第730話 王都での密談
まだ幼い家族連れということもあり火竜便で優雅な旅とはいかないゼノは、子供の抱っこを妻と交代で行いつつ馬車と魔道列車を乗り継いで王都へと到着した。
半日以上かけた子連れでの移動でゼノとその妻であるピコはくたくただったが、子供たちは実家に帰った後も元気そうである。孫フィーバーの両親に子守を任せたゼノは食事も早々に妻と眠りについた。
その翌日は朝から互いの墓参りを済ませ、昼には親族も集まっての食事会が開かれた。その席で最近話題な演劇のチケットを家族分貰ったゼノたちは、家族そろって観に行こうという流れになった。
「天の記譚のチケットなんて、よく取れたね。結構人気って噂だけど」
「そうなのかい? 最近は王都の観劇までは目が届かないからなぁ」
夕方、軽い正装に身を包んだゼノたちは街の中心にそびえる大劇場へと向かう。その受付でチケットを差し出すと劇場スタッフはにこやかに対応した。
「ゼノ様とピコ様に、お連れ様ですね。それではこちらへどうぞ」
促されるまま会場の奥へと案内されたゼノは、通された席を見て思わず目を丸くした。
「これはまた、随分と奮発してくれたみたいだね……?」
「えぇ……? 凄い良い席じゃない?」
二階席の個室にも近い席に案内されたゼノは手違いなのではないかとスタッフに改めて確認し直したが、貴族席のようなこの場所で合っているようだった。
王都で人気の演目でこれほどの席を手に入れられる伝手が親にあるのかとゼノは疑問だったが、一先ず子供が愚図らない内に座ることにした。とはいえ仮に愚図ったとしても個室なので子供が泣いてしまった時も周囲に気を遣わずに済むので、ありがたい席ではあった。
「ゼノ様、少しよろしいでしょうか?」
「あぁ。ピコ、少し席を外すよ」
やっぱり間違えてたのかなと思ったゼノが声を掛けられて立ち上がると、スタッフは後ろの出口に手を向けて彼を誘導した。その立ち振る舞いからして貴族の対応も任されていそうなスタッフに付いていくと、更に奥まった一室に案内されて扉を開けられた。
途端にじゅーっと肉が焼かれる音に、にんにくの香りが鼻をついた。
「やぁ、こんばんは」
その一室に踏み入れたゼノの目に映ったのは、ご立派な鉄板焼き台。そこでシェフ帽子を被ったロイドがそこで腕を振るっていた。
「……!」
「……コリナ君。何をやっているのかな?」
そんな彼が作ったガーリックライスを頬張りつつ驚いた顔でこちらを振り返っているコリナを前に、ゼノはそう突っ込みながらようやく合点のいった顔をする。
「……あの席を手配したのは君か」
「子連れで一般席じゃ見づらいと思ってね。せっかくの機会だ。楽しんでもらえると幸いだよ」
「その配慮については感謝するが、代わりに私は何を求められるのかな?」
「俺が求めるのはツトムについて何も知らずに巻き込まれていそうな君たちとの対話だ。席に座ってはくれないかな?」
狐のように目を細めながらシェフ帽を脱いだロイドを前に、ゼノは一つ息を吐いた後に鉄板の前に備え付けられた席に座った。その隣にいるコリナは気まずそうな顔でもぐもぐしている。
「本当ならここにリーレイアも加えたいところだったんだけど、騎士は頑固でいけない、彼女には後で話を持ち掛けるけど、まずは君たちに話しておこうと思ってね」
「わざわざこんな場所を用意しなければならない話というわけかね?」
「そうだね。何せ神やら異世界やら突拍子もない話だ。異世界人がクランリーダーの君たちでなきゃ、気でも狂ったのかと疑われてもおかしくない」
ロイドはそう言って肩をすくめた後、丸い銀蓋で蒸し焼きにしていたステーキをナイフで流れるように切り分けた。それをずいと差し出されたゼノが手を振ってそれを遠慮すると、中がピンク色のレアステーキはコリナに全て献上された。
「まず前提知識として、帝都の神華と迷宮都市の神威についてだ」
ロイドはそう切り出して語り始めた。元々は神華が数百年前に半身を分けて生み出した存在である神威は、十年ほど前に突如として神のダンジョンを生み出した。その世界を捻じ曲げるような力を振るった彼に、神華は半身の返還を求めたものの無視して対話も拒絶した。
そのため近いうちに実力行使を用いた取り立てが行われる。それが聖戦であり、神華の使徒であるロイドと、神威の使徒であろうキョウタニツトムは対立関係にある。
「それについては彼もクリスティア辺りから聞き及んでいるはずだけど、恐らく君たちは知らされてもいないだろう?」
「…………」
クリスティアとバリアを張って秘密話をしていたことは、エイミーが愚痴っていたことからゼノも知っていた。それ以前にツトムとはクランメンバー共々深く話し合っていたが、その時にも彼が神威の使徒であるとは一言も出てこなかった。
「既に察しがついているだろうけど、ギルド長のカミーユはこちら側に付いている。元々神竜人は神華にルーツのある種族なんだ。彼女も実際に神華を前にしてそれは理解できたらしい。それからは協力関係になったから、ギルド第二支部の神台や黒門を作成するための神具をこちらから貸し出した」
「…………」
「紅魔団のヴァイスもこちら側に付いてるんだけど……それを説明するには一度体感してもらった方がいい。これから不思議なことが起きるけど、すぐに戻すから安心してくれ」
ロイドは事前にそう言い含めた後、神の光を瞳に宿してゼノを見つめながら詠唱する。
「ノースキル、ノーステータス」
「……!?」
その言葉と共にゼノの身体感覚が大きく変わり、その喪失感で思わずカウンターに手をついた。彼のステータスが全て半減されたことでその変化は起き、スキルも半分が剥奪された状態となった。ただ事前に予告されていた通りその身体感覚はすぐに戻された。
「このように、神華の使徒は神のダンジョンで得た力を剝奪することができる。ヴァイスはどうやっても死ねないことを苦心に思っているようだったからね。この力があれば彼は死ぬことができる。実際に切っても再生する髪を少し切ってあげたら感動してたよ?」
「……その力さえあれば、探索者は無力となるわけか」
「それがそうもいかない。使徒である俺が剥奪を行使できるのは多くても数人くらいで、それも一日持てばいい方だ。じゃなきゃ方々を回って味方を作るなんてまどろっこしいことはしてない」
「だから、私たちもそちらに寝返れと?」
核心に触れるゼノの問いに、ロイドはにこやかな顔で首を振った。
「そこまでは求めちゃいない。ただ、君たちはガルムたちほどツトムに入れ込んでるわけでもないでしょ?」
「…………」
「もしその時が来たら、その場から退避してくれるだけで構わない。そうすればこちらも無駄に力を割かずに済む。そもそもツトムも君たちに聖戦のことについて話していないんだ。そんな突拍子もないことにいきなり巻き込まれるなんて御免なはずだろう?」
「でなければ、家族をどうこうするとでも?」
今も観劇を楽しんでいるであろう家族の姿を思いに馳せたゼノを前に、ロイドは線のように細かった目を丸くした。
「そんな脅しなんてしたら、家族を救うためにより一層ツトム側に付くことも考えられる。愚策だよ。やるわけがない」
「…………」
「それに、俺も妹と仲間を助けるために神華の使徒として動いてる。異世界出身の根無し草じゃないんだ。家族の重みは理解しているつもりだ。それを考慮しても聖戦に参加するとゼノたちが言っても、家族をダシに使って脅すような真似はしないよ」
「そうか」
およそ三年前の別れ際、努が家族を害することを仄めかす言葉を放ったこともロイドは知っているらしい。随分と念入りなものだとゼノは内心で独り言ち、目が合わないコリナを見つめた。
そしてロイドは肉汁や野菜の切れ端を片付けて鉄板を綺麗にすると、ヘラを置いてシェフ帽を脱いだ。
「そう遠くない内に聖戦は行われる。その時は君たちがその場にいないことを願ってるよ。それじゃあ、後は家族と観劇を楽しんでくれ。そろそろ上映時間だ、急いで帰った方がいいよ」
そう言い残して部屋を出ていったロイドを前に、ゼノはしばし呆然とした後に席を立つ。その際に再びコリナの顔をちらりと見たが、彼女はステーキをもぐもぐしているばかりで視線も合わさずに何も話さなかった。
それからスタッフに促されてゼノは足早に個室席へと戻る。先ほど起きたステータス剥奪による身体の違和感もなく、彼はすんなりと席に戻った。
「あれ、大丈夫だったの?」
「……あぁ、この席で間違いないみたいだ。ゆっくり楽しもう」
「まー、それならいいですけど」
この席がゼノや親御さんのサプライズとも思えなかったピコは訝しみつつも、この演劇を特等席で見られるのは素直に楽しみなのか視線を劇場へと戻した。
そしてカーテンコールの後にゆっくりと幕が上がり、天の記譚は幻想的な演奏と共に開幕した。
ツトムを裏切るのはできても、その結果まず裏切らないガルムやその周辺のメンバーがより危ない事になる。ということが分からないメンバーでは無いだろうし難しいね。
コリナなんかはガルムや他の残っていたメンバーへの情は高そうに見えたから、何も考えずに裏切るとは考えにくい。
ゼノは家族を人質にならありえるかと思ったけれど既にそれはしないと言っているから、どんな展開になるか分からないですね