第721話 精霊ふれあい会

「……あっ。っすー……」
「ありゃ、ツトムさん? どうかしましたか?」
「ナンデモナイヨー」


 早めに集合してフェンリルに騎乗用具を付けていたフェーデに対し、努は不意に出会ったミナに弱みを握られたことでも愚痴ろうとした。ただ彼女とミナの間柄が血生臭かったことを思い出し、何とか踏み留まって誤魔化した。


「さて、それじゃあレヴァンテ契約よろしく」
「なーんか怪しいですね。アスモでも羽化させたんですか? 契約――レヴァンテ」


 半目のフェーデから怪しまれつつも闇精霊と契約し、努の前にシャチの外見をしたレヴァンテが現れる。その闇精霊はきゅいきゅいとクリック音を鳴らしながら地面を滑り、努の足を鼻先でつついて遊んでいる。

 そんなレヴァンテを前に騎乗用具を付け終わったフェーデは口をわなつかせて近づく。


「き、今日も可愛い……。こりゃフェンリルに並んで大人気ですよ」
「触り心地も面白いしね」
「うひゃー。このツルツル具合たまらんっ」
『…………』


 妙な触り心地に夢中になっているフェーデを横目に、フェンリルは目を細めて押し黙っている。そんな様子を見た努が思わず微笑んで慰めるように手を振ると、氷狼はふすっと鼻を鳴らした。


「独特だよね――ストップ! ……危ないから」


 そうこう言っているうちにレヴァンテは努の股下に鼻先を潜り込ませて無理やり背に騎乗させようとしたが、彼はその勢いに焦りながら声で制す。するとレヴァンテはピタリと動きを止めた後、不満そうにきゅきゅっと鳴いた。

 レヴァンテにも騎乗できるのかどうか努は試したことがあるが騎乗用具があっても厳しく、少なくともイルカショーの人くらい専門的な練習をしなければ話にならない。

 するとフェーデは努の股間を凝視して納得したように声を上げる。


「あ、チンですか!」
「チンやめてね?」
「ふふふっ。男の人は不意に打つと大変って聞きますからね!」
「まぁ、そうですけど」
「……それにほら、周りの人への説明も兼ねてるので」


 最後に声を潜めた彼女の言う通り、努の焦った声色に対して周囲の者たちは何か事故があったのかと注目を集めていた。だがフェーデの話を聞いて「なんだチンか……」と一安心して視線を外し始めた。


「これでツトムがレヴァンテを止められることもはっきりしましたし、いいデモンストレーションになりました」
「嫌なデモンストレーションだよ」
「それじゃ、ちょっと早いですけども。皆さーん! そろそろふれあい会始めまーす!」


 そんな一幕もありつつフェーデは精霊とのふれあい会開始の合図をした。氷狼姫と名高い彼女が傍にいることで安心して触れるフェンリルは勿論、異様な精霊相性を持つツトムもいることで精霊術士からの注目度も高い。

 ふれあい会は基本的に精霊相性が高い子供を無料とし、大人は各精霊に応じた魔石を購入して捧げることでふれあうことが出来るシステムである。

 元々精霊祭には何度も参加しているフェーデたちには固定客がついており、開始していの一番にアルドレットクロウの女性メンバーが氷魔石を捧げてフェンリルをもふもふしていた。その後ろにも続々と客が並び始めている。

 そんな彼女たちとは対照的に努とレヴァンテの前にはまだ誰もいなかった。だが先ほどのデモンストレーションを見ていた精霊術士の男がおずおずとやってきた。


「中魔石一つお願いします」
「どうぞー」


 魔石に関してはリリスに頼んで各精霊に対応したものを潤沢に準備していた。屑、小、中、大まで揃え、品質も出来る限りバラつきが出ないようにしている。


「おぁ……」


 結構な金額を払って闇の中魔石を買った男に対してレヴァンテはあーんと口を開けた。その白く生え揃った歯と深淵の如く真っ暗な喉奥を前に彼は驚嘆の声を漏らし、そこに中魔石を捧げた。


「どうぞ」


 それをガリガリと噛み砕いている内に触ることを許可された男は、レヴァンテの頭にそっと手を置く。ツルツルとしているが柔らかい弾力もある何とも不思議な触り心地。

 その遠慮がちな手つきをたしなめるようにレヴァンテが少しずつ宙に浮き、その手を沈みこませる。それに男性は目をきらきらとさせながら背びれや噴気孔などを興味深く観察した後、闇魔石の咀嚼が終わったところで手を離した。


「最高でした。ありがとうございます」
「どうもー」
「午後からはアスモに切り替えるそうですが、既に羽化していたりとかは……?」
「まだ浮島階層の祭壇見つけてもいないので、繭状態のままですね。それにうちの緑蛇が怖いので」
「なるほど。……あの雷鳥は流石に許可が下りませんでしたか」
「そうですね。この子みたいに制御できる気がしないので」


 そう言いながら白い模様のところをぺちぺちと叩くと、レヴァンテは身を逸らしてご機嫌に揺れ始めた。

 まるで飼い慣らされているかのような闇精霊を前に、精霊術士の男はとほほといった顔をした後に離れていった。彼もレヴァンテと契約自体は出来ているが、もしあんな風に叩けば指が消えるのを覚悟しなければならないくらいだ。


「あの、闇魔石を買いたいのですが……」
「どうぞー」


 そんな精霊術士がファーストペンギンになってくれてからは、様子見していた探索者や民衆たちもレヴァンテのふれあい会に参加し始めた。その後には子連れも増え始めたが、闇精霊は少々性格に難がある。


「びえぇぇぇぇ!!」
『キュキュキュキュッ!』


 努を真似て白い模様をバシバシ叩いた子供に対して、レヴァンテは体を浮かせて突進するフリをした。その迫力と風圧で腰を抜かして泣き出した子供を前に、闇精霊は爆笑の鳴き声を響かせた。

 その後ろで並んでいた子供たちは自分の番が回ってきた時におっかなびっくりといった様子でレヴァンテに触れたが、しばらくは愛嬌良く振る舞っていた。

 だがレヴァンテは頃合いを見ると再びいったるぞと人々を脅かしたりして、闇精霊らしく楽しんでいた。その後に努がくすぐって悶えさせてやれば場は和やかになり、次第にレヴァンテはシルフに似た悪戯好きであるという認識が広がった。

 ただそれから少し人気が落ち着いた時には二周目の精霊術士やリーレイアも出てきたりしたので、努は魔石販売とレヴァンテのお目付け役として休む間がなかった。


(精霊祭というより、飼育員の一日体験じゃね?)


 動物園の飼育員にでもなった気分で午前中を過ごした努は、もう昼休憩かと目を瞬かせた。客がいなくなったことでレヴァンテはぐでーんと横になって腹を見せ、フェンリルはもう食べられないよと地面に伏せている。

 試しに努が魔石を手に取って近づけてみると、フェンリルは前足で目を覆って見えないフリをした。レヴァンテの白い模様の下にあるくりっとした目も何処か冷めており、二股の尾をしっしと払っている。


「お疲れ様」
「今日は人がエグかったですねー。みんなもお疲れ様―」


 フェーデも過去最大の来場者数に若干グロッキーな表情を見せたが、何処か満足気にたらふく魔石を摂取した精霊たちとの契約を解除した。その際にレヴァンテが這い這いで努に近づき、彼の右薬指にある守精の指輪にアクアリングならぬダークリングを施してから消えていった。

 そんな光景を見たフェーデと契約しているフェンリルは目を丸くして近づき、すんすんと鼻を鳴らした後に還っていった。それから彼女も訝しげにその指輪を見つめた。


「……それ、何ですか?」
「秘密」
「今朝のはそれか……。まぁいいです。それじゃ、せっかくだし精霊祭でおすすめのご飯買ってきます。留守番お願いしますねー」


 事前にフェンリルのもふらせと出店の商品の物々交換をしていたフェーデは、混み合う前にと駆け足で出ていった。

 そんな彼女を見送った努は脳ヒールを手早く済ませて精霊祭の光景を眺めていると、守精指輪が微かに発光し始めた。そこから宙に現れた黒から顔だけ出して驚かすようにレヴァンテが現れ、フェンリルも努の真横に着地する。


「……どうしたの?」


 レヴァンテが単なる悪戯目的だったようだが、フェンリルに関しては完全に臨戦態勢でありその体から発される冷気はささくれ立っている。そんな氷狼が睨みつける先には、フードを被った男がいた。


「……大概だな」


 精霊契約が解除されフェーデが離れたのを見越して顔を出したはずが、殺気立ったフェンリルに出迎えられることとなった。そんな相手に思わずぼやいたヴァイスは、その特徴的な長髪で周囲から特定されるのを嫌ってかフードを被ったまま努の前まで来た。

 そんな彼の顔を見て誰だったのかをようやく理解した努は、フェンリルの頭を撫でつける。


「悪いけど、抑えられる? じゃなきゃ僕とフェーデが責任を負うことになる」


 恐らく今のフェンリルはフェーデと契約している個体であるため、帝都の帰り道でヴァイスと戦闘し敗北した記憶が残っている。だからこそ殺意を隠しもしないのだろうが、もしこの場で人に牙を剥けば努たちの監督責任となる。

 そんな努の声と周囲の人間たちも剣呑な気配に気付き始めたことを察したフェンリルは、ヴァイスから目は離さぬまま冷気を抑えた。よーしよしと頭を撫でて周囲に無害をアピールしている努に、彼は軽く頭を下げた。


「すまない」
「留守を見越したとはいえ、殺し合いした人の出店に来るのはどうかと思いますよ? バリア、バリア」
「ここしかないと思った。……それに今日、ミナも世話になったと聞く」
「あっちも僕が釣れるとは思ってなかったみたいですけどね」
「……蠅の王と呼ばれているのは、ミナより年下の子供。ただその言語はミナでも曖昧にわかる程度で、文字の読み書きも出来ない。だがツトムならわかるかもしれないと言って喜んでいた」
「まぁその辺りは複雑なんですが、恐らく蠅の王とやらに文字の読み書きくらいは教えられると思いますよ。180階層が一段落ついてからになりますけど」
「……助かる」


 招かれざる客に唸っているフェンリルを落ち着かせるため、努が首筋を撫でてわしゃわしゃとしている音。だがそれでも氷狼の警戒は一切緩まない。勿論それは先日の一件もあるが、フェンリルは確かにヴァイスの微かな害意を察知していたからである。

 既にヴァイスと戦った経験のあるフェンリルからすれば、今の状況はかなり危うい。レヴァンテがいるとはいえあの時より人数での有利もなく、彼の害意に欠片も気付いていない努を守らなければならない。

 そんなフェンリルの焦りをさして気にもせず、レヴァンテは可愛らしく体を捻っている。しかしその白模様の下にある目はヴァイスから一時も離さず、いつでも動けるよう準備していた。

 その精霊二匹に睨みを効かされているヴァイスもまた、確かな害意があるわけではなかった。黒杖を中心とした巡り合わせによって起きたこれまでの仲と、お墓参りの後に精霊祭に参加したミナにたまたま出会った努が協力する姿勢を見せたこと。

 それと帝都で明確に変わった自分の状況が天秤にかかり、彼もまた動けずにいた。

 その膠着状態が続き重い沈黙が流れる中、フェーデとミナがいざこざを起こした結果この空気になっていると勘違いしている努は助け舟を出した。


「紅魔団が180階層潜ったらどうなるかは気になりますし、今度はギルドで話しません? ここだとフェーデが帰ってきた時が怖いので」
「……そうだな。邪魔をした」
「あ、第二支部は僕、出禁なので間違えないで下さいね」
「…………」


 そんな努の自虐にヴァイスは何とも言えない無表情をフードの下から覗かせた後、足早に立ち去って行った。


「いたっ。え、何?」
『…………』


 ヴァイスに手を振って見送った努は、それを見届けようやく警戒を解いたフェンリルにぼすっと頭突きされた。


「というかさ、僕が取りなしてあげたんだけど? 八つ当たりやめてねー」
『キュ、キュ』
「いたっ、いたっ。えっ、何で?」


 そんな氷狼に対して困った奴だといった顔をすると、レヴァンテからも鼻先でどすどすと突かれた。そして精霊二匹は顔を見合わせ、やれやれとでも言いたげに形状の違うそれぞれの尾を振った。

 コメント
  • 匿名 より: 2025/06/07(土) 7:50 PM

    まってた

  • 匿名 より: 2025/06/07(土) 8:08 PM

    色んな話数に跨ってるからおさらいすると
    ミナの虫軍に親族や友人を殺されたフェーデ他アルドレメンバーが、ヴァイスとミナが蝿の王関連で2人だけになったタイミングで彼らを襲撃。返り討ちにあい、達磨にされた事件が起きた
    ただこの襲撃は帝都遠征前から予想されていたから、ツトムはミナとヴァイスの装備に対人特化刻印を、フェーデに強化刻印を施し、ミナ寄りの中立を表明。ヴァイスとミナに明確な便宜を計ってくれたのはツトムだけだったから、2人はこの時礼を言っている
    フェーデは愚痴こそ言ったが、ツトムはスタンビートの救世主でもあり精霊も懐いてるからか、恨みまではないみたいだな。フェーデ以外の襲撃組も見舞いに来たツトムに装備を注文してるから、特に拘りはないようなのは何よりなんだが、帝都遠征組でロイドに声をかけられたらしいのはヴァイスだけなのか、他にもいるのかが気になる。ミシルはクランを人質にされたらヤバい気がするんだよな

  • 匿名 より: 2025/06/07(土) 11:12 PM

    敵になった人は何かしらの報いを受けて欲しいわね
    どんな事情があろうとも

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