第682話 四面楚歌?
「ツトム! 大丈夫なのです!?」
「……まぁ、何とか?」
顔面に向けて豪速球でも投げられるみたいな恐怖感こそあったが、努の主観では三度目である死亡からの帰還である。三年ほど前に百階層で吐き出された時を思い出しながらも涙で目が潤んでいるユニスに曖昧な返事をし、おずおずと立ち上がって一番台を見やる。
(そういえばガルムたち、僕が先に死んで残るパターンは初めてか。最悪決め切るにしてもサブリーダーが機能するには慣れがいるな)
PTに蘇生可能なジョブが存在しないことで努は死んでから数十秒後にギルド第二支部の黒門から吐き出され、残されたPTメンバーは今も四季将軍:天を相手に奮闘はしている。ただヒーラーであると同時に指揮も担っていた努が存在しないことで各自の動きに一体感がなくなり、個人技で凌いでいるに過ぎない。
(良かった、魔石道連れにしといて)
焦ったように何かを探し回っているハンナは明らかに無理する気満々であるが、努がマジックバッグを持ち帰ったことでもうあの場に追加の魔石はない。勝算があるならば自分が戦犯だが、今も神台に映っている四人が冷静に勝ち筋を見つけられるとは思えない。
「やっぱり神の子とかうそだったのです! よかった! よかったぁぁぁ!!」
一番台を見ている間に何やら泣きながら亜麻色の服に縋りついていたユニスを一瞥した努は、少し離れた場所で従者のように着替えを手に持っていたダリルと視線を合わせる。
だがそんな彼の横からステファニーが桃色の縦ロールを揺らしながらつかつかと歩き、氷の指揮者に相応しい目つきのまま努の前で足を止めた。
「師として恥ずかしくない振る舞いこそ見せて頂きましたが、私からすれば些か期待外れでしたわ。何故、勝負を急ぐような真似を?」
失望を隠せない声色でそう尋ねてきたステファニーの後ろからは、スキップでもしていそうな表情のディニエルも歩いてきていた。そんな死体蹴りに余念がない二人を前に努は大きくため息をつく。
「嫌味を言いに来る暇があるなら自分も180階層潜ったらどう?」
「先に私の実力を疑い、そこの女狐を当て付けてきたのはツトム様の方でしょう? 自分がするのはよろしくて、弟子からやられるのは御免被ると?」
「ウルフォディアなんかに半年もかけてぬくぬくバカンスしてた奴に言われてもなぁー」
「……は?」
自分、ひいては160階層で戦ってきた最前線組をも侮辱した努の物言いに、ステファニーは総毛立った。今まさに帝都から帰還途中である最前線組が聞いたら怒髪天を衝くであろう言葉に、下剋上を果たした周囲の探索者たちですらいくら何でもそれはといった表情をしている。
「迷宮都市にもいなかったくせして、何を我が物顔で語っていますの? 情報が出し切られ攻略が進んだ後になってあれは楽だったなど、まともな探索者であれば口が裂けても言えないと思いますが?」
「三年ぶりに帰ってきた僕が追いつけてる時点で、語るに落ちてるよ」
中世のネトゲじゃないんだからさぁと内心で愚痴る努の表情は、完全にステファニーを小馬鹿にしていた。それに彼女は目をかっぴらいてうんうんと頷く。
「それもそうですわね。口だけは大層ご立派でしたが、いざ階層主を前にしたら一人で先走ってPTを全滅させるような人には、何を言っても通じませんか」
「確かに僕は届かなかった。でもまだ潜ってないステファニーが届く保障もないだろ」
「そうなのです! 私たちが絶対お前より先に攻略してやるです!」
いつも自分の前をひた走りその背中で道を示してきた師はもういない。今は大きな壁を越えられず道の端で転がり管を巻いている。自分の信仰する師である彼のそんな姿を見るのは初めてであり、駄狐を支えに言い訳をしている様は惨めとしか言い様がない。
「あ? 擦り寄ってくんじゃねぇよ出会い厨が」
だが努は自身の腕を掴みながら口を挟んできたユニスを振り払い、軽蔑するように距離を取った。そしてダリルの下に歩いて着替えを受け取り亜麻色の服を脱いで投げつけてきた彼に、ユニスは唖然とした。
「あ……。えっ?」
「無限の輪とシルバービーストが共同しないと倒せませんでした、なんて言われるのも癪だからな」
「……まぁ。酷いですわね。散々刻印装備を搾り取っておいて、用が済んだらすぐにゴミ箱扱いですか?」
遠慮なく視線を巡らせているステファニーも気にせず手早く着替えを済ませた努は、心外なと目を細めた。
「ここから先の攻略は変に邪魔するなって忠告してるだけだ。170階層主は肩透かしだったからなぁ。ようやく手応えのある階層主が出てきたんだ。張り合いのない奴らに構ってる暇はないね」
『ライブダンジョン!』中期にはエンドコンテンツの冥獣を攻略する最前線PTの一つには入っていたが、王道ではない攻略法を試していたこともあってか有力視はされていなかった。プロゲーマーとして活動した際も初めは期待の新人として頭角を現したが、一回戦敗退で話題にもされなくなった。
だが努は敗北を喫したとしても腐らずに努力を怠らず。攻略に向けて試行錯誤し続けた。その結果として冥獣の初討伐を果たし、最後には世界大会の優勝も手に入れた。そのねちねちとした異様なしぶとさはその性格にも現れている。
階層主の初見突破はそれらの財産を用いた副産物に過ぎず、その本懐はエンドコンテンツの攻略にある。そして死を克服した今、彼を止めるものはこの世界にない。
「僕は180階層攻略に半年もかけるつもりはない。今年はのんびりバカンスなんて出来ると思うなよ?」
「…………」
180階層攻略の宣戦布告を全方位にぶちまけて最後に狂気的な目を向けてきた努を前に、ステファニーの表情がみるみるうちに溶けていく。
「望むところですわ。ぬくぬくしていたのは果たしてどちらなのかは、180階層の攻略でわかることです」
確かに師の顔に土こそついたが、それで終わるような人ではなかった。好敵手と成った師にそう宣言した彼女は、身を翻してPTメンバーの下へと早歩きで向かい受付列に並んだ。その後ろにいたディニエルはそれを見送った後に眉を上げる。
「少しは萎れてると思ってたけど、添え木まで弾くとは」
「初見突破する縛りプレイも終わったからな。一流の証明はしばらくさせてやれそうもないよ」
「ぬかせ、短命が」
そう笑顔で返したディニエルはステファニーからの催促に従いその場から離れた。そのやり取りを聞いていたアルドレットクロウの面々の反応は様々であるが、辛酸を嘗めさせられた160階層をぬるいと断言した努に対して思うところがあるのは総意である。
「……潰す」
「二回戦どころじゃないよぉ」
一軍PTは勿論、二軍のヒーラーである祈禱師のカムラも努の言動には頭に来たのか、その気概を再燃させていた。ルークは努のビンビンな煽り文句に武者震いを隠せなかった。
「……おい。じゃあもし私が先に180階層攻略したら、どうしてくれるです?」
ただそんなステファニーとのやり取りの内に激情を押し殺していたユニスは、あれだけ嫌がっていた死を迎えた割に強気な態度を崩さない努に語り掛けた。
「対策装備が自前で作れることは評価できるけど、下位互換獣人詰め合わせPTじゃ無理でしょ。正直、眼中にも入らない」
「舐め腐ってるですね。じゃ、私が先に突破したら何でも言うこと一つ聞くですよ?」
「いいよ。じゃあそっちが負けたら僕の好きな刻印装備一式でよろしく」
「……うちのPT、耳はいいのです。もう引っ込みはつかないですよ?」
そう言ってユニスが振り向いた先には、それぞれ獣耳なり尾なりを立てているシルバービーストの面々がいた。そんな威嚇感丸出しな女性陣を見て努は鼻で笑う。
「すぐ燃える奴らは燃え尽きるのも早いからね。お前もそうならないことを祈ってるよ」
「私がレベルアップ刻印作ってなかったらこんな早く追いつけなかったくせに、なんつー言い草なのです。……確かに私が変に首突っ込んだのは悪かったですが、にしたって言い方には気を付けるですよ」
「悪かったね。こっちも慣れない死で気が立ってるんだ」
「ふん。私じゃなかったら愛想を尽かしてるところなのですよ」
当て付けるように流し目をくれてきたユニスに、努は本当にうんざりとした様子で顔を逸らした。
「……何でそんな嫌そうなのです」
「攻略に女が混じって嫌な思いした経験があるもんで」
「そんなのと一緒にするなです。首洗って待ってろ、です」
過去の女を話題に出されたのが気に食わなかったのか、ユニスは憎しみの上目遣いをくれた後に亜麻色の服を握りしめPTメンバーの下へと小走りで戻っていった。それと入れ替わる形で無限の輪のゼノPT一同も近寄ってくる。
「随分と大きく啖呵を切ったものだね! それにウルフォディアの件については、正直私もステファニー君と同意見でもある!」
「だろうね。じゃあゼノたちが僕のPTより先に180階層突破したら謝罪して取り下げるよ」
「たかが数度死んだだけで気が大きくなるなど、それこそ受付で血をわざわざ流す探索者のような痛々しさがありますね。恥ずかしくないのですか?」
「私も今回ばかりはリーレイアを止める気にもなれません。ちょっと怒ってます」
努がいなくなった三年の間に無限の輪で最前線争いをしていた三人も、彼の言葉に面白くない様子を隠さなかった。リーレイアはまだしもゼノとコリナにここまでの感情を向けられることがなかった努は、面白そうに笑みを深めた。
「ガルムには僕から言っておくよ。仲間外れにして悪かったってね」
「ふざけてますね。ゼノ、ガルムたちが死んでくる前にさっさと行きましょう」
「ツトムさん、滅茶苦茶しないで下さいよ……」
「…………」
まさかこうなると思ってもいなかったダリルは努にマジックバッグを渡し、クロアは完全にドン引きといった顔でPTメンバーを引き連れていくリーレイアに続いた。
そうして全方位に喧嘩を売り一人残された努は、やっちゃったーと伸びをした。けれどすっきりした顔つきで誰にも声すらかけられないまま一番台を視聴し始め、受付にいた神竜人から盛大な苦笑いを向けられていた。
ツトムにやる気が出てきて何よりなのです。