第708話 上機嫌なフェンリル
「あっ、どうも。雑魚です」
「…………」
クランハウスに帰るや否や玄関でそう自己紹介してきたダリルに、努は天を仰いで笑いを堪えた。その後ろに控えていたアーミラは訝しげな顔をしたまま、靴を脱ぎ捨てて努たちを追い越す。
「群れなきゃ生き残れない?」
「……雑魚ですぅ」
「ざーこ♪ ざーこ♪」
「うぉー! 列車っすー!」
そしてリビングに急いで戻ったダリルと共に待ち構えていたリーレイアの言葉を皮切りに、顔を俯かせたコリナとノリノリなクロアの雑魚雑魚列車が発進する。そこにハンナも加わり五両目となったそれを前に、努は散れ散れと手を振った。
それからもしゅぽしゅぽしている五人を横目に、ガルムは努に尋ねた。
「何の騒ぎだ?」
「フェーデと打ち合わせ終わった後、リーレイアにアルドレットクロウのクランハウスまで連れていかれたんだよ。その時に僕が言ったことの意趣返しかな」
「雑魚は群れなきゃ生き残れないと? 共同戦線を組んでいる者たちに向かってか?」
「まぁね」
「……それなら私もあそこに加わった方がいいか?」
「勘弁してくれよ、ガルムまで」
努は悪ノリしてきたガルムにそう言って目頭を揉んだ後、列車の中ほどにいるリーレイアにちょいちょいと手招きした。彼女は昼に話したアスモの件だとでも思っているのか、すぐにそこから抜け出してきた。
「フェンリルと契約してもらえる? フェーデと打ち合わせした時、約束しちゃったんだ」
「いいですよ。契約――フェンリル」
その契約に馳せ参じたフェンリルは待ってましたと努に顔を擦り付けた。それから少しフェンリルをサイズダウンさせた努は、その頭を撫でながら階段の方へ歩く。
「上で少し話そうか」
「わかりました」
「……?」
努の言葉に軽い調子で頷いたリーレイアを前に、彼の後ろ姿を見たガルムは僅かな違和感を覚えた。それを指摘する前に二人はクランハウスへの二階へと上がっていき、部屋に入ってからはガルムの犬耳でも音を捉えられなくなった。
リーレイアを自室に招き入れた努は外に音が漏れないようバリアで部屋を囲っていた。その手際を見た彼女はからかおうとしたが、彼の表情を見てその言葉を飲み込む。
努の表情はただ静かに冷え、その目は虫でも見るようだった。
「いい加減、目に余るね。リーレイア」
「…………」
「僕は行かないと言った。にもかかわらず無理やりアルドレットクロウのクランハウスに連れ込んで、随分な場を用意してくれたもんだ」
湯冷めでもしそうな空気の変わりように、リーレイアは目を見開いて泳がせた。そんな彼女に睨みを利かせるフェンリルは低く唸り、その気配に押されたリーレイアはようやく努の目を気まずそうに見た。
「……そこまで、拒否しているとは思いませんでした」
「ならクランハウスの前で進化ジョブでも切って強引に逃げれば良かったか? 悪かったね。言語が通じない輩だとは思ってなかったから、次回からはそうするよ」
「…………」
努の声には抑制が効いていたが、言葉の一つ一つが皮肉に満ちていた。そして何よりその表情に一切の容赦もなく、リーレイアは黙るしかなかった。
そのまま凍てついた空気が張り詰め時間だけが過ぎていく中、努はそれを緩めるようにため息をつく。
「新精霊の契約を手助けしても、破格の刻印装備を支給しても、ガルムの言う通りお前はさも当然の顔で受け取るだけみたいだね」
「……そんなつもりでは」
「じゃなきゃ床に手をついて詫びればなんて人前で言わないだろ。あれでこっちがどれだけの配慮をしても何の意味もないことが、よくわかったよ」
どれだけ誠意を示そうが被害者面を止めず、謝罪と賠償を要求し続ける業突く張りの蛇。それに餌を与え続ける方も責任の一端はあるので、努は一旦距離を離さなくては駄目だと判断した。
ただそれを突如として宣告された形となったリーレイアは、おろおろと瞳を震わせる。
「いや、それならそうと早く言って下さい。何故こうも、今になって突然」
「遠回しには言ってただろ。それにこうして場所も選んでやっただろ?」
「それは、そうですが……」
「もうアスモにも期待するな。それで話は終わりだよ」
そう言い捨てて横を通り過ぎて部屋を出ようとした努の腕を、リーレイアは掴もうとした。
「っ……!」
だがそれを諫めたフェンリルの一吠えでその手は硬直して空を切る。それでも懇願するように頭を下げた。
「そんな……! ツトム、どうか! どうか考え直してください! お願いです!」
「精霊の話題を出した途端にそれかよ。精霊術士は皆、あれは精霊目当てだとよく口にしてたけど、それは自分がそうだからだろ。新精霊の契約解除させないだけ、感謝してほしいもんだね」
「私が甘えすぎていました! 私の落ち度です! この通りです!」
地面に身を投げ出した彼女の謝罪に大した意味はない。リーレイアに対して良い薬になるのは精霊関係と神竜人くらいだろう。
「あぁ、そう。本当にそう思ってるなら、しばらくは部屋で大人しくしてることだね。せっかく場所を選んだのに、クランメンバーに知られたら本末転倒だし」
彼女の謝罪に身の入らない返事をした努は、フェンリルと共に部屋を出ていった。その扉が閉まる音が部屋に残されたリーレイアの背中に痛いほど響いた。
それから努がフェンリルと共に階段を降りると、リビングでは雑魚雑魚列車の撤収作業が始まっていた。クロアとコリナはソファの背にぐったりと寄り掛かり、ダリルは氷袋でたんこぶをこさえたハンナの頭を冷やしている。
「師匠~! 頭治してほしいっす~!」
「それは大変だね。僕の腕でも治るかどうか……」
「ツトムさん、放っておいていいですよ。ハンナは痛みなくして失敗と学びませんから」
列車ごっこでテンションをぶち上げ天井に激突していたハンナを前に、コリナは少し目を尖らせて忠言した。それに背後のフェンリルはやけに深く頷き返している。
「おっ! あのフェンリルが優しいっす! なんかリーレイアといい話でもしたっすか~?」
「まぁ、そんなところだね」
「うひゃ~。ありがたや~」
今日は普段よりデカめなフェンリルのさらさらとした尻尾を膝に乗せられて喜んでいるハンナとクロアを横目に、ガルムは神妙な顔で努の様子を観察していた。だがあまり要領は得られなかったのか、準備していたオレンジジュースの入ったコップを差し出す。
「やけにフェンリルの機嫌が良いな」
「今日は毛だらけになりそうだね。契約解除すれば消えてくれるのはありがたいけど」
それならばと努の髪をえろんえろんと舐めて毛繕いしたフェンリルは、その後もクランメンバーのために飲み物用の氷を作ったりといつにも増して上機嫌だった。
良い上司は誰にも見られないとこで叱るんだ