第613話 ピンクの悪魔
「フライ。それじゃあハンナとエイミーは偵察よろしく。あっちとあっちで」
「おっけーっす!」
桜が舞い散る171階層に転移した努はエイミーとハンナに偵察を頼み、先に続く黒門の捜索を始めた。新たな装備により多少は感覚が変わったステータスや精神力消費の慣らしも兼ねて、二人は全速力で飛び去りすぐに見えなくなった。
「今のうちに俺も巨大剣見ていいか?」
「どうぞ。予備は心許ないから無くさないようにね」
「前の階層でうっかり落とした時はオーリとドーレンにドヤされたからな……。ま、ここなら安心だろ」
天空階層、浮島階層と続いて足場がない地形が多かったので、装備を落としてしまえばロストは免れない。実際にアーミラは浮島階層でその回収をトチって落としてしまい、巨大剣の製作に苦労していたドーレンから雷を落とされていた。
「神龍化。……おっ! イカすじゃねぇか」
浮島階層でドロップする大男が振り回していそうな湾曲した大剣。ドーレンはそれをダンジョン産の効力が失わせずに加工する魔炉で溶かして素材にし、一から形作り巨大なカトラスへと変貌させていた。
「ここなら投げ放題だ、ぜっ!」
それを顕現させた龍の手で試し振りしていた彼女は、今までの鬱憤を晴らすようにその巨大カトラスを遠くにいた桜スライムに向けて投擲する。爆弾でも落ちたかのような衝撃音の後、そこにいた桜餅みたいな見た目をしたスライムは光の粒子を上げて消滅していた。
「腕慣らしと行こうぜ」
どの階層でも共通しているが、初めの1階層目はモンスターが群れている傾向がないので雑に手を出しても大群に囲まれることはない。初見の階層で初めからリンチされて全滅では探索者のモチベーションが落ちてしまうことを神が気遣ってのこと、というのが努の俗説である。
なのでアーミラのド派手な先制攻撃に反応したのは、残り数匹の桜スライムと近場の社で踊っていた狐のような見た目をしたコボルトくらいだった。
「ウォーリアーハウル。コンバットクライ」
「ヘイスト、プロテク」
ガルムはコボルトのヘイトだけは取りこぼさないよう入念に盾を打ち鳴らして距離を取り、努は二色の支援スキルを二人に飛ばす。
「スライム優先で倒してくれ。回復される」
桜スライムは周囲を回復するスキルを使ってくるので、出来るだけ優先的に処理したいモンスターである。だが桜餅にある葉のように見える緑の粘体は弾性の強い盾の役割を果たし、それを自在に動かすことで自身の核を守っている。
「コボルトは印を結んだら炎系の魔法スキル。ゆっくり手を合わせたら背後に瞬間移動してくるから警戒して」
「あぁ」
パリィによる上振れも期待できるガルムは、今のところ判明している帝階層のモンスターについての特徴はある程度把握している。コボルトは早速その獣手で印を結び、黒炎を吹くようにしてガルムを狙った。
それを彼は走りながら緩急織り交ぜたステップで避け、ゆっくり手を合わせようとしたコボルトをシールドスロウで妨害した。それに腹でも立ったのかコボルトは身を屈めて四足歩行となり、地面の土をふにふにの肉球で踏みしめガルムに急接近した。
そして土を巻き上げて目潰しを狙いつつ股下を潜り込むように走り、すれ違い様にそのふかふかした紫毛の中に隠された鋭利な爪で太ももを切り裂こうとした。
『ッキュ』
だがガルムはそういった小賢しい小型モンスターに足をズタズタにされる洗礼と、それを防ぐための対策は既に済ませている。進行方向に軸足を置いておく形でコボルトを止め、避けようとしたところで半身を素早く回転させて右足を軽く当てる。
それこそ初めはその憎らしさもあって思いっ切り蹴飛ばしたくなるものだが、そういった大振りの攻撃は大抵避けられて余計なカウンターを貰うだけである。
それにコボルトのような初速の早いモンスターは時にそれが仇となるケースも多い。現にガルムに右足を軽く当てられただけのコボルトは自身の避ける速度も乗ったカウンターを食らい、スタン状態になっていた。
そんな仲間の惨状を見た後続のコボルトは突貫を止め、止めを刺そうとしていたガルムに印を結んでの黒炎を吐いて退かせた。その際に彼は黒炎を敢えて小盾で受け、その威力がどれほどのものか体感で計っている。
その間に目を回していたコボルトの周囲に、ほのかに香る桜色の気が吹いた。それを受けたコボルトは目をぱちくりとさせて身を起こし、ガルムを再発見すると二つに分かれた尾を逆立てて牙を剥いた。
回復作用のある気を発したのは桜スライムであり、リズムにでも乗っているようにその身をぽよんぽよんとさせている。ガルムがヘイトを取っているものの攻撃する気配もなく、ぽよぽよとして桜色の気を発生させているだけだ。
「おい! 割とダリぃぞこいつ!」
だが叫び散らしているアーミラが相手にしている桜スライムは緑色の粘体を駆使し、彼女の振るう大剣を柔らかく弾いて無効化していた。ばいーんと弾かれたアーミラは何とか転ばないようたたらを踏んで何とか留まる。
スライムは核を壊さなければ倒せず、それが動き回る個体も散見されるようになってきた。その対策としてはまず粘体を削って再生を促すことで核の動きを緩慢にさせ、そこを狙って破壊するのが王道の倒し方である。
「手数のないタイマンだと苦労するかもね」
「はよ言えや!」
だが桜スライムは攻撃能力が一切ない分、緑色の粘体による防御性能はかなり高い。魔法耐性もスライムにしては高いので物理を通した方が楽ではあるが、緑色の粘体だけは近接攻撃を防ぐことに特化した厄介な盾である。
「いや、戦闘経験あるでしょ」
「タイマン張るのは初めてなんだよ! 手伝え!」
以前のPTで帝階層に来ていた時は魔流の拳を使えるハンナや手数の多いエイミーと共同で倒していたため、アーミラの攻撃がここまで弾かれることはなかった。そんな彼女に努は半ば呆れた顔をした。
「まだ進化条件満たしてないから無理だよ。龍化でブレス吐きながら斬れば大丈夫でしょ」
「……龍化」
そう指示を受けた彼女は赤い鱗を光らせ、大口を開けてレーザーみたいなブレスを桜スライムに吐いた。それを桜スライムは緑の粘体で防ぐものの、水分の蒸発によって悲鳴にも似た音が響く。
「パワースラッシュ」
そのまま大剣を携えて核を狙いつつ桜色の粘体を斬る。その核は粘体の中を自在に動き回って避けたものの、再生のために段々と動きが鈍くなってきたところを突かれて破壊された。
すると桜スライムは鏡餅のように平べったくなり、最後には溶けるようにして光の粒子と化した。ドロップしたのは少し桜色がかった中魔石である。
「ちょっと嬉しいやつだ」
帝階層でドロップする魔石は基本的に無色だが、稀に桜色がかったものがドロップすることがある。ドーレンの孫娘である魔石鑑定屋が今もその効果を検証中とのことだが、今のところ魔道具の燃料として使うとほんのり桜の香りが混じるくらいしか判明していない。
「そんなもん見てねぇで手伝えや」
「進化してないままでエアブレイズ打っても掠り傷だよ。精神力の無駄でしかない」
「……こうなるなら神龍化使うんじゃなかった」
「頑張れー」
いくら緑の粘体でもそれを上回る面積のある大剣を受け流すことは出来ないので、神龍化はかなり有効的である。だが先ほどの投擲で雑に使ってしまったので、またすぐに発動するのはロストの危険がある階層主戦でもない限りは控えたい。
「黒門あったよーん」
「あー!! なんか先にやってるっす! あたしも混ぜるっすー!」
その後も努とガルムの進化条件を満たしておくための戦闘を続けていると、黒門を見つけたエイミーが帰ってきた。それから少ししてハンナも帰ってきたので、残っていたコボルトを手早く片付けた。
「わたしも進化条件満たしたかったー」
「あたしもっす!」
「ハンナはバッファーしなくていいからね。浮島階層で使い物にならないことはわかってるから」
「いーやまだわからないっすよ」
双剣士の進化ジョブはデバッファー、拳闘士はバッファーであるが、ハンナの方は舞踏で周囲を鼓舞する吟遊詩人のような純正のバッファーである。彼女には明らかに向いていないジョブであり、浮島階層で試しに使っていた時は酷いものだった。
「あたしがバッファーしてー、師匠がアタッカー。アーミラがタンクすればよりどりみどりっす!」
「いくらロスト前提の装備とはいえ、ドブに捨てさせるつもりはないよ」
「わたしはちょこちょこ使うけど、大丈夫だよね?」
「無理はしない範囲でよろしく。他は従来通りの形で行くよ」
「…………」
エイミーはいいのに自分は駄目なのかとむくれるハンナに、努はいきり立っている彼女の青翼に視線を向ける。
「ハンナは魔流の拳に頼らない立ち回りするようになったんでしょ? 実際どれほどのものか、お手並み拝見させてもらうよ」
「また羽根抜けしたら病院連れてかれるっすからね……。師匠に使えって言われても使わ……あ、でもやっぱいいっす。師匠に使えって言われたから使うっす」
「またコリナにどやされるぞ」
「前はハンナにもびくびくしてただろうに、今じゃ普通におっかなくなってて笑えるぜ」
「正直、僕の方がびくびくしてるまである。暴力に訴えられたら勝てる気がしない」
「優しい怪物だから気にすることはない」
そんなガルムの補足に努は本当ぉ? と目を丸くし、エイミーはチクるぞと言わんばかりに目を吊り上げていた。
神台カメラ「あ、チクっときましたんでw」