第665話 おかえりの挨拶
探索者同士での模擬戦は今に始まったものではないが、神のダンジョンのセーフポイントで出来るようになってからは万が一の可能性も減ったので敷居が下がった。
それにその戦闘を神の眼によって配信することも出来るので、今となっては探索に次ぐメジャーな配信コンテンツとなっている。PvEよりPvP好きな人もいるよね、というのが努談である。
ただその中でもPT同士での模擬戦というのは珍しい部類である。そもそも10人のスケジュールを合わせるだけでも大分手間であるし、本気でやるとなると装備の破損による損害も馬鹿にならない。それを階層主戦のためだからと一手に引き受ける努のような存在がいなければ、到底成立しないだろう。
(警備団の訓練と言われても納得ですねぇ。普通ならコンバットクライ受けることもないですし)
前を張っているフルアーマーのゼノとダリルにいくつかの願いを込め終わったコリナは、久々に浴びた赤い闘気によりガルムとハンナに思わず注目してしまう。とはいえモンスターよろしく一目散に飛び掛かるほど敵意が沸き上がるわけではなく、大声を出している人がいるなという程度の注目度である。
無限の輪の中で最も大きい体格であるガルムの迫力は対面してみると圧巻であり、神台だけで彼を見ていた観衆が実際に出くわすと感嘆の息を漏らすのも珍しくない。
そんな彼と対峙しているアタッカーのクロアは、下手をすればそこらのモンスターよりも大きい体格差にも怖気づかずに大槌を振るっている。
「ふんっ!」
対人でも構わず大槌を扱うクロアの振り下ろしで地面がくぼみ、彼女の身体も思わず引っ張られるように前のめりになった。その振り下ろしを横に避けながらフライで浮かんだガルムはショートソードで突こうとする。
「グランドクエイク」
だが彼女は不格好な態勢のままスキルを詠唱し大地を隆起させ、それを利用して大槌を前に跳ね上げた。彼は盾で咄嗟に大槌を受け止めるも大きく吹き飛ばされる。
大槌は隙が大きく小回りも効かないので基本的に対人戦には向かないが、その隙をスキルで補うことで逆に虚を突く立ち回りをクロアは得意としている。その可愛らしげな見た目とは裏腹に大槌を扱う体幹も強く、隙だらけのようで次の動き出しに淀みはない。
「ヒール。ヘイスト」
その立ち回りに不意を突かれて吹き飛ばされたガルムに対して緑の気が着弾し、彼の打撲を癒す。そして石礫のような小さいヘイストが発射され、それはコリナ以外のPTメンバーに着弾した。
「ちっ」
「むっ! 感覚ずらしかっ! 警備団のような真似をする!」
「……」
ただでさえ効果時間の短い撃つスキル。それに込める精神力すらも最小限にすると効果時間は数秒しか持たず、リーレイアたちのAGIは上がった後すぐに切れた。ヘイストによる身体感覚の切り替えを何度も繰り返させる逆バフ。
「祈りの言葉」
祈禱師というジョブの性質上即座にAGIを上昇させることが出来ない初動の遅さを突いた努の嫌がらせに、コリナは祈りの言葉を重ね掛けして迅速の願いが叶う時間を半減させた。
だがそれでもまだ叶うのに十数秒はかかるため、クロアはムッとした顔で努を恨みがましく見つめた。しかしヒーラーを狙うのはあくまでモンスターのヘイト準拠のため、これだけで狙いにいくことは出来ない。
ヒーラーを狙いにいくために最も簡単な方法としては、タンクかアタッカーを殺してレイズを使わせることだ。もう片方のタンクがヘイトを稼ごうとする少しの間に近づいてしまえば、接近戦最弱の努に為す術はない。
「サラマンダーブレス」
そんなタンクの中で滅法柔らかいハンナと対面しているリーレイアは、努を蹂躙することを決意してスキルを使い彼女を殺さんと迫る。
「ほっ」
だがハンナはその熱線を水の魔石を用いた魔流の拳で相殺するように防ぎ、リーレイアのレイピアによる目にも止まらぬ刺突をひょいひょいと避けた。
「契約――シルフ」
だがこれでハンナが使える魔石の属性は水に確定した。リーレイアはすぐにサラマンダーを引っ込め、本命のシルフを呼び出し自身のAGIを更に引き上げた。
「ウインドエレメント、風切舞」
リーレイアは風の結晶を生み出し自身の背後に浮かび上がらせ、シルフはかまいたちの舞を披露する。するとハンナもそれに呼応するように青の翼を大きく広げた。
「バリアっす!」
「…………」
正確には無色の魔石を使用し障壁魔法にも近い魔力膜を生み出す防塵膜という魔流の拳であるが、それによりシルフの風刃は防がれた。しかしそれは障壁魔法やバリアと違い、物理攻撃にはほとんど意味を為さない。
横合いから飛んできた鉄球のような小槌。その風切りを青翼にある羽根の中でも感覚が鋭い糸状羽で察知したハンナは、視界外のそれもひょいと避けた。
「あーっ! 卑怯者っすー!」
様子見しているガルムの隙に乗じて投げられたクロアからの不意打ちに、ハンナは抗議するように羽根を膨らませていた。
そんな余裕綽々の彼女にリーレイアは舌打ちを漏らして接近するも、一定の距離を保たれながらいなされる。踏み込んだ刺突は拳に装備した鉄甲で受け流され、逆に魔正拳が飛んでくる。ただ仕留めにはかからず、牽制程度で時間を稼がれている。
普段の模擬戦ならば不用意な魔流の拳やアタッカーの自我などで隙が生まれるのだが、今のハンナは避けタンクに徹していることで付け込むところがない。努のアンチテーゼによる寝かしつけという褒美が彼女をそうさせていた。
「ガルム、ゼノからやれ」
獣人にしか聞こえないであろう声量で出された努からの指示に、ガルムは即座に従った。クロアの一見隙だらけなように見える誘い待ちに乗らず、進化ジョブを解放してエイミーと対面しているゼノの方へと駆ける。
努の指示する声を黄土色の垂れ耳で捉えていたクロアは、一瞬の戸惑いこそ見せたが一先ずハンナの方へと向かった。ゼノなら二人からの猛攻で即座に死ぬことはないが、ハンナはアタッカーの攻撃が一つでも当たれば致命傷である。分はこちらの方がいいだろう。
「死神の目」
そんなクロアの判断を確認するようにコリナは詠唱し、クリーム色の瞳が淡い輝きを見せる。その視界は瞬きと共に切り替わり、死期を知らせる黒い靄が表示されるようになった。
ユニークスキルとなった今では視界の切り替えが可能になったので彼女からすればまさしく世界が目に見えて変わったと言えるが、その代わり視界の切り替えと維持に精神力がかかるようになった。外のダンジョンでは実質不死身であるヴァイスと同様、コリナの目もナーフといえばナーフである。
(先にハンナを殺せるなら儲けもの。クロアの合流で死期が出るかどうか……)
そんな死神の目によりクロアの加勢でハンナが殺し切れるかどうかはある程度判断できる。確かにハンナから出ている黒い靄は少し濃くなった。だが確実に死ぬほどではない。それよりもゼノに浮かぶ靄の方がずっと濃い。
「クロア! チャンスは二回まで! それで仕留められなければ諦めてゼノに加勢を!」
「そうだねぇ!! 狂犬乱舞はそう長く足止めできんぞ!」
ゼノはそう軽口を叩きながらエイミーを盾で押し出して近づけないようにし、ガルムの攻撃は銀鎧で受け止める。今のところはそれで何とか致命傷を避けているが、徐々にエイミーの動きが恐ろしく精彩になっていく。
異様に態勢を低くしたエイミーは蛇のようにゼノの足下に滑り込んで銀盾を避け、彼の着ている鎧の間接にある隙間へ双剣を滑り込ませるように差し込んだ。
そのまま膝裏の筋のような軟骨もろとも掻き切り、がくんと態勢を崩したゼノの顔面を掬い上げるようにガルムが盾で殴りつける。コリナが事前にかけていた願いにより回復するも、エイミーが即座に飛びつき関節をキメにかかった。
「ホーリープロージョン!! エクスヒール!」
聖属性の攻撃スキルでゼノは軽い反撃と目眩ましで何とかエイミーを遠ざけ、フライで浮かび進化ジョブを解放して損傷した膝裏を完全に治す。そして自身を治した回復量で条件を満たし、即座に進化ジョブを解除してタンクのステータスに戻る。
「まずいっかーい!」
「あと二回」
聖騎士の切り札とも言えるエクスヒールを前にエイミーはにこやかに宣言し、ガルムはぼそりとつぶやく。
「はっはっは!! 救援、求む!!」
巨漢の犬人と通り魔の猫人を前に、ゼノは恥ずかしげもなく救援を求めた。
「俺を前に余所見かぁ!?」
「ぐぅ!?」
そんな彼の悲鳴にも似た声を聞いたダリルは援護に向かいたかったが、既に龍化しているアーミラを放置も出来なかった。彼女を好きにさせてしまえば神龍化による広範囲攻撃で勝負が決する可能性もある。
「わーっ!」
それに対して鬼ごっこでもしているような声色でリーレイアとクロアを相手取っているハンナは、死ぬ気配がまるでない。一体二では想定通り不利を背負い、二対一でも有利が取れていない。
「ヘイスト、プロテク。メディック、ヒール」
「迅速の願い、守護の願い。治癒の願い、蘇生の祈り。癒しの光」
そんな中で訪れた支援スキルの効果時間が切れるタイミング。先ほどはコリナが先手を取られたが、後手では努が支援回復スキルを誤射するリスクがある。
当然リーレイアとクロアはその支援回復を防ごうと立ち回るが、ハンナに対しては彼女の機敏な動きをも予測した置くスキルにより誤射の誘発が出来なかった。アーミラもダリルをむしろ押している側のため、ヘイストの邪魔をされる心配はない。
(もう、帰ってきたんですね)
三年前、前人未到の百階層を攻略し最強の白魔導士と謳われたまま探索者を引退した努。そんな彼は半年ほど前に帰ってきて、また迷宮都市を震撼させながらブランクを感じさせない全盛期以上の力を見せつけてきている。
その白魔導士の帰還をコリナは喜ばしく思いながら、自分がヒーラーとして対面するのは力不足だと認めた。このまま状況が動かなければPT全体の力押しで負けるのは必然。
ゼノやダリルを回復させることで条件を満たしていたコリナから白い聖気が巻き上がり、彼女が手にした星球から共鳴するような高音が響く。
「モーニングスロー」
コリナが振りかぶって投げたモーニングスターはゼノを付け狙うガルムに飛来し、その風圧で彼を大きく退かせた。
スキルの詠唱を犬耳で捉えていたガルムは進化ジョブを解除して避けていたものの、当たればただでは済まない威力であるのは窺えた。それを後方からフライで見ていた努の口端がひくつく。
「グッドモーニング」
ガルムに一足跳びで追いついた彼女は挨拶代わりのスキルを使い、白く輝いた星球を振るう。コリナ、出陣。
更新ありがとうございます!
「敷居が高い」はもはや「行きにくい」で定着してるんじゃないか。
「確信犯」みたいなもの。