第719話 犬人ならでは

ゴールデンタイムに流れたアルドレットクロウのライブ映像を見た後も迷宮マニアとあれこれ意見を交わし、宴もたけなわで一息ついた頃。努は自分が晩飯当番であったことを思い出した。
それからゼノ工房で刻印ノルマを果たし脳ヒールしてから仮眠した後、クランハウスに朝帰りした。そしてせめてものお詫びにとキッチンで朝食の準備を進めていた。すると赤髪をすっかり伸ばした女性が訝しげな顔でキッチンに現れ、努を半目で睨みつけながら声をかけた。
「どの面下げて帰ってきたんだ? えぇ?」
「すみませぇん……。神台に夢中になっちゃってぇ……」
「ガルムは何かあったんじゃねぇかって心配して探してたが、ダリルからお前を予約席で見つけたって言われた時の顔は傑作だったぜ」
「ご心配おかけしました……」
言い出しっぺが晩飯当番をすっぽかしたことにお冠であるアーミラを前に、努はへこへこと頭を下げた。それから姑のようにコーンスープを覗いたりして努の仕事ぶりを監査した彼女は、よろしいと頷く。
「ま、俺は別にどうでもよかったんだがよ。あの番犬二人なんてしばらく飲まず食わずで夜過ごしてたんだぞ? 特にガルムな」
「うす、謝っときます」
「あとお前、リーレイアとどうしたんだ? それこそ今日は鬼の首でも取ったみてぇに騒ぎ立てると思ってたが、すんなり晩飯当番代わってたぞ」
「まぁ、精霊関係で色々ございましてね」
「あー、アスモか? しかしそれだけでアレがあんなに大人しくなるもんかね。……ヤッたか?」
「やってねぇよ」
「どうだかな」
そうこう言いつつアーミラも手伝いに加わり、二人は朝食の支度を進めていく。努は基本的に自炊していたので料理もそこそこ出来ると自負していたが、五人前ともなると勝手が違うので思いのほかアーミラの手際の良さが頼もしかった。
「オーリはこれの倍の規模を捌いてるのか。それに付け合わせとかは五日分作ってあるし、凄い仕事量だね」
「てめぇは任せっきりで外に出てるもんな」
「そっすね。皆は意外と手伝ってたりするもん?」
「女性陣はわりかし手伝ってる印象だな。コリナも花嫁修業って張り切ってたぞ」
「そうなんだ。ありがてぇこって」
オーリが休み前に作り置きしていた料理や、食器と調味料がどこにあるのかを完全に把握していたアーミラに努は感謝を述べつつ、事前に配置しても問題ない料理を配膳しにリビングを往復する。
そしてミトンを装着し鍋物を運んでいたところで、走り込みに行っていた三人が帰ってきた。
「皆さん、昨日は大変失礼しました……」
「あははっ! ドンマイです!」
「たまには構わん。……ポトフもあるしな」
ダリルは珍しく低姿勢な努を前に思わず笑いながらカラッとした声をかけた。ガルムもさして気にしていない様子だったが、食卓にある懐かしのポトフを見て藍色の尾を振った。昨日は何気に楽しみにしていたのであるのは嬉しい。
「リーレイアもありがとね。昨日の食事当番代わってくれて」
「これで少しでも借りを返せるなら儲けものです。これからもどんどんやらかして下さい」
「もうやらかさないぞ……」
「ツトムの当番は最終日に変更しています。今日は精霊祭もあって忙しいでしょうし」
「そうなんだ、助かるよ。最終日は腕によりをかけて頑張らせていただきますので……」
そんな努にリーレイアの肩に乗っていたシルフもけらけらと笑い、頬にそよ風を吹かせてきた。そして三人が汗を流しに風呂へ向かっている内に朝食の最終調整をする。
その間にシャワーを爆速で済ませて帰ってきたダリルは、食卓に並ぶ前菜からメインの品々を見て鼻を膨らませた。
「結構ちゃんとしてますねー」
「オーリが大量に作り置きしてた分もあるからね。これなら出来合いのもの買わなくてもいいかもね」
「……でもたまには出来合いのものもいいですよね」
「ジャンキーだからね」
オーリの手作り料理はあくまでクランメンバーの健康も考慮しているため、塩分と油がドーンなものはあまりない。努が深夜の神台市場で買ってきた白い脂身にタレがかかったくそデカ角煮を前に、ダリルは頬を緩ませている。
そんな彼を横目に努は配置された様々な食器類を前にして、げんなりとした顔をする。
「この後に大量の食器洗いが待っていると思うと食欲が半減しそうだね」
「まぁ、そこは各自やればいいんじゃないですかね」
「この機会だしツトムにやらせとけ。オーリの偉大さを知るいい機会だろ」
「へい……」
アーミラ料理長からのお言葉に努がしおらしく視線を落としていると、ダリルはふと思い出したような顔で口を開く。
「そういえばツトムさん、ハンナに一体何をしたんですか? 里帰りする前とかもめっちゃビビッてましたけど……? それに昨日みんなに聞いたんですけど、揃いも揃ってツトムに直接聞けって……」
「あー。……見せた方が早いかな」
努はそう結論付けてマジックバッグから何やら黒い紐のようなものを取り出し、ダリルに手渡した。それを受け取ったダリルは困惑した顔で見つめ返してくる。
「紐……? あっ、これまさか首輪とかそういうやつじゃ――」
「……いや? 深淵階層の宝箱からドロップする水着だね。あんまり調子こいてるとこれ着せるぞって脅しただけだよ」
何やら見当違いな推察をしたダリルに努はそう訂正しながら、マイクロンという黒い紐と僅かな布地からなる水着をつまんで広げてみせた。俗に言うマイクロビキニを模したネタ装備であるそれは『ライブダンジョン!』でも実在していた物であり、水中での機動性においては群を抜いている性能を持つ。
その代わり肌の露出具合も群を抜いているため、今のところこれを着ている探索者は深夜組くらいである。それをハンナに着せるため、この僅かな布面積に刻印を施した職人の情熱たるや凄まじいものがあった。
そんな際どすぎる水着を前にダリルは少々顔を赤くしつつも、咄嗟に言葉を返す。
「でも、これは流石にクランリーダーの命令でも着させられなくないですか?」
「うん。だからこれは最終形に過ぎないね。言うこと聞かなかったら徐々に刻印装備の布面積減らしていって、最終的にはこれになるぞって脅し。今はちょっとボディラインが見えるくらいのやつに留めてるよ」
最初に非現実的な案を提示し、そのあとに現実的なラインに引き下げることで承諾を得やすくなる。努はそんな交渉手段を用いて、ハンナの刻印装備を少し際どいデザインに変更させた。
その場ではホッとしたように同意したハンナであったが、日が経つにつれて明らかに露出度が増えた刻印装備の全容を嫌というほど思い知らされていく。数日経った後のハンナはそれをわからされ、新聞記事に映る自分の姿を見て嫌そうな顔をしていた。
肉体的にどうこうすることは努に出来ないが、精神的な拷問を用いて死にたくなるほどの目に遭わせることはやろうと思えばできる。
結果としてハンナは自分の尊厳を守るために努の指示をよく聞くようになり、マイクロンに手を入れていたゼノ工房の職人は残念がっていた。ちなみにその職人は女性なのでセーフである。
「で、首輪ってなに?」
「…………」
「首輪って、なぁに?」
鳥人の異様な瘦身信仰と同様に、犬人にもそういう趣味があるのか気になった努の疑問に、ダリルは犬耳をぺたんと下げて沈黙を貫いた。
ハンナのマイクロビキニ見たい!恥は捨てた。見たいものは見たい!