第732話 お早いおかえり
それからクランメンバーたちが帰省を終えるまでの間、努たちは夕飯だけ集まりつつ各々の時間を過ごした。
ソファーで寝転がりながら刻印の図面を考えている努の横で律儀にお座りをしているフェンリルは、彼の腕を前足でてしてしと叩いている。
努が左手でその頭を撫でると、その催促を止めて口を半開きにして舌を出す。その頭から手を離されると口が閉じられた後、催促するようにてしてしと叩く。また撫でてやるとその催促が止む。
「無限ループじゃん」
「私も無限の輪の一員のはずですが?」
「重い、冷たいの二重苦だよ」
「その苦を上回るものをどれだけフェンリルから受け取っているか、自覚した方がいいかと」
最近フェンリルから滅法嫌われているリーレイアは心底羨ましそうにその光景を眺め、小言を並べていた。確かに世にも珍しい氷狼に懐かれるのも悪くないが、これだけ構え構えされるのは努としてもダルいので本気で作業を進めたい時はゼノ工房に行っている。
しかしそうするとこうしてクランハウスにいる時は一層構ってムーブが加速するため、出来れば他の人にも担当してほしいものである。ただ今のところフェンリルと相性が良いのはユニークスキル持ちであるコリナとアーミラくらいで、次点でダリルが子犬のように扱われるくらいだ。
だがそんなダリルとアーミラは現在ドーレン工房で雑用の手伝いをしているため、クランハウスには夜にしか帰ってこない。そのためフェンリルを一人担当することになっている努はげんなりしていた。
確かにダリルの全身鎧を初めて購入した時は努のポケットマネーであったが、その後の追加購入やメンテナンス費は無限の輪のクランメンバーたちから徴収している運営費から出されている。
なので仮にロストしたところで努に対して申し訳なく思う理屈もないし、彼がミスをしてロストしたわけでもない。そのことは散々ダリルにも説明したが、それでもぺこぺこと頭を下げてきて鬱陶しいことこの上なかった。
それに辟易とした努が建前の罰としてドーレン工房での雑用を命じると、彼は嬉々として従い一日経った今も煤まみれの尻尾を振って労働している。ドーレン曰く将来有望な下働きといった評価である。
そんなダリルと共に暇つぶしがてらドーレン工房に行っていたアーミラも、彼と同じく資材運びに精を出しながら火場での仕事も任されていた。龍化による耐熱性のおかげで火の近くでの作業も苦ではないことは工房でも重宝されているようだ。
その一方パリィばかりに気を取られてアーミラの神龍化に巻き込まれてしまったガルムもまた、自責の念に苛まれていた。
なので彼は育ちの孤児院にぶち込み子供たちにもみくちゃにされることで思考をリセットさせている。今頃孤児たちと朝市での買い出しにでも行っている頃だろう。
「さっ、行きましょうか」
「逆ギレしてこないといいね」
そして刻印作業も一段落ついたところで、努はリーレイアとギルドに向かい適当な帝階層へと転移した。それからモンスターが寄りつかないセーフポイントに移動し、雷鳥と契約を結ぶ。
「……僕が怒ってたことは共有されてるみたいだね」
雷鳥は普段のように落雷と共に側には現れず、空を飛んだまま降りてこない。時折こちらをちらりと首だけ動かして見てくるが、一向に降りてくる気配がない。
孫が気に入っていた茶碗をうっかり割ってしまったが、謝ることも出来ずに逃げている頑固親父。そんな様子の雷鳥を眺めてリーレイアはによによしている。
「恐らく私のウンディーネが口添えでもしたのでしょうね。ツトムブチ切れてるぞと」
「精霊界とやらも狭いもんだね」
精霊は契約する人それぞれによって分体が作られ、契約外においては精霊界に棲むとされている。実際に雷鳥自身は知らず知らずのうちにやらかしていたことを今は知っていることからして、それは事実に近いのだろう。
「そういえばアスモ、遂に孵化したそうですよ。近々神台でお披露目だそうです」
「そうなんだ。随分秘密裏に行われてたみたいだね」
「未だに浮島階層にある祭壇も発見されていませんからね。恐らくあの骸骨船長がいなければ辿り着けないので、結局のところ私たちには不可能だったようですが」
「最前線殺しだね。いつになったら復活してくれるのやら」
浮島階層は動画機しかり祭壇しかり、骸骨船長がいなければ取りこぼす要素が散りばめられている。最速攻略以外の遊びの幅を設けた階層なのだろうなと努がアタリをつけている中、リーレイアは一息ついて表情を緩めた。
「良かったです。ツトムを恨む必要がなくなって」
「そもそも恨むなよ。自業自得だろ」
「勿論、私の落ち度も理解しています。逆恨みであることも認めましょう。ですが私がアスモの件は全く恨んでいませんといっても、それこそ信用しないのでは?」
「それもそう」
そんな努の間髪入れずの肯定に、彼女は獲物を狙う蛇の如く目を細めた。
「……骸骨船長が死んでいる最前線組では、あの祭壇まで辿り着くことが不可能だった。そんな状況であれば私も恨みを募らせる必要はなくなります。むしろツトム経由の精霊契約が切られなかっただけ儲けものというわけです」
「難儀な性格してるね」
「どの口が言っているのですか?」
刻印騒動で冷遇してきた職人たちに今も冷や飯を食わせ、それ以前の恨みも忘れたことはないであろう努に比べれば自分はマシな部類だろう。そう釈明したリーレイアに彼はへいへいと手を振った。
それからフライで雷鳥を追ってみたが思いっ切り逃げられたため、努はリーレイアに契約を切らせて時を待つことにした。それから各精霊と契約して、今となってはそんなに怒ってないよと精霊界経由で遠回しに伝えようとした。
「他の精霊からすれば、ライバルが減って大喜びといったところでしょうか」
「おいウンディーネ。雷鳥そそのかすのは止めろよ……」
『…………』
ただその意図を精霊たちが正しく伝えてくれるかは別である。その筆頭候補であり今も意味深な笑みを形成しているウンディーネは勿論、レヴァンテやフェンリルにも期待できないところだ。
サラマンダーはカラッとしているので正しく意図を伝えてくれそうだが、空を飛ぶ雷鳥と接点があるか怪しいところだ。その点シルフは接点がありそうだが悪戯げにくすくすと笑うばかりであり、ノームはそんなことより次回の精霊祭に向けて土器作ろうぜと粘土をこねる始末である。
「早く羽化してくれない?」
『…………』
最後の希望である繭状態のアスモに努が問いかけるも、光精霊はそんなこと言われましてもと絹を垂れ流すことしか出来ない。神のダンジョン内では持ち帰ることも出来ないからか、出血大サービスの量を出して艶やかな絹を地面に積もらせていた。
そんな精霊たちに伝言を頼んでからギルドに帰還すると、その食堂で見覚えのある白い猫人と青い鳥人が見えた。
「お早いおかえりだね」
「ただいまー。私たちは王都行ってたわけじゃないからねー」
「おーっす! ほんとにさっき帰ってきたところっすよ! お腹ぺこぺこっす!」
王都近辺の実家に帰っていたエイミーと、生まれ故郷の村に帰省していたハンナは一足先に帰ってきていた。そんな彼女らと昼食の席を共にした努は、エイミーたちが王都産の泥パックがどうこう盛り上がっているのを傍目に神台を眺める。
アルドレットクロウの一軍は相変わらず180階層に潜っているが、前半の立ち回りはまだ変えていない。まずは式神:月が出るまでを安定させるのが目標らしく、それに共同戦線の二軍やシルバービーストも続く形だ。
(シルバービースト二軍、ここに眠る)
ユニス率いるシルバービーストの二軍は180階層に辿り着いた三番手として注目されていたが、今となっては追いついてきた中堅に混じって最下位争いである。
ユニスママに群がるエンジョイ勢では四季将軍:天に到底太刀打ちできず、それを越す気概もまるでない。そこに灰魔導士として優秀なソニアが一つまみされたところでどうにもならない。
(とはいえ人のことを腐してる場合でもない。エイミーはまだしも、ハンナに立ち回りの切り替えなんて無理。ってことはまた僕の負担が増えるってわけ。攻略とはかくも厳しく、時にはつまらないもの)
ただそれでもハンナとアーミラの両者が上振れさせれば180階層の突破も夢ではなくなる。そのために自分の好みを捨て、PTの指揮に比重を置かなければならないことを努は内心で嘆く。
しかし現状のPTで180階層の突破を目指すにはそうする他なく、自我を通して停滞すればステファニーPTに先を越されかねない。
そんな今後の予測を努が神台を見ながら行っている中、不意にエイミーがばんっと机を叩いた。
「式神:月まで行ってるってどーいうことー!?」
「裏切り者! 裏切り者っす!」
「…………」
いつの間にやらリーレイアが180階層の進行状況について話していたらしく、エイミーとハンナが目を剥いて喚いている。その裏切り者呼ばわりで話も聞かず式神:月に突っ込んでいった利敵野郎を思い出したからか、努の目が異様に冷めていく。
「な、なんであたしにだけそんな目向けるっすか!?」
「さぁね」
それこそ村で鶏を絞めていたおじさんみたいな目をした努を前に、ハンナは大袈裟に青い羽を広げてのけぞった。そんな彼女から視線を外した努は、エイミーのお土産であるクッキーを食べて心を落ち着かせた。
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