第808話 バリア

「なんつー時間に来てやがるです? 後回しにも程があるのです!」


 シルバービーストのクランハウスにある一室にゼノ工房と近しい設備を作っていたユニスは、ゴールデンタイムも終わろうとしている時間に来訪してきた努に対してお冠だった。

 そんな彼女の狐耳が若干毛羽立っていることに視線を向けていた努は、続いて幾多もの刻印装備や黒い油が散見される部屋を見回した。ずっとこもりっぱなしだったのか空気は淀んでおり、トレーには食べかけのパンとスープがそのまま置いてある。


「無限の輪でやることが多くてね。それで、刻印の方はどう?」
「サブジョブはノーステの影響受けてないのは流石に知ってるですよね? あとステータス系を上げる刻印装備は大体駄目になってるですが、進化ジョブに関わる刻印は免れてるのです。帝都の神ダンにはそもそも進化ジョブなかったから、それの影響っぽいのです」


 ユニスはエイミーと共に帝都のダンジョンに潜っていた影響で、ノースキルノーステータスを受けて全てのステータスが失われている。しかしだからこそサブジョブのスキルが失われていないことにすぐ気付き、あれからぶっ通しで刻印士としての検証を行っていた。

 それによりいち早く刻印の情報を仕入れていたユニスは、我が物顔で薄い胸を張る。


「それにステータスを下げて効果を発動するタイプの刻印は、実質ノーリスクで使えるっぽいのです。なんかステータスを下げる効果は、ノースキルノーステータス中の人には適用されてなかったのですっ」
「マジで? じゃあ瞬身とかの刻印、雑に積める感じ?」
「ですです。慣れはいりそうなのですが、少しは半減してるステータスの穴埋めになりそうなのです!」


 例えば避けタンクによく積まれる瞬身という刻印は10%の確率で当たった攻撃を変わり身で無効化することができるが、発動後は五分間VITが二段階減少し、その間は再発動ができなくなる。他にも重身、献身など~身シリーズの刻印は複数あり、それらはステータスを犠牲に何かしらの恩恵を得るものだ。

 そしてその刻印は60レベル以降でステータスカードの刻印表に表示されるようになり、それを刻む適正レベルは70である。そのためユニスレベルの刻印士でなければその刻印装備を作ることは難しい。

 そんなノースキルノーステータス下でのわかりづらい仕様を発見していたユニスを前に、努は素直に感心した様子で口を開く。


「そりゃ大発見だね。明日から僕もいくつか積んでみるか」
「将軍系の刻印は無効化されてないのです? こっちは大丈夫ですが」
「こっちもそれは無効化されてなかったね。もしされてたら発狂してたかも」
「……残念なのです。ちょっと見たかったのですよ? ツトムが発狂してるところも」


 狐尾を揺らめかせながら意地の悪い顔を見せたユニスに、努はやれやれと首を振る。


「いや、心の中では全然泣いてるけどね? もし八刻印がこのままの状態だったら、また一から作り直しだよ?」


 装備一つに組み込める刻印は十までであるが、五で留めるのが望ましい。刻印の数が上がるごとに刻印が成功する確率は低くなっていくし、刻印と唱え続ける手間や刻印油のコストもかさむからだ。

 ただ防具であれば刻印を小分けにすることは現実的だが、探索者たちが手に持つ武器は基本的に一つしかない。そのため武器への刻印は必然的に集中しやすく、現状の最高峰である八刻印は努やユニスでも作るのには結構な手間がかかる。

 刻印武器にかかる手間暇については身に染みて理解しているユニスは、努の予測を前にそんな馬鹿なと瞳を震わせた。


「……いやいや、流石にそれはねーですよ。ノースキルノーステータスが解除されたら直るはずです」
「でもユニークスキル持ちのコリナが持ってた刻印装備も、軒並みステータス系は機能してないからね。刻印装備に関しては普通に破損されたんじゃね? と僕は推測してるよ。ほら、動画機もスタンピードを映してたやつは壊れたって聞いたし」
「……嘘なのです。ぜったい、ぜったいうそなのです」


 クランメンバーたちの刻印装備を作っている努の損失も手痛いものだが、ユニスは刻印士としては彼以上の働きを見せている。そんな彼女が手塩をかけて作った刻印武器がパーになったかもしれない現実は目にしたくなかったのか、ユニスは目を閉じていやいやした。

 ただその動作でふと眠気に襲われたのか、ユニスはふにゃりとした顔のまま努を手で誘った。


「脳ヒールを頼むのです……」
「いいでしょう。情報もくれたしな」


 ノースキルノーステータス下では刻印のステータスデバフが無効化されるという情報は、ユニスがいなければ知り得なかったものだ。それが脳ヒールだけならお釣りがくる。

 この一室にはカーテンで仕切られた仮眠用のベッドがあったので、ユニスはそこにのそのそと移動して横になった。それから少し脂ぎっている彼女の金髪に指を差し込むと、ぴくりと身体が動いた後に弛緩する。


「ヒール」


 蠅の王に対しては手応えを感じなかった脳ヒールであるが、獣人相手にはいつも通りだ。やはり虫の脳とでは明確な違いがあるのか。しかし蠅の王はあまり人と変わらないコミュニケーションが取れる知能はあるため、人間とさして変わらない脳の構造自体はしていそうなものだ。

 そうこう考えながら努が脳ヒールを行っていると、ユニスはふにゃふにゃとした声でぼやく。


「そういえば……今はステータスがあれですから、ツトムにも負けちゃいそうなのです……」
「そうかもね。その割にはシルバービーストの人はすんなり通してくれたけど」
「セキュリティはどうなってるのです、せきゅりてぃはー……」


 夜通し刻印の検証をしていたせいで凝り固まっていた頭が、指から通じる程良い力と緑の気によって解きほぐされていく。まるで天国に連れていかれるような浮遊感。ただそれでもユニスは目を上向かせて努の顔を捉えていた。


「普通は通さないですよ……。危ないですからね……」
「なんかそんな感じはしたね。シルバービーストでたまたまダンジョンに潜って被害受けてない人は、大体俺が守らなきゃ……みたいな顔つきだったし。それに獣人なら聞き耳立てれば異常もすぐ察知できそうじゃない?」
「いや……聞こえすぎるのも考えものですから、普段は耳を閉じてる子も多いですよ?」
「へぇー」


 そうすることで物理的に聴覚を保護できるため、人並みに抑えることも可能ではある。そして実際に狐耳をぺたんとさせて実践してみせたユニスに、努は気の抜けた相槌を返す。

 するとユニスは何かを思いついた顔をしたものの、それを口にするべきか迷いはした。だが目を閉じて思うままに口を開く。


「それこそ、バリアを張れば獣人でも絶対にわからないですよ?」
「だろうね。僕もたまにやってるし」
「……だから、バリア。張ってもいいのですよ?」


 意を決してそう言ったユニスに対し、努はすぐに言葉を返す。


「いや、今はセックスしてる場合じゃないでしょ」
「……んっ???」
「脳ヒールしても三時間は寝ないと駄目だから、ぶっ続けはやめときなよ?」


 努はそう言いながら脳ヒールを終えてカーテンをするりと閉め、水場で手を洗ってから部屋を出ていった。そのまま放置された形となったユニスは、身体を横向きにして扉の方へと向ける。


「……そういう場合のためだけに、動いてるんじゃないのです? 男って」


 そんなぼやきはカーテンと扉に吸収されて外には聞こえなかった。それこそ聞き耳でも立てている者がいない限りは。

 コメント
  • 匿名 より: 2026/10/02(金) 4:02 PM

    選択肢として普通に浮かんでるのはユニスが一歩前進してるぞ
    昔だったら蔑んだ目で見られてたはず

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