁度いいわね。ならこの私が臨時で入ってあげてもいいわよ?」
「何で上から目線なんだ? 最悪黒魔導士でもいいけど、PTバランス的には前線が欲しいんだけど」
「あぁ、そっちは期待しない方がいいわよ? うちの男連中は大体が戦意喪失してるし、100階層以降を潜れるとは思えないわね」
アルマの失礼極まりない受け答えに対してさして反論しない男連中を前に、努はさいですかと肩を落とした。ノースキルノーステータスに加えてクランリーダーであるヴァイスが行方不明になったことも相まって、紅魔団は烏合の衆になりかけている。
それを何とか繋ぎ止めている紅魔団のヒーラーであるセシリアは、アルマの背中を押した。
「出稼ぎは頼みますよ」
「安心なさい! 私がツトムからたっぷりと搾り取ってくるわ!」
「あんまり期待されても困るよ。大した階層には潜らないし」
「今更低階層でちまちま小銭拾うよりはマシよ! ……それにわざわざこっち来てくれるなんて、意外とあの言葉気にしてくれてたんじゃなーい?」
「まだ完治してない患者を診に来たついでだよ」
身体にしなを作るアルマに努は白けた視線を返しながらも、明日ギルド集合でよろしくと頼んだ。腐っても最前線の遠距離アタッカーであることに変わりはないため、戦力にはなるだろう。
それからガルムたちがすっかり自信を喪失した紅魔団のタンクたちを励ましている間、努はセシリアの案内でクランハウスの奥まった一部屋に向かった。その途中で彼女は気まずげに努へ問いかける。
「……あれは、治せるのですか?」
「わからないけど、治すと約束はしちゃったからね。やるだけやるしかない」
「……そうですか。ありがとうございます」
そんな努の気概にセシリアは頭を下げた後に離れていった。それから努がノックをしてから扉を開けると、そこにはフードを被せられてベッドに寝かされている蠅の王がいた。その傍にある椅子に座っているミナはゆっくりと振り向く。
「……ツトム」
「こんにちは。はーちゃん診に来たよ」
何てことなさげな努の挨拶に対し、彼女はくしゃりと表情を歪めた。
「……セシリアは、治せないって。普通は、回復スキルをかけたらすぐに起き上がるはずだから。……だから、はーちゃんは、神様に連れていかれちゃったのかなって」
「確かにあまり前例はないみたいけど、はーちゃん自体が特殊だからね。こればっかりはわからないことだらけだ」
「…………」
「死人を蘇らせることは出来ないけど、生きている病人なら治す余地がある。出来る限りのことは尽くすよ。悪いけど気長に待っててくれ」
「……うん」
それから努は身体こそ生きているものの意識は取り戻していない蠅の王の診察を始め、ミナは食い入るようにそれを見つめ続けた。
――▽▽――
それから一時間ほどで診察を終えた努は、ミナに蠅の王の介護方法についてレクチャーしてから紅魔団のクランハウスを出ていった。
やはり回復スキルをかけても意識は上がってこなかった。ただ蠅の王は自力での呼吸は行えているため、これは脳死ではなく植物状態といえる。
この世界にも意識が戻らない患者自体は存在し、そういった者は鼻から細い管を通して直接胃に栄養物を流し込む方式が取られている。
だが蠅の王は頭が蠅そのものであるため、その手法が使えない。ただ蠅の王は主に口吻で吸い取っての食事をするため、液体をそこに浸せば自然と吸ってくれた。嚥下能力が失われていないのは朗報で、管や点滴を入れるリスクを取らずに済んだ。
排泄は日に何度かおむつで、床ずれはヒールで回復できるのでさしたる問題にならない。しかし関節の固まりは回復スキルで治しづらい部分であるため、日々の曲げ伸ばしはミナに行ってもらう必要があった。
(とはいえこの介護状態をミナにずっと続けさせるわけにもいかない。ステータスは失ってないから力はあるにせよ、出来れば一ヶ月以内にはどうにかしたいところだけど……)
そのためにはまず蠅の頭の構造から知る必要があるだろう。外のダンジョンには蠅に近しいモンスターもいるため、それを解剖した方が手っ取り早そうだ。蠅の王は帝都が秘密裏に生み出したモンスターとのキメラであるため、その元を辿れば間違いない。
そんなことを考えながら努がクランハウスの前に到着すると、家の中から何やら金切り声が聞こえてきた。玄関を上がりリビングに入ると、緑髪を振り乱したリーレイアがコリナに取り押さえられていた。
「会いたいぃ……!! あいたぁぁぁぁいいい!! 契約! シルフ! 契約! シルフぅぅぅ!」
「どういう状況?」
それをドン引きした様子で見ていた見習いのマリベルに努が尋ねると、彼女は顔を青くしたまま答える。
「ノースキルノーステータスが午後過ぎに戻るんじゃないかっていう噂が広まっていて、リーレイアさんはそれに縋ってずっとスキルを唱えていたんですが……」
「あぁ、もう夕方だもんね。確かに帰ってくる途中でもそういう人はいたかも」
努は蠅の王の治療法について考え込んでいたのでさして目に入らなかったが、そう言えばリーレイアと同じくがっくりしていた人はいたかなと思いだした。ちなみにそれは本当で、彼女のみならず帝都に行ったことで全てのステータスを失った者は大半が発狂していた。
「何をやってるんだよ、リーレイア。穀潰しにはなりたくないんじゃなかったっけ?」
「……ツトムのっ、ツトムのせいじゃないですかぁ!? 何で私だけ! 何で私だけ奪われて!? ツトムが雷鳥と契約してたから!! してたから奪われたんだっ!」
「かもしれないね。でもずっとそのままだって確定してるわけでもあるまいし、少しは落ち着きなよ」
「……っ!」
自分と違ってノースキルノーステータスで何の支障も出ていない努の他人事みたいな態度を前に、リーレイアは激情を剥き出しにしたまま動き出そうとする。それをコリナが止めていたが、努に目で制されておずおずとその手を離した。
リーレイアはすぐに近づいて努の顔をはたこうとしたが、それは事前に張られていたバリアで阻まれた。そして逆に努のピンタが彼女の頬に向けて振られ、それは直前で止まる。
いくら白魔導士のステータスといえど、探索者でない者がそのピンタを受ければただでは済まない。風圧の余波でそれを嫌でも理解させられたリーレイアは震える唇で声を漏らす。
「はっ、えっ?」
「ステータスないのに勝てるわけないでしょ? 我はレベル180ぞ?」
「…………」
努はそう茶化してみたもののリーレイアには余計に効いたのか、声を殺したまま涙をぽろぽろと零した。そんな彼の所業にまたもやドン引きしているマリベルを横目に、努は苦笑いで留めているハンナに視線を移す。
「クランハウスは変わりなかった?」
「平和なもんっすね。あくびが止まらなかったっすよ? 師匠が帰って来るまでは」
「それは何より。平和が一番だよ」
年若い女性を泣かせてもどこ吹く風な師匠を前に、ハンナは布で巻いて羽根抜けが目立たないようにした翼をふりふりしてみせた。
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