第543話 構ってちゃん

 

 160階層攻略に使用した呪寄装備はゼノ工房にもう売ってるよと神の眼に宣伝して少し時間を置いた後、努たちPTはギルドへと帰還した。


「翌日の朝刊が楽しみでならないね!」
「ありゃ、もっと歓迎されるもんだと思ってたけど」


 そんな宣伝のおかげかギルドには中堅探索者たちがごっそりと減っていて、初心者から初級者辺りの探索者たちが有名どころのゼノやソニアを見て目を輝かせていた。その他に残っていたのは最前線組である紅魔団に、シルバービーストとアルドレットクロウの上位軍。

 ただギルドにガルムとリーレイアがいないことに努は首を傾げつつも、空いている受付へと向かう。そして口に挟んだ紙を提出してステータスカードの更新とPT解除を済ませると、様子を窺っていた最前線組の中からぴょこんとロレーナが出てきた。


「突破おめです! それで、あのーーー。私たちにも刻印装備とかって」
「事前に通告してた通り、僕から売る気はないよ」
「ですよねーーー」


 予定調和な彼女の撃沈を見て、アルドレットクロウの上位軍は努に言葉をかけようとせずにそっと離れていく。そんな中で一人だけ残った精霊術士の女性を横目に、ロレーナは途端に手揉みしながら努に擦り寄っていった。


「で、シルバービーストには裏で売ってくれたりして? へへ。ほら、ソニアだって着てるんだし?」
「引き続き自前の職人たち育てて作ってもらいなよ。僕もそんな刻印したいわけじゃないし」
「……でもさ? ぶっちゃけ刻印ちょちょいってしたらめっちゃ稼げるでしょ? 特に大手クラン相手ならさ」
「その大手クランに深淵階層の刻印装備売り捌いた売上だけでゼノへの借金はもう返したし、中堅に売るだけでも利益は出てるからね。それに呪寄装備は何日かおきに刻み直さなきゃいけないから、しばらくは中堅へのアフターサービスだけで手一杯だよ」
「……そんなこと言わずにさ、私たちにも売ってよ。お願い」


 突然人の目も憚らず縋るように袖を掴んでお願いしてきたロレーナに、努は服にトンボでも止まったかのように身体を強張らせた。その背後にいたソニアも彼女の行動を意外に思ってはいたようだが、気持ち自体はわかったのかその姿を見ないように視線を落とす。

 シルバービーストは最前線組の一つとはいえ、ウルフォディアに勝てる見込みのある人材は走るヒーラーとして名高いロレーナ一人だけだ。次点で呪術師のマデリンは可能性こそあるが突破には至っておらず、代表的なアタッカーだったミシルは年齢による身体の衰えが垣間見えるようになってしまった。

 シルバービースト単体PTでの160階層突破は恐らく不可能だ。だが努の作った呪寄装備さえあれば160階層突破も可能だろう。それに刻印装備があれば引退をほのめかしているミシルの考えも変わるかもしれない。


「わざわざ頭を下げさせた手前悪いけど、そのお願いはシルバービーストお抱えの職人たちにするのが先じゃない? いつまでちんたらレベル上げしてるんだってさ」
「でもっ……! 同盟組んでるんだしこれくらいっ……!」
「同盟を組んでいるからこそ刻印士の重要性はシルバービーストに先んじて伝えてたし、育成も勧めてたよ。それでも職人たちにはそこそこの育成ペースで済ませてたのに、ここに来て僕に装備まで求めるのはお門違いじゃない?」


 そんな彼女の感情的な問いかけに、努は突き放すような論を返すだけだった。

 刻印装備におけるレベルの重要性はもうほとんどの者たちが理解しているはずだ。それなのに探索者は未だに職人の技術やプライドを気遣い、さしたる要求をしていない。そして職人たちもそれに甘んじて需要に沿わない作品を作り続けている。

 そんなに職人たちとぬるま湯に浸かっていたいならずっとそのままでいればいい。もう既に茹で上がる一歩手前といったところだが、努はその火を緩めはしない。むしろ出られない奴らはそのまま出汁になればいいとすら思っている。

 クランお抱えの工房内で刻印士を育成し環境に合わせた刻印装備を作成できることが、これからの最前線組の最低条件となる。だからこそ他のクランよりは着手が早かったシルバービーストがもう少し職人たちの尻を叩けば、刻印装備の調達に苦労する他の最前線組より有利な状態で事を運べるだろう。


「でもさ、ユニスにはおしえてっ……おしえっ」


 ユニスには教えてたくせにーーー!! ロレーナはそう茶化して兎耳で突いてやろうとしたものの、喉から出かかった言葉への抵抗感に口が回らない。顔もおぼろげな親に対して何かを気遣って口ごもってしまった微かな記憶。まともな黒い兎耳を持つ妹との間で確かにあった待遇の差。

 そんな経験が不意に心へ流れてきてしまった彼女は、突撃しようと頭を下げた態勢のまま動きが止まってしまった。

 自分には回復スキルの検証しかしてくれなかったのに、ステファニーとユニスにはヒーラーを教えてたくせに。90階層で何もかもが上手くいかなかった時、声もかけてくれなかったくせに。弟子二人が争っている尻拭いを押し付ける割には、一番弟子みたいな扱いをしてくれないくせに。だから少しくらい、特別扱いしてくれたっていいのに。

 そんな既視感の入り混じった待遇の差をこの場で吐き出したくなりはしたが、それが出来るほど無邪気な歳でもない。あの160階層を突破したせっかくの祝勝ムードをぶち壊したくはないし、ツトムの突き放すような言動の理由も多少は理解しているつもりだ。

 刻印装備が有用なのは何もウルフォディアだけじゃない。これから先にある階層でも必須になることは明らかなため、自前で用意できなければ延々と足元を見られる取引を強いられる。なので一旦最前線から落ちることになってでも、その土壌を育てなければならない。それは確かに正論だ。


「これから先、用無しになっても知りませんからねーーだ!!」


 だからこそ生意気な捨て台詞を吐いて涙の溜まった目を見せないように、尚且つ零れないように走り去るのが精一杯だった。そんなロレーナが冗談みたいな速さでギルドから走り去っていったのを、努は少し唖然としながら見送った。

 そんなやりとりを見ていたアーミラはやれやれといった顔で努の肩に腕を乗せた。


「随分と弟子泣かせな野郎だなぁ? おい」
「まぁ、あの様子じゃツトムさんのせいだけってわけじゃなさそうだし、そんな気にしないで」


 ロレーナについて理解のあるソニアからのフォローに、努は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。


「……悪いけど、これから先も刻印漬けの毎日なんて僕はごめんだからね」
「そのためなら弟子を泣かすのも構わねぇってか。あの狐娘も裏ではひぃひぃ泣かせてんのか」
「やかましい」


 拳で軽く横腹をぐりぐりしてくるアーミラをいなしていると、横のソニアがちょいちょいと努の袖を引いた後にギルドの入り口を指差す。


「……本当に、やかましいな」


 ギルドの入り口から盗み聞きでもするように半分見えている白い兎耳を目にした努は、心底呆れたようにため息をつく。ソニアは言外にフォローよろしくと大きく手を伸ばして努の肩をぽんぽんと叩いた。

 努たちがそんなやりとりをしている最中、事の終わりを待っていた紅魔団にも動きがあった。


「ねぇ。もう私まで行かなくていいわよね?」


 今度は本気で撃沈したであろうロレーナの残った兎耳を一瞥したアルマは、紅魔団のメンバーに振り返りながらおどけるように帽子のつばをつまんだ。

 ヴァイスが神のダンジョン以前から付き合いのある工房との繋がりが深い紅魔団。先祖代々受け継いできた鍛冶一本で生計を立ててきたドワーフたちは、その洗練された仕事に違わぬ誇りも持ち合わせている。

 そんな作品に後から誰とも知れぬ者が刻印を入れることを彼らは嫌うし、かといってまだ道半ばである鍛冶の技術を放ってまで刻印士のレベルを上げることもしない。だがその矜持に見合うだけの仕事をしてきたことを、ヴァイスは良く知っている。

 だからこそ刻印装備を手に入れるためには努に対して交渉する他ないと思っていたし、それはアルマが担当する予定だった。


「……俺がドワーフたちに話を通す」


 しかし弟子であるロレーナにまで毅然とした態度を貫いた努は、ドワーフと同等の頑固さを持っているだろう。それならば痛みを伴ったとしても工房に話をつける方がまだ分はある。そんなヴァイスの宣言を応援するようにアルマは彼の尻を叩いた。


「今頃ゼノ工房はてんてこ舞いだろうから、皆の力を少し借りたい。あぁ、ツトム君は今回の功労者だからね! 先に帰っていてくれたまえ!」
「よろしくお願いしまーす」
「……はぁ」


 そして努はゼノとソニアに生暖かい目で見送られながら、主張の激しい兎耳を渋々といった顔で追いかけた。するとギルドの入り口前でロレーナは驚かすように飛び出してきた。


「わっ!!」
「何やってんだよ」
「……実は怒ってあのまま帰っちゃってたんじゃないか、ドッキリですよ! 騙されちゃいましたー?」
「目、うるうるで言われてもね」
「……は? 違うし。とにかく!! 詳しくはうちで話します」
「……あぁ、こっちのクランハウスなのね」
「そりゃそうでしょ!! はやく! 聞こえないところで!」


 ソニアや他の面々がいるせいかロレーナは強がるように言いながら、ずんずんと無限の輪のクランハウスがある方向へと歩いていく。

 それが一段落ついたであろうことを見計らい、紅魔団やシルバービーストの面々もギルドを去っていった。


「隙間が……話す隙間がない……」


 そんな中フェンリルに騎乗できる精霊術士として名高い女性は、以前もこんな結果で終わったと肩を落とした。

 コメント
  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 12:16 PM

    努だってゼノが油も工房も用意してくれて、クランハウスで生活の不便もなく、探索も大体仲間任せって条件でやってるからいうほど偉そうなこと言えない(努力度もぶっちぎってるのはあるけど

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 12:51 PM

    今まではプライドの高い職人達が生産職の敷居高くしてたんだし、引退考えてる探索者の転職先には刻印役立ちそう。
    スポッシャーまで行けていればレベル上げも有利。
    ……やっぱミシル引退フラグ?

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 1:01 PM

    加齢による不調か、内務で忙しくて不調かでまた違うな、クランというか施設としてはアルドレばりにでかいし
    迷宮都市どころか色んなところの孤児保護して難民保護までやっとろう

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 1:26 PM

    「ですよねーーーー」の所でロレーナが両手を頭の当てて仰け反りながら膝を着く画が目に浮かぶ

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 2:14 PM

    誰かが言ってたテロメア再生ヒールルートがちょっとだけ見てみたい
     
    若返りたい人が集まって面倒なことにしかならなそうだけど

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 2:36 PM

    レベリング作業のモチベを保てる精神性の人間はとっくの昔に探索者になってるっていう説はどうですか
    職人のほとんどは、長年迷宮都市に住んでいるにもかかわらず探索者をやってないような奴らの集まり的な

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 2:45 PM

    本編時は普通にスタンピで敵迎え撃って死者も出たろうし、神ダンでも死んだり殺したりしなきゃいけないから一般人は普通はジョブだけとってやらないのがほとんどだと思う
    レベル上げたときの恩恵大きいから肉体労働者はやらない理由もないけど

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 2:50 PM

    医者ですらレベリングしないの普通に頭悪い

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 2:54 PM

    ディニエルに射られたときにオバヒなら完璧に治るって書いちゃったからな、それ忘れてオルファンの時にグダグダやってたけど

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 3:07 PM

    コリナがピコの出産助けただけで大騒ぎになってたよな

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 3:15 PM

    ディニエルの時とオルファンの時は違うでしょ。
    ディニエルは通常ヒールすれば問題ないレベルの怪我で済ませてオルファンの時は通常ヒールすると後遺症が残るようにワザとやってたやん。

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 3:19 PM

    403話二人との別れの冒頭みれば分かると思う

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 4:25 PM

    矢が貫通した足を治すのと、複雑骨折に色々断裂、内臓破裂とかしてるのを治すのは流石に難易度違うでしょ。

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 4:40 PM

    読み返したけど、精神力消費が激しいからじゃない?
    オルファンのときは治療対象が結構居たから節約のために医療知識無双してしまった的な

  • 更に読み返すと より: 2022/12/26(月) 5:55 PM

    懐かしいな。水着と魚人の話し。刻印Lv40まで何とか上げた数人とユニスが深海耐性刻印の依頼で大忙しだったな…

    …いや、待て。あれから何日経ったか知らんが。それでもユニス以外(ロイドの刻印師もいるか)      刻印Lv50に到達してない??
    魚人の探索者の人数知らんが、深海刻印で経験値入ってるハズだぞ?どんだけLvUp経験値設定絞ってんだダンジョン神!?

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 5:55 PM

    ぶっちゃけこの手の強化システム(莫大なコストをかけて確率で成功・失敗する)は完全自己責任のゲームだから成り立つんであって、現実世界で他人に依頼して「失敗しましたー確率だから私のせいじゃありませーん」じゃ絶対揉めるよな…どのくらい油使うかも確率な訳だし、油詐欺も横行しそう。端的に言えばシステムが良くない!

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 5:57 PM

    なんか「努だってゼノが油も工房も用意してくれて、クランハウスで生活の不便もなく}と言ってる人いるけど、ゼノに元手の資産を残したは努、クランハウスは努が貴族から恩賞としてもらったものだし、ちょっと厳しい見解だと思うぞ。

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 6:11 PM

    水着であれだけ経験値入ってたから、鬱を成功させたから数レベルは上がってそうだよね。
    努は現時点でレベル70いっててもおかしくなさそ。

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 6:15 PM

    アプデで、完璧に刻印すれば刻印成功率が100%になり、刻印が丁寧なほど成功率が上がるとかの仕様にならないと、現実世界でトラブルが頻発して攻略が遅れるっていう害悪要素にしかならない。せめて刻印じゃなくて付与とか、全く見た目が変わらない仕様であれば装備職人と完全分業もできただろうけど

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 6:19 PM

    元手が努だから努の為に数億の博打に投資するのは当たり前ってこと???

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 6:27 PM

    数億溶かしても努に落ちぶれて欲しかったって考えると深刻だな
    それは置いといて、単純にシルビに伝えてたつってもそんな環境あるやつに追い付けるわけないやんって

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 6:52 PM

    少なくともツトムが戻ってくること前提にガルムなんかは動いていたわけだし、クラウンハウスに関してはツトムが権利放棄したわけじゃないね

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 7:03 PM

    譲渡しとかないと普通に困るし、それなら金だって自分の分残しとくわ

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 7:05 PM

    よくわからないけど、世の中には生活もままならない層がいるんだから、そういう連中も刻印でレベル上げできる環境がないとおかしいってことかかな?つまり努ずるい?

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 7:23 PM

    医者がレベリングしないのは患者の対応に忙しいからでしょ。
     
    駆け出しの頃はヒールとか回復スキル覚えるまで探索者やって、開業医に成っても最初から患者が付くとは限らないから定休日とか暇な時間はレベリングに充てられるだろうけど、レベル上がってスキルも増えて、医者としての評判が上って来れば患者も比例して増えて来るだろう。そうなって来たら普段は診察、定休日は探索なんてサイクルは医者としての立ち位置を重視する場合、ツトムみたいなダンジョン脳でも両立出来なく成るだろうし。

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 7:39 PM

    なんか刻印士のレベル上げ=博打じゃないと上げられない
    みたいに考えてる人いるけど違くね?
    今の自分のレベル帯より高いランクの刻印に成功したら経験値は沢山入るけどその分成功率が下がるってだけ
    自分のレベル帯以下でやれば100%成功はあるだろうし経験値効率は悪くてもレベル上げはできるだろ

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 8:06 PM

    >2022/12/26(月) 7:39 PM
    それやってた結果がいまのアルドレやん?

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 8:16 PM

    >2022/12/26(月) 8:06 PM
    そうだよ
    刻印のレベル上げがキツイキツイってのはあくまで「今までサボってた人」が「今からツトムに追い付く」のがキツイってだけ
    そのためにはハイリスクを選ばないといけないから

    ただツトムに今から追いつく前提がなければローリスクもゼロリスクもあるだろうし(その分時間がかかるけど)身の丈に合ったレベリングはあるだろうって話

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 8:23 PM

    難癖くんがまともな見解に敗れるw

  • 匿名 より: 2022/12/26(月) 8:32 PM

    身の丈にあったやり方じゃ無理だろって話がループしてるだけでは

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