第751話 どっちもどっち
その翌日の早朝。無限の輪のクランハウスに乗り込んできたのは、ポニーテールを揺らし朝刊を握りしめたエルフだった。
「おい」
「…………」
「おい」
昨日あれだけ皮肉ってきたくせして、180階層突破の大きな要因はエイミーが神の眼に何かを行い式神:月の暗雲を晴らしたことであることが朝刊で確定した。その厚顔無恥さをディニエルは朝刊を以て追及したが、努は素知らぬ顔である。
「朝からアルドレットクロウの方が無限の輪のクランハウスに乗り込んでくるなど、常識知らずにも程がありませんか?」
そんな二人に割って入ったのは朝の訓練を終えて臨戦態勢のリーレイアである。努に負けじと皮肉たっぷりである彼女の物言いに、ディニエルはじろりと目だけ動かす。
「前にハンナも乗り込んできた。これで帳消し」
「それについてはアルドレットクロウから正式な抗議文が来たと伺っていますが? 無限の輪からもお送りした方がよろしいですか?」
「好きにすればいい」
「あぁ、貴女は180階層を突破したらこちらに戻ってくる算段のようですし、確かにどうでもいいのかもしれませんね。古巣に泥を引っ掻けて出て行っても何も感じないとは驚きです。流石、俗物から離れたエルフらしいですね」
「朝からそんなに興奮しないでくれよ」
久々に脳ヒールを使わず七時間就寝していたのでまだ眠気眼である努は、寝ぐせでぼさぼさの黒髪を掻く。半ばディニエルを擁護した形となった彼にリーレイアもまた視線だけ向けて睨みつけた。
「貴方はどちらの味方ですか?」
「どっちの味方でもないよ」
「なら黙っていて下さい」
「朝から喚くなよ、元アルドレットクロウのリーレイアさん」
「……私はちゃんと説明責任を果たして離脱しました」
「本当かなぁ。元クランリーダーのアーミラに仕返しがしたいので、まだ入って数ヵ月も経ちませんが無限の輪へ移籍しますってちゃんと説明してた?」
「…………」
以前にも同じようなことを忠告されていたリーレイアは、ここで無理な反論をすればまた同じ轍を踏むことになると考え押し黙った。そんな彼女から冷めた視線を外した努は続いてディニエルに向き直る。
「180階層の文句を言うのは構わないけど、場所は選ぶことだね。古木が大好きな青い鳥は残念ながら瞑想中だよ」
ハンナは今も庭のへこんだ芝生に座り込み、手の平に魔石を置いて魔力を循環する修行中である。そのためディニエルが尋ねてきたことにも気付いていない。
そんな努の物言いに彼女は数度瞬きした後、その視線を鋭くさせた。
「古木と新木と見分けもつかないのか」
「人間からすれば樹齢百年も二百年も変わらないよ」
「……次、健気な婆さんなどと口にした時は許さない」
「…………」
それなら健気なBBA呼ばわりは一体どうなるんでしょうと笑みを深めたリーレイアを前に、努は冗談ですやんと肩をすくめた。
「ま、文句はご飯でも食べながら聞くよ」
「長居するつもりはない」
「クランメンバーのモチベ上げくらいは担ってくれないと、僕だって朝っぱらから負け惜しみを聞くつもりはないよ」
特にハンナはディニエルの帰りを心待ちにしているし、無限の輪の初期メンバーたちやエイミーも同様だろう。そして有無も言わさず身支度しに二階へ上がっていった彼をディニエルは見送る他なかった。
「……何で、貴女まで皮肉を言われてるの?」
「はぁ……。ほんと、ムカつきますね……。私だってツトムが突破したと推測されている方法については、愚痴の一つでも零したいものです」
先ほどのやり取りもあってか、ディニエルとリーレイアの間には努に対する愚痴で若干の連帯感が生まれていた。
それから二人が話している内に瞑想を終えたハンナが庭から戻ってきた。足の汚れを払ってからリビングに入ってきた彼女は、ディニエルの存在を前に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「ディニエル! もう帰ってきたっすか!?」
「ツトムに用があっただけ。今のPTで180階層を突破するまでは抜けない契約」
「じゃあさっさと突破するっす!」
「うるさい」
そんな古木に蒼鳥が嬉しそうに止まり木している中、その白い猫耳で彼女の来訪を聞きつけていたエイミーも二階からしゅたたっと降りてきた。
「ディニちゃん! もう帰ってきたの!?」
「やかましい」
「さっさと突破してね!」
「なら式神:月の暗雲を晴らす方法教えて」
「そうは問屋が卸しませんよ~。でもまぁ、アルドレットクロウなら割とすぐに確立すると思うよーん」
女性にしては長身であるディニエルの腕にエイミーが組み付いてこのこのとつつくと、ハンナもそれを真似して身を寄せた。それらをうざったそうに引きずりながらリビングのソファに座り、エイミーの膝に寝転んだ。
「ツトムのせいで寝不足気味」
「……それはちょっと語弊があるねぇー? 寝かせてくれなかったという意味で、ね」
「エルフにそういう欲がないの、知ってるでしょ」
膝枕されているディニエルにリーレイアはどうだかといった視線を投げつける。
「それにしてはツトムに執着しているようにも見えますが」
「じゃなきゃ絶滅危惧種になってない」
薬がないと生殖もろくにできない欠陥を抱えた、生物というより植物にも近い人種。そんな彼女はエイミーの尻尾に首筋を撫でられながら息を深く吸って不貞寝し始めた。
そうしている間に朝食の準備が進み、ディニエルの存在をクランメンバーたちも認知し始めた。訓練帰りのダリルはソファで寝ている彼女に思わずギョッとし、ガルムは一瞥したものの何も言わずに通り過ぎていく。アーミラは怪訝そうに眉をひそめ、コリナは苦笑いを零した。
そして既に準備されていた席にディニエルが座り、その周りをハンナが率先して固めたところで努は手を合わせた。
「いただきまーす」
「いただきます!」
そんな努の声にエイミーが続き、ガルムも手を合わせてぽつりと呟く。王都育ちのリーレイアやコリナは目を閉じて少しばかり祈ってから食事に手を伸ばし、ディニエルも自然の恵みに感謝を告げて彩り豊かなサラダを口に運んだ。
「久々のサラダ美味しいっすか?」
「前と変わらない」
基本的に野菜と肉を好みパンはあまり食べないディニエルは、介護みたいに声をかけてくるハンナに淡々と返す。
様々な葉物野菜に蒸されたベビーコーン。程よく火の通された鴨肉は噛むたびに弾力があり、嫌な野性味も感じない。酸味の利いたソースとの相性も抜群に良い。
「おいしい」
数年前にも食べていたかつての朝食を味わっての感想をこぼした彼女の声に、配膳しているオーリは静かにほほ笑んでいる。それで毒気も抜かれたのか、ディニエルは矢継ぎ早に話しかけてくるハンナをいなすに留めて文句を言うことはなかった。
何かもうハンナが嬉しそうってだけでこっちまで優しい気持ちになれますね!
装備のスリットが際どい頃とはまた違った優しい気持ちに…!!