第699話 あの時から側に
「バリアいります?」
「お構いなく、バリア、バリア」
前回も盗聴対策をしていた迷宮制覇隊に努が尋ねると、後ろに控えていた獣人が澄ました顔で一歩外に出てバリアを張り巡らせ始めた。するとクリスティアは相変わらず生気のない目で迷宮制覇隊のクランメンバーに振り返る。
「外で待っていろ。込み入った話だ」
「…………了解しました」
色々と言葉を飲み込んだであろう側近の男女は頭を下げた。そして自分の獣耳で盗聴対策が問題ないか確認した女性は、何かあればいつでも飛び込めるようバリアの前で監視体制についた。
明らかに警戒している獣人たちにはガルムとエイミーも少し獣耳と尾を逆立てて臨戦態勢であり、二人に挟まれている努は肩をすくめていた。そんな彼の様子を見かねてかクリスティアは外にいる側近たちを手で散らした後、軽く頭を下げる。
「狂犬がどうにも恐ろしいようだ。すまない」
「だってさ」
なので努も二人に警戒心を解くように言葉を返すと、ガルムは神妙な顔のまま席を立つ。エイミーは白い尾で彼の背中をてしてしと叩いた後、遠くで待機し始めた迷宮制覇隊のメンバーを一瞥する。
「そんなに大切ならこんなところ来させなきゃいいのに」
「飼い犬が客人を威嚇しているようなものだ。動物と違って可愛げもない」
「だってさ」
目を閉じてそう嘆きながら王冠を脱いだクリスティアに、努の言葉を借りたエイミーはガルムに視線を投げかける。そしていつものように小競り合いをしながら隣の席に移ったクランメンバーたちを努が眺めていると、クリスティアはまず他愛のない話題から切り出した。
「ツトムは最近、幽冥に入り浸っているそうだな。人間にしては夜が似合うと店主は喜んでいたが、大事ないか」
「脳ヒールで早起きしてるだけですからね。それに毎日行ってるわけではないですし」
「そうか。あの男は夜にしか生きられないが薬師として腕は立つ。精々使い倒してやるといい。……しかし脳ヒールか。治らぬ病が発症してからは自ずと消えたようだが、それこそ大事ないのか」
「毎日数時間は寝ることさえ守れば、今のところ問題は出てないですね」
「なら是非一度受けてみたいものだが……ここでツトムに頭を掴まれては番犬が吠えて敵わん。またの機会に頼むとしよう」
無表情ながら何処か残念そうに呟いたクリスティアは、そのまま努の顔をじっと見た。
「……しかし眠るという自然の摂理に反すれば、それは不自然となり身を持ち崩す。脳ヒールはそれで話がついたと思っていたが、君の手にかかればそれも捻じ曲がるわけか。それは果たして人の手で扱っていい技か?」
「僕は神の子なので許されますね」
「では、ツトムは神の存在を信じていると?」
クリスティアは弓で狙いを定めるように努を見つめた。冗談で煙に巻くことは出来ないらしい。渾身の冗談にくすりともせず流された彼はまたカミだ、またカミだといった顔で口にする。
「宗教的なものとは別に、神にも等しい力を持つ者は確実に存在しますよね。何せ神のダンジョンがありますし」
そう言って努はギルドの内装を見回した。実際に探索者たちの活動を映している神台と、神のダンジョンの出入口である魔法陣と黒門。そしてその先には現在180階層まで進んでいる神のダンジョンが異空間に広がり、人々にステータスとスキルをもたらしている。
これらを見れば神がいるかどうかはともかく、人知を超えた何かが存在しているとしか思えない。それを神と呼ぶ者がいても納得はする。
(Avid、KAMI谷、†ソロツインソード†、Ping999、引退済み……。少なくともそれに類するライブダンジョンのプレイヤーではありそうだけどな、神運営)
ただ神のダンジョンは少なくとも100階層までは努が知る『ライブダンジョン!』と酷似しているため、その時を知るプレイヤーか開発者ではないかと想像はつく。ただこちらの世界とあちらの世界では時間軸に大幅なズレがあるとはいえ、どういった流れでその者たちが神になり得たのかはわからない。
自分を突然こちらに転移させて爛れ古龍に殺させた恨みは未だにある。成れの果ての石化強すぎだとか、爛れ古龍のアホ強化は私怨混じってるだの調整に関しての文句もある。自分をデバッガーか何かだと思ってるんじゃなかろうなと考え、その掌の上から飛び出してやろうと画策もしている。
「別に神を信仰しているわけではありませんが、それに近しい何かがいることは確かです。それにまぁ、そこまで悪い奴でもないんじゃないですかね」
「……なるほど」
「クリスティアさんは、神がお嫌いで?」
それに神の是非を問うてきたクリスティアは、どうもその存在を憎んでいるように感じた。なので努は軽く擁護した後にそう尋ねた。
すると彼女は黙り込んだ後に隣の席へと目を向けた。どうやら二人だけで話したいようなので、努はクランメンバーたちに外へ出てもらった。
バリアを解いてもらい出て早々に獣人たちが何やら争っているのを横目に、二人きりの状態でバリアを二重に張り直したクリスティアは何処か遠くを見た。
「……私は神を信じない。祈った者は救わず、祈らず悪事を働く者がのうのうと生き残る。そんな場面に出くわすことが多かった」
スタンピードで氾濫したモンスターによって壊滅させられた街に、人の形をした畜生共が火事場荒らしに来た。そこから命からがら逃げてきて森に迷い込んだ少女と出会ったことで、里の護衛長だったクリスティアは森を出ることになった。
だが結果としてその少女を助けられることはなく、彼女の家族も全員死んだ。もし神がいるのだとしたら、何故このような悲劇を見過ごすのだろうか。その結論をクリスティアは価値観の違いとした。
ただそこに生まれただけである少女が殺され、その家族も死んだことはクリスティアに衝撃を与えた。だがそんな悲劇はこの世界の中で探せばいくらでも存在する。その全てに同情することは自分には出来ず、もし神がいるのなら見飽きてすらいるだろう。
エルフとて言葉の通じる人間ならまだしも、虫が生存を賭けて食い合っていることにまで関心は及ばない。何千何万と虫が死んだところで人が気にしないように、人の生死を神は気にしない。その価値観が違うならば、人の感情も論理も神には通用しない。
「帝都の神にも、迷宮都市の神にも私は期待していない。だからこそ私は踏み入らなかったが、神竜人は恐らく呑まれた。次は神の子である君だろう。神に順ずる気がないのなら、気を付けることだ」
「実際にはただの神の子気取りなので僕はギルド長に見限られたわけですが。それはそれとして、もう少し具体的にお願いしても?」
「他言無用でなら構わない。私はどちらにも与したくはない」
「……それなら、何故わざわざここに? 今ならまだ引き返せそうですけど」
先ほどの発言から察するだけでも今起きているある程度のことは想像ができる。どちらにも与したくないのなら迷宮都市にも帰らず王都にでも行けば済むことだ。
するとクリスティアは褐色の指で机の上に置いてある王冠の先をつんつんした。
「それもそうなのだがな。神に与するつもりはないが、人の側には立つ。ツトムが神の使徒でないというのはギルド長の行動で理解した。それに神竜人の娘には多少なりとも世話になった。それを見過ごすというのも寝覚めが悪い」
「なるほど、わかりました。では、ロイドは神の使徒とやらなんですか?」
「ロイド……」
クリスティアは一瞬、口を閉じた。努はその沈黙を待った。
「彼は帝都の神である神華の使徒だと私に名乗り、その力の一端を目の前で示した。そう遠くない未来、少なくとも数年後には神の聖戦が始まる。その時にこちら側に付かないかという、いわば勧誘のようなものを帝都で受けた」
そう語るクリスティアは相変わらず無表情であったが、それを口にする唇は僅かに震え畏怖していた。
そもそも神竜人やら金狼人やら不死鳥の加護、マッスルボディとかユニークスキルはダンジョンの神が与えたものなのかな?
死神の目と魔流の拳みたいな経験とか研鑽の果ての区別とは?