第729話 火竜便
王都に向かうラグジュアリーな移動手段として用いられている火竜便。それは召喚される火竜の中でも一際大きい個体が厳選され、その背に人が乗るゆとりある席が作られる。その外郭はバリアによって形作られ空の景色も程よく楽しめる作りになっている。
そんな火竜便に結構な料金を払って搭乗していたコリナは、搭乗特典である火竜とのふれあいを辞退し席で待っていた。彼女の目的は火竜ではなく機内食にあるからだ。
流石に火竜の上で調理というわけにはいかないが、迷宮都市で名を馳せる料理人が監修し弟子たちが腕を振るった機内食ともなればそれを食べないわけにはいかない。
(前評判も中々にいいって聞いたし、楽しみぃ!)
王都にいる家族へのおみやげとして買っていた様々なお菓子。勿論自分の分もちゃっかり買っていたコリナは、その内の一つであるラスクをぽりぽりつまみながらのんびり出発時間を待っていた。
火竜のふれあい時間が終わると、子供や男性たちが名残惜しそうに脚下から離れていく。そしていよいよ王都への出発に向けて搭乗員たちがテキパキと動き始めた。
それから乗客には事前にフライがかけられ、万が一事故が起こった際に行われる緊急脱出の手順が乗務員から説明される。
基本的に乗客にはフライによる空中制御のテストが事前に設けられており、子連れにはフライ専門の補助スタッフが付き添う形式となる。
ただ実際に事故が起きた場合パニックになってしまい空中制御を失ってしまう者も想定されるため、非常時にはフライに慣れた乗客に救助協力を求めることもある。
「コリナさん。万が一の際には救助をお願いすることになります。その時はどうぞよろしくお願い致します」
「了解ですぅ」
最前線の探索者ということもあり例に漏れずそのお願いをされたコリナは、気兼ねなく了承した。
そして召喚士の合図に従い、火竜が額にある飛行石を光らせてゆっくりと羽ばたき空に上昇した。
子供たちがそれにはしゃいだり怯えたりする声が響き、火竜の背中はしばし騒がしくなる。だが数分後、一定高度に達してからは揺れが少ない安定飛行に移行して収まった。
一度安定すればここから崩れることはまずないので、乗務員たちも厳戒態勢を解いて写真機での撮影サービスなどの案内を始めた。
それから三時間ほどゆったりとした空の旅が続いた後、コリナ待望の機内食がやってきた。
木製の箱膳に美しく並べられていたのは、火竜の翼を模したパイ包み焼き。中には香味野菜と共にじっくりと煮込まれた牛の頬肉がとろりと詰められ、ひと噛みすれば肉の旨みと芳醇な赤ワインソースが口いっぱいに広がる。
添えられた季節の彩り野菜は火竜の吐息をイメージした香辛料のブレンドで軽く炙られ、視覚にも舌にも心地よいアクセントを添えていた。
その隣には火竜の卵を模した紅黒の陶器。それを回して開けると滋養のあるキノコと根菜を煮出した薬膳風スープの香りが広がった。その横には表面に竜の爪痕をかたどったふかふかの小麦パンが収まっている。
どの皿からもほかほかと温かな湯気が立ちのぼり、上品な香りがふわりと鼻をくすぐる。
(……これは、当たりぃ!)
そんな機内食を前に思わずガッツポーズしかけたコリナはナプキンを広げ、目を細めてまずは眺める。そしてひとくち。もうひとくちと口に運んでいく。
それこそフライでの自力飛行で王都まで移動する際には、ナイフとフォークを使っての食事など考えられない。さっさと移動を済ませたいので大抵は簡素なサンドイッチを口に詰め込んでの強行軍となる。
それがどうだろう。王都に向かいながらお店で出てきても不思議ではない温かみのある料理が食べられるこの特別感。火竜がゆったりと羽ばたく音が、今の彼女には優雅な食事のBGMにも聞こえた。
コリナは機内食に舌鼓を打ちつつゆっくりと味わい、最後に香り高いハーブティーを一口含む。
体がぽかぽかと温まり、自然とまぶたが重くなる。完食した皿を前に満足げに伸びをひとつしてから、コリナは座席にもたれて深く息をついた。
(デザートは紅星……。至れり尽くせりぃ……)
この後の締めくくりに運ばれてくるのは黄金色に輝く果実のコンポート。竜種が棲む高地にのみ実る紅星の果実を蒸留酒でじっくり煮詰め、ほのかにシナモンが香る大人びた味わいに仕上げられている。
その存在を事前に機内食メニューを見てしっかり把握していたコリナは、サーブの瞬間を今か今かと待っていた。
そうしてコリナが心地よい揺れに身を任せながらうとうととしている中、ふと機内の空気がわずかにざわつき始めた。
「皆さま、シートベルトの着用を改めてご確認下さい」
ワイバーンの群れの接敵報告。それを受けた乗務員たちは乗客に改めてシートベルト着用の確認を行い、戦闘スタッフが専用の扉を開けて次々と空へ飛び出した。
異世界の空には常にモンスターの影が付きまとう。その点火竜便は竜種ということもあり大抵のモンスターに絡まれることはないが、それでもワイバーンの群れや同じ竜種に絡まれることもある。
その中でもワイバーンは群れることで図に乗りやすく最も接敵しやすいため、火竜便の戦闘スタッフも慣れた様子で空に躍り出て乗客を脅かすモンスターを誘導してから狩っていく。
戦闘スタッフたちは誰もが100階層以降まで到達した探索者であり、火竜の討伐経験もある。その上で空での戦いに特化した専門職として仕事を日々請け負い、火竜便を含む空の仕事で一役買っていた。
「げっ、氷竜まで!」
「纏めて引き付けるぞ!」
ただ今日はワイバーンの群れだけでなく氷竜とまで接敵したことで、戦闘スタッフたちの間に緊張が走った。火竜も遠からずの位置で横を飛んでいる氷竜をじろりと睨みつけている。
それこそ火竜便の初期はモンスターと接敵するたびに火竜も臨戦態勢に入ってしまい、背中の乗客がシェイクされることもままあった。だが今となっては戦闘スタッフが守ってくれることを理解した火竜は、氷竜が視界に入ってもその巨体を乱すことなく飛行状態を維持している。
だが氷竜まで出てきたことで、コンバットクライによってヘイトを引き付けている戦闘スタッフの回収が難しくなっていた。
「すみません、コリナさん。よろしいですか?」
「いいですよぉ。そういう契約ですし!」
ただそんな発展途上である火竜便に乗っているのは、仮にここで空に投げ出されても自力で復帰できる見込みのある者たちばかりである。その中でもトップクラスの探索者であるコリナは乗務員からの協力要請に従い、後部座席に移動して風が吹きすさぶ扉からぴょんと降りた。
「むぅん!」
目標はタンクがヘイトを引き付けている氷竜を担当し、戦闘スタッフたちの手を空けさせることである。だが機内食の次はデザートに洒落込みたい彼女は、氷竜の顔面にモーニングスターを投擲して仕留めにかかった。
ただそんな彼女の殺気を鋭敏に察知していたのか、氷竜はその雲を割く一撃を避けていた。そして自身の氷鎧も貫くであろうその威嚇射撃を前に気圧されたのか、低く唸りながらも速度を落として後退していった。
「えぇ……? ヘイト取ってるのに引くことあるんだぁ……」
「最前線は化け物が過ぎるな」
「ご協力感謝します!」
氷竜のヘイトを取っていたタンクの男たちが苦笑い混じりでぼやく中、戦闘スタッフのリーダーはコリナに近づいて深く頭を下げた。それに彼女は朗らかな顔で答えつつ、機内に戻ってクリーム色の髪を整えた。
氷竜を一撃で追い払った彼女に対し、乗客からも惜しみない拍手が送られた。それにコリナはお騒がせしましたと頭をぺこぺこと下げながら自席に戻ると、そこで目を疑った。
「えぇ!? 二つもある! いいんですかぁ!?」
「はい、あちらのお客様から是非にと」
「ありがとうございますぅ!」
「いえ。迅速な対応、お見事でした」
どこかで見たことがある気もしなくはない狐顔の男性からデザートをプレゼントされたコリナは、一瞬思い出そうと頭をもたげた。だが今はそれより紅星コンポート、紅星コンポートである。
(この香りと苦味がわかるようになってきた……)
そうしてデザートまで美味しく頂いたコリナは至福の表情で再びハーブティーに口をつけた。火竜の羽音と共に、快適な旅路は王都まで続いていく。
別に裏切ってもいないのに
なんで恩知らずと言われないといけないのかw