第731話 休息は人それぞれ
ゼノたちが不穏な気持ちを抱えたまま王都で過ごしている一方。一足先に式神:月の全容を暴いたアルドレットクロウと、臨時PTでありながらも粘りを見せた無限の輪。翌日の朝刊ではどちらに軍配が上がったのか、迷宮マニアたちの熱い議論が飛び交う記事がいくつも上がっていた。
「マジで休むのか……。これで突破されたらどうすんだよ」
そんな状況であるにもかかわらず努は朝食を終えた後ソファーに寝転がりながら刻印していて、外に出る気が微塵もなさそうである。それに思わずアーミラが小言を漏らすと、彼は刻印の図面から目を離さないまま答える。
「そもそもあっちは式神:月が出てから時間制限あることにも気付いてないし、数日で突破はされないよ。ま、皆が帰ってきてからは余裕もなくなるんだし、今のうちに英気を養っておこうよ」
式神:月が出現してから30分でそれは半月になり、月明かりが制限されて視界が薄暗くなることはまだアルドレットクロウも把握していない。それに式神:月まで辿り着けたのは両者とも上振れの結果なので、お互いに安定してあそこまで到達できるわけでもない。
アルドレットクロウはリスクリワード運用のホムラが、無限の輪はガルムのパリィが下振れないことが前提である。それにそのどちらも式神:月のメタ読みが発生してからは使い物にならなくなるため、今後は前半戦でそれを控える立ち回りも模索しなければならない。
そんな分析を思考の端で考えていた努の視界を、不意に白銀の毛並みが塞いだ。フェンリルがソファーに走り込んでのしかかり、鼻先で刻印の図面を押しやる。
「重い……」
構え構えいと顎を乗せてくるフェンリルの額を彼が押しやる中、サラマンダーを首に巻き付けたリーレイアが食後のコーヒーを片手にやってきた。
「休もうにも休めない、というのが総意でしょうね。ガルムとダリルなんて散歩待ちの犬みたいにそわそわしていましたよ?」
「やっぱり行こうか、とでも言ったら犬耳立てて付いてきそうだったね。行かないけど」
階層主突破まで残り三割を切ったという現状に焦る気持ちもわかるが、まだ未知が残るその三割を削るためには一夜漬けでどうこう出来るものではない。特に式神:月のメタ読みを知った今となっては、立ち回りの大幅な修正も考えなければならない。
それを加味した上でこの二日は180階層に挑むことをしないと宣言した努を前に、リーレイアは首を振る。
「酷い飼い主もいたものです」
「変にロストのことで気に病んで欲しくない、クランリーダーの気遣いがわからんかね? この調子で潜ってたら帰ってきたオーリが損失額見て倒れるよ」
「ツトムがそう言える内は問題なさそうですね」
「どうせこれからもロストはするんだし、今のうちに備えておくのは大事だよ。にしてたって雷鳥のやらかしでほぼ全ロスになったのは痛いけど。どんな面して出てくるか見てみたいところだね」
本来なら突破が無理だと判断した時点で装備をマジックバッグに纏めることでロストを最小限にするが、前回はその暇もなかったので身につけていた装備は丸々ロストしている。帝階層産の刻印装備が五人分なのでドデカい損失を被ったことは事実だ。
それでオーリが頭を悩ませないためにも、努はこの二日は刻印漬けになるつもりだ。幸い帝階層産の装備は日々のノルマでストック出来ているので、刻印さえ出来るなら問題はない。
なので式神:月が出てからはタンクを務められなかったと自責しているガルムは育ちの孤児院に投げ、フルアーマーのロストに責任を感じていたダリルはドーレン工房での雑用を頼んでいた。そこで生真面目な両者ともリフレッシュしてきてくれれば幸いである。
「それに対面のステファニーたちも大して焦った様子がない。むしろ腰を据えて攻略する気概がありそうだし、ここからじりじりと苦しい勝負になる。長期戦なら休息も大事にしなきゃね」
「では、私たちも二人でしっぽりいきますか……」
「寄るな、触んな」
180階層での戦いでは支え合っていたアーミラとリーレイアであるが、その熱が冷めた今となっては見る影もない。
「俺もドーレンに大剣でも預けてくるわ。ついでにダリルのケツでも蹴ってくるか」
「あんまりいじめてやるなよ」
「今のあいつはこき使ってやるくらいが丁度いいだろ」
ロスト分働きます、働かせてくださいと昨日から努に懇願していたダリルは、今頃ドーレン工房で見習いの弟子たちに混じって資材運びでもしている頃だろう。
火をくべるための重い薪や炭を抱えて鉄の匂いにまみれる中、それでも尻尾を振って働いていそうなダリル。そんな光景を想像したアーミラは凶悪な笑みを浮かべて出かけていった。
「それじゃ、僕もゼノ工房行くから」
「……えぇ? まぁクラン運営のためでしょうし邪魔はしませんが、私、暇なんですが? 雷鳥の顔を拝みにいきたいんですが?」
「ま、夜にでもよろしく」
脳ヒールにより深夜も活動できる努であるが、やはり人類の大体が起きている朝から昼の方が仕事としてはやりやすい。既にゼノ工房で職人たちと刻印についての打ち合わせが入っているので、フェンリルを撫でつけた努は話もそこそこに玄関へと向かう。
そんな努に最後まで付いていき別れ際にも纏わりついてくるフェンリルをわしゃわしゃした努は、思わずはにかみながらクランハウスを出ていった。
『…………』
その姿が見えなくなるや否や、フェンリルの態度は豹変した。しおらしい鳴き声も甘えた仕草も一瞬で消え、代わりに現れたのは戦場に立つ獣のような鋭い眼光だ。
そして唾でも吐きそうな顔を一度だけリーレイアに向けたかと思うと、フェンリルは契約を解除し淡い光となって霧散した。
「……どうしよっかなぁ」
十数人は住めるクランハウスにぽつんと取り残されたリーレイアは、今日に限って予定がなかった。流石に180階層でしのぎを削るこの状況で彼女を誘うことは出来ず、何なら予定は先方が気を遣ってキャンセルされていた。
サラマンダーを首に巻き付けながら途方に暮れたリーレイアは、一先ずシルフと契約して寂しさを誤魔化した。赤蜥蜴と妖精は彼女からすれば実質ガルムとエイミーのようなものである。
この180階層クリアまでのお預け感を食らってる期間が楽しみ
エイミーはウンディーネに一票