第753話 蠅の王、はーちゃん
「まだいいよ。忙しそうだし」
「180階層突破して一段落はついたから、約束は守るよ」
気まずそうに立ち去ろうとしたミナにそう言い含めた努は、PTメンバーを見回す。
「それじゃあ……アーミラとガルム、付いてきてくれる?」
護衛として二人を指名した努を前に、エイミーはぴたっと横に引っ付いた。
「わたしも行くから。暇だし」
「あたしも行くっす。暇っすから」
「……まぁ別にいいけど。悪いねミナちゃん、大所帯になりそう」
「別にいいよ。ミナがお願いしてる方だし」
ミナはそう言うとてくてく歩いてギルドを出て行く。それに大人四人がぞろぞろと付いていく中、努は早歩きで彼女に追いついた。
「基本的にその人は外の障壁魔法内で生活してるんだよね?」
「うん。護衛のお友達と一緒にね」
帝都から引き取られた蠅の王である少年は、奇しくもミナと同様に虫系統のモンスターを従えることができた。現在はその中でも選りすぐりの三匹を護衛として共に過ごしているが、呼びかけ一つで虫のスタンピードを引き起こす数の武力も持ち合わせているという。
「これで多少は解決したら紅魔団にも180階層、本格的に潜ってほしいもんだね。僕が来る前はあのアルドレットクロウと張り合ってたみたいだし」
「……やだよ。ミナが本気出したらみんなに嫌われちゃうし」
「それこそ新入りもPTに入るとしたらどうなるのか、僕は楽しみだけどなー。どうせユニークスキル判定受けるだろうし、そうなると前人未到の三枚編成だよ?」
「へんなの」
以前本格的な蟲化をして観衆から気味悪がられた経験のあるミナは、そんな努の物言いに対してそっけなくぼやいた。それからヴァイスやアルマに対しての愚痴やらなにやらを聞いている内に、迷宮都市を出てフライで飛び少し離れた場所へと向かう。
「ここだよ」
そしてミナは周囲に何もない荒野の空中で止まった。それに努とその他PTメンバーも困惑していると、彼女は空中をノックして硬質な音を響かせた。
するとその景色と溶け込んでいた障壁魔法の一部が見えるようになり、努は軽く目を見開いた。
「……なんか知らない種類の障壁増えてるー」
「バーベンベルク家当主は未だ現役か」
ガルムも感心したように唸りながら迷彩の一部が解除されて開いた入り口を抜けると、そこには虫系モンスターを考慮してか見渡す限りの空中庭園が広がっていた。なんじゃこりゃーとエイミーが目を輝かせているのを横目に、ミナは若干自慢げな顔をしている。
そんな団体を男性にしてはかなり長い黒髪を携え、ツトム製の衣服再生刻印が入った装備を着たヴァイスが出迎えた。
「……本当に、来てくれたのか」
「ここまで早く来るつもりはありませんでしたけど、目が合っちゃったので」
思わぬ来客でもガルムと同じく表情筋が動かないヴァイスの様子に、努は苦笑いしながら答える。その上空から障壁をサーフボードのようにして空から近づいてくる、澄ました顔の貴公子も見えた。
「ふん、相変わらず小憎らしい顔をしている」
「……誰だっけ?」
「……は?」
金髪を下ろして美男子といっても過言ではないバーベンベルク家長男の顔が怒りで歪む。その顔つきでようやく記憶が繋がった努は合点がいったように頷いた。
「あースミスね。髪下ろしてて表情ないと分かりにくいんだよ。こっちはオールバックでキレてる記憶が多いんだから」
「探索者をしている時やプライベートではいつもこうだ! 相も変わらず無礼な奴だな!?」
「政務が忙しそうで何よりだね。今じゃめっきり神台で見ない」
髪をかき上げて額の青筋を見せつけてきたスミスに対し、努はそう返しながらひらひらと手を振る。すると彼は宣戦布告とばかりに指差した。
「確かに180階層では遅れを取ったが、今後の階層で必ず追いつく! 首を洗って待っているがいい!」
「……あぁ、そうなんだ」
そんなことを言っていた狐人もいたなと、努は懐かしい気持ちになりながらスミスを同じ分類に分けそうになった。その生暖かい視線を前にスミスは少し混乱したような目をしたが、気を取り直して今度はバーベンベルク家としての顔を覗かせた。
「……しかし、蠅の王と言葉を交わせるというのは本当なのか?」
「やってみなきゃわからないから、あまり期待はしないでね」
「どうだか」
ツトムの出自はバーベンベルク家の伝手を総動員しても未だ謎のままであるが、仮説自体は様々存在している。そしてもし本当に蠅の王の言語がわかるのだとしたら、かつてこの大陸の言語を統一する魔法を放った王族の生き残りという仮説が強まることとなる。
「どゆこと?」
「あー、スミス、説明よろしく」
「何故、俺が?」
「どこまで話していいラインなのか僕には判断つかないし、僕も蠅の王の言語はわからないかもしれないんだしさっさと済ませたい。ガルムとアーミラは護衛として付いてきて」
「……こっちだ」
するとヴァイスが蠅の王が滞在している住居の案内を申し出て、フライで飛んで行った。それに努とミナも続き、ガルムとアーミラも少しホッとした様子で付いてきた。
「……仕方ない。ではツトムが蠅の王の言語がわからなかったことを前提として、情報を共有しておく」
「は、はい」
「…………」
残されたエイミーは戦々恐々といった様子で、バーベンベルク家長男のスミスから説明を賜ることになった。ハンナの顔には付いて来なきゃよかったといった意思がありありと浮かんでいる。
「そう邪険にするな。あの爺さん……メルチョーには俺も世話になった」
「え、そうなんっすか?」
ただスミスも異様に畏まる庶民たちの扱いには慣れているからか、早速ハンナの関心を引く導入を話しつつ説明を始めた。
――▽▽――
「ここだ」
ヴァイスはそういって二重に隔離されている障壁をノックした。外側からのノックを感知したスミスがその障壁を開くと、フードを被って顔を隠している少年が動画機に映る神のダンジョンの光景を食い入るように見ていた。
「はーちゃん、来たよ」
「はーちゃん?」
「はえの王だと呼びにくいし」
蠅の王にあだ名を付けている間柄らしいミナであったが、当の本人である少年はこちらを見向きもしない。
その後ろに控えるは虫型モンスターでありながら人の形をした、鎧でも着込んでいるような甲殻を持つ者が二人。その実力を見測るガルムと虫の護衛との間に少し緊張の空気が走る中、蠅の王は動画機から視線を離さないまま気だるげに羽を揺らした。
『僕の言葉なんて人間に判別できるわけないのに』
「それはそうなんだけど、驚くことに僕は出来るみたいだね」
そんな努の返答に、蠅の王ことはーちゃんは羽の振動を一度止めた。ただすぐにまた羽でさざめき始める。
『どうせ適当な言葉を返してるだけでしょ? 誰にでも当てはまりそうなことを言ってるだけ』
「それなら何か単語でも言ってみてよ。そうだな、好きな食べ物とか?」
『……トマトが嫌い』
「まぁ別に嫌いな食べ物でもいいけど。僕も小さい頃はトマト食べられなかったよ。大人になった今は食べられるようになったけど」
『…………』
その返答に蠅の王は動画機を持つ手を下げ、努に視線が吸い込まれ始めていた。そのまま微かに羽を揺らす。
『じ、じゃあ、パンケーキ。パンケーキわかる? ミナたちが似たようなものを買ってきてくれたんだけど、それじゃなかった。お母さんが作ってくれてたんだ。こう……平ぺったくて。蜂蜜がかかってて、四角のやつが乗ってるんだけど、それが明らかに違うんだよ』
「平ぺったいってことは、こういうふわふわのやつではなく? ヒール」
努がヒールでパンケーキを実際に描いて見ると、蠅の王はうんうんと頷いて歩み寄ってきた。それには蠅の王の後ろに控えていた護衛たちも身じろいだが、蠅の王がそれを手で制する。それに合わせて努も警戒心を滲ませたガルムを目で制した。
『そうそう! これじゃなくてもっとぺちゃんこで! 上に乗ってるやつも形は似てるけど違うんだ!』
「あー、ってことはバターじゃない感じか? 家での手作りパンケーキって感じなのかな。君って帝都出身だよね」
『うん』
「ここは帝都じゃないから、まずパンケーキの素材から違うっぽいね。その中でも四角いこれは……確か牛の乳の脂肪分を固めたバターって言うんだけど、これが明らかに違うと」
『あ、これバターって言うんだ! じゃあバターじゃない! バター、じゃない……』
蠅の王の言葉はどんどん尻すぼみになっていき、最後にはフードの中からポロポロと涙を零した。感情の乱れで羽音が勢いを増し、それを警戒したガルムとアーミラが努を守るように前へ出た。それに蠅の王の護衛も応じる。
「ガルム、蠅の王に悪意はない。大丈夫だよ。守精指輪も反応してないでしょ?」
「…………」
そんな主人の呼びかけに忠犬は黙したまま一歩下がった。同様に護衛を下がらせていた蠅の王は慌てて言葉を続ける。
『ごっ、ごめん……ごめんね。みんな怖がらせちゃったかな……?』
「そうみたいだね。ま、異文化交流なんだし多少のすれ違いはしょうがない。僕は気にしてないよ」
『そっか……』
「それこそさっき教えたバターみたいな感じで、僕は君が言語を学ぶ助けにはなれると思う。そうすれば僕以外とも文字でお話ができるようになるだろうし、今よりもっと生活しやすくなるんじゃないかな?」
『なりたい! みんなとお話できるように!』
「それならしばらく僕は君の先生になるよ。今後ともよろしく」
そうして差し出された努の手を、蠅の王は異形の顔を隠したまま人の手で握手した。そして握手を終えた努は一つ付け加えた。
「それと僕が君の先生になったのは、ミナちゃんにお願いされたことも大きいから。それこそ僕はその動画機に出てる探索者の中で一番だから、中々貴重なんだぞ?」
『ミナが……?』
「だからミナちゃんに感謝するよーに」
『ミナ! ありがとう!!』
蠅の王から感謝の意を示されたミナは、おどおどした目でそれを受け取る。そうして努は時間の合間を見て蠅の王の国語の先生を務めることとなった。
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