第577話 血に飢えた人喰い熊
それからディニエルは遠距離の維持、コリナは得意の近距離に持ち込むための競り合いは続いた。
基本的にはディニエルが徹底して近寄らせないよう立ち回り、コリナは手足を矢で何度も射貫かれるものの隙を見て進化ジョブを解除し継戦し続けた。試合内容としては目に見えてディニエルの優勢ではあったが、死神の目による予測回避もあり決めきれない展開が続く。
『あーあ。これ帆からなにまでぜーんぶ張り替えだぁ』
「その分、お宝は弾みますんで」
その際に帆が張られた支柱はいくつもコリナに砕かれては目眩ましに利用され、ディニエルの放った強矢も相まって飛行船は見るも無残な姿となっていた。ただアーミラたちが持ち帰ってきた大量の宝物で補填は出来ると思ったのか、骸骨船長はもはやどうにでもなれ状態である。
「まるで人喰い熊」
そんな骸骨船長の諦観した様子と模擬戦の様子を映す神の眼を横目に、ディニエルは筒型のマジックバッグからいよいよ雷の属性矢を取り出した。
ハンナとの模擬戦は10回やれば6勝出来る自負こそあるが、まだ底が見えない魔流の拳相手に一発勝負は分が悪い。そんな手がつけられない獅子を御すためにディニエルは刻印入りの属性矢を使い、その勝負を遠ざけ親代わりの熊をおびき寄せた。
コリナの武勇はディニエルの耳にも届いてはいたが、それでも獅子を相手にするよりは被害を出さずに狩れると思っていた。
(ここまであの目が厄介だとは思わなかった)
しかし流石ユニークスキル持ちということもあってか、コリナの死線を見極める目はディニエルをも凌ぐ。それでいて確実に殺せる距離に踏み込もうものなら、手痛い反撃を食らう確かな予感。
実際に一度その距離に半歩踏み込んだ瞬間、コリナは波動を見せもせず進化ジョブに切り替えて刺々しい鉄球に鎖を繋げたフレイルで反撃してきた。それを振るう本人ですらどういった挙動をするか予測出来ないこともあるその鉄球は、ディニエルが盾にした弓を掠めてそのまま木床を砕いた。
こいつはただの熊ではない。既に何度も狩人を退け、その肉の味を覚えた歴戦の人喰い熊。ただの熊相手に属性矢まで出すのは過剰な出費であり狩人としては臆病者の烙印を押されるだろうが、血に飢えた人喰い熊を仕留めるためなら建前も立つ。
とはいえそもそもは手の付けられない獅子との戦いを避けるために代償を支払ったというのに、その代わりに出てきた親熊は罠を目ざとく見抜き急所だけは守り時間を稼いでくる。帰ったら一軍マネージャーからは大目玉確定であろう未来に、ディニエルはゆっくりと息を吐く。
一見すると脱力しているかのようなディニエルの構え。その希少価値から一本数百万は下らない雷の矢を番えているとは思えないその姿に、コリナも決着の時は近いと予感した。
「モーニングスロー。……破邪の祈り、治癒の願い、蘇生の祈り、祈りの言葉。治癒の願い、治癒の祈り、迅速の願い」
本来なら属性矢を進化ジョブの状態で凌いでから回復に回るのが今までの常套手段だったが、コリナは持っていた星球をディニエルに投げつけるとすぐさま祈り始めた。
身を屈めたアンダースローで投げられたモーニングスターはディニエル本人ではなく、木床を鮫の背びれのように削り彼女の足元に迫った。飛び散る木片と床を揺らがすことによる射撃妨害。それにコリナがこの模擬戦で初めて使用した蘇生スキル。
「パワーアロー」
だがフライにより宙に飛び上がったディニエルはその冷静さを崩さないまま矢を放つ。スキルの力に加えて雷魔石による迅雷が合わさり、コリナの視界が黒に染まる。
すると彼女は気をつけでもするように足を強く踏み鳴らしてぐらついていた床を落とし、その雷撃を船内に潜り逃れた。ディニエルは追撃するため穴だらけの船内に潜り、それを神の眼が追従する。現場で見学していたハンナも慌てた様子でその辺に空いていた穴から船内に入った。
あばら骨のような骨組みが組まれた空洞の船底に足が着くまでコリナは蝶のように舞い、ディニエルは蜂のように刺した。手足に何本か矢の生えているコリナは、その状態のまま見せつけるような波動を発し進化ジョブに切り替える。
「ツイストアロー」
「グッドモーニング」
炎の刻印属性矢に捩れを加えて放たれたそれを、コリナは対人戦において一度しか使えないスキルで弾き飛ばす。それから互いのスキルも交えた強烈な応酬が続き、船底の骨組みが軋む。
その間にコリナが事前に願っていた回復スキルが叶い始め、傷を癒す。ただその応酬に手一杯で矢を抜く暇がなかった彼女の傷は完治せず、出血が止まる程度に留まった。
だが肉を切らせたおかげでコリナの準備も整っていた。左手に大きなモーニングスターを盾のように構え、強靭に鍛え上げられた右腕にフレイルの鎖を巻き付けた彼女は床材を蹴り飛ばし突貫した。
(蘇生の祈りで相打ち狙いか)
今までと違い死も辞さない距離の詰め方に、ディニエルはそう検討を付けて弓を引き絞る。
祈禱師の蘇生可能時間は10分あり、蘇生の願いが叶うのは最低でも2分30秒は掛かる。なので仮に死んだとしても願いさえかけておけば蘇生自体はできる。
しかしだからといって模擬戦中に蘇生可能時間の10分を悠長に待たされるのは、興覚めもいい所である。そのため祈禱師の蘇生に関しては、自動操縦の神の眼が模擬戦から目を離さない内に蘇生を完了しなければならない。
神の眼が戦闘終了を判断する基準としては、何も起きないまま十数秒が経過した時である。なのでコリナは仮にディニエルと相打ちとなった場合でも、その十数秒以内に蘇生できれば勝利扱いとなる。
「パワーアロー」
そんな自爆覚悟の特攻を許さないディニエルの厳しい牽制射撃がコリナを襲う。だが左手のモーニングスターで致命傷にならない最低限の軌道だけ逸らし、脇腹や肩から流れ出るおびただしい血と引き換えに彼女は距離を詰めた。
その途中で彼女が事前にかけていた治癒の祈りも叶い、千切れた肩の腱を癒しその動作を可能にする。そしてディニエルが正確無比に放ったフレイルの鎖を狙った武器破壊の矢を左の星球で打ち払い、とうとう祈祷師の得意距離に踏み込む。
だがその打ち払いにディニエルは動ずることなく、モデルのように長い右足を鶴のように折り畳んでいた。そして槍のように突き出された前蹴りがコリナの鳩尾に突き刺さる。
確かに弓術士相手には近づかなければどうにもならないが、歴戦の狩人は不利な接近戦ですら並大抵ではない実力を持ち合わせている。その蹴りを受けくの字に身体を曲げたコリナが苦し紛れに放ったフレイルを避け、ディニエルは無慈悲に下がりながら矢を番え放とうとする。
その直後、ディニエルの頭上に黒い光が舞い降りた。破邪の祈りが叶ったことによる闇属性の黒光は、彼女の動きを鈍らせその狙いをずらす。突き出されたコリナの頭を狙い放たれたその矢は肩へ垂直に突き刺さり、矢羽が赤く染まる。
「むぅー!!」
「ヒットアロー」
その祈りが叶う時間を体感で理解していたコリナは、最後の力を振り絞り床に落ちたフレイルを唸らせた。その力が鎖を通じ伝播した鉄球は蛇が頭をもたげるように起き上がり、ディニエルの背後から襲い掛かる。
それをディニエルは手に持った矢にスキルの力を乗せ、振り向き様に受け流そうとした。だが完全に受け流すことは叶わず、その矢尻が砕ける。そしてフレイルは彼女の右耳を抉り飛ばしその棘は頭蓋を引っ掻くように通り過ぎた。
おびただしい血がディニエルの頭から流れ落ち、ポニーテールは解け金髪が自然と下ろされる。そのまま二、三歩よろめいた彼女は激痛の走る右手に弓を持ち替え、無事な左手で矢を引き出す。
「ぐっ、うぅ……!」
そして既に事切れ光の粒子を上げ始めていたコリナを見下ろした後、その痛みに呻き声を上げながら傷口を手で押さえもせずに矢を番える。
神の眼がダウンした選手にカウントするレフェリーのように寄ってくるのも束の間、上から光の粒子が集まって来た。それはディニエルから少し離れた場所に集まり蘇生が始まる。
「……はぁ」
そしてコリナが蘇生された途端に今度こそその頭を射貫き絶命させたディニエルは、自信を喪失したようなため息をついた。
一流は一流だけど、
予想が外れて痛い出費払わされたり、それで気落ちするディニエルが好感度高いなぁ