第504話 クロアの原体験
(うるさーい)
頭上で飛び交う羽蟻が鳴らす不快な飛行音。それは垂れているとはいえ犬耳のあるクロアからすれば非常に五月蠅く感じた。
だがそんな羽蟻の応酬を受けているハンナの方がそう思っているに違いない。彼女は以前よりも苦しい環境に立たされていた。そもそも上空を飛ぶ羽蟻がいない状況ですら苦戦していたのだから、それが出てきてしまえばいよいよ持ち堪えられないだろう。
「コンバットクライ! カウントバスター!」
だが自分と同じく空を飛ぶ相手が出てきたことでようやく避けタンクとしての感覚が戻ってきたのか、ハンナは羽蟻を始末しながら低空飛行を続けて兵隊蟻をも引き付けていた。
ちょこまかと動くハンナを取り逃さないように組まれた網のような羽蟻の密集陣形。それを壊して避けるために本来の避けタンクは精神力を余しておかなければならない。
だが精神力に余裕がなくとも白色に光る彼女の指先で引っ掻くように放たれた十の光線は、密集した羽蟻を容易に引き裂き地に落としていく。
普通の避けタンクであれば精神力を使いすぎである状態だが、彼女には小規模であるが魔流の拳が使える。その利点を大いに生かした立ち回りでハンナは本来の避けタンク以上の活躍を見せていた。
だがそんなハンナに落とされて瀕死の羽蟻にねっとりとした緑色の液体が着弾すると、切断された羽は時間を逆戻しにでもしたように再生していく。そして羽化した直後のように羽を何度か震わせた後、将軍蟻の触覚から放たれている物質から指示を読み取り戦線に復帰していく。
「回復蟻きめー」
腹部だけ発達した回復蟻は兵隊蟻に支えられながら仰向けに寝転がるような態勢で緑の液体を射出し、仕留め損なった羽蟻たちを回復させている。クロアが兵隊蟻を数匹纏めて叩き潰している最中、独りごちている努の声が妙にしっかりと聞こえた。
エイミーが整列している兵隊蟻の合間を縫うように走りながら足関節を狙って切断し、息つく暇もなく奔走している姿。視界の外から主に聖属性の攻撃スキルで援護してくれているユニス。ただ手厚いというより過剰でもある火力支援によって開いた穴に、クロアは飛び込んで大槌を地面へ刺すように埋め込む。
「グランドクエイク」
クロアの唱えたスキル名と共に周囲の地面が勢いよく隆起し、兵隊蟻たちを派手に吹き飛ばす。その余波は奥に控えている将軍蟻や回復蟻にまで届き、後方支援と指揮系統に若干の混乱をもたらす。
特に椅子にでも寄りかかるような態勢の回復蟻にとって、その余波は思いのほか有効だ。その大きな腹部は兵隊蟻の介護なしでは持ち上げることすらできないため、一度転げ落ちてしまうと再び回復液を発射できる態勢になるまで結構な時間を要する。
地面にめり込んでいる大槌を引き抜きながらゴルフでもするようにスイングし、岩の散弾を繰り出したクロアは敢えて前に踏み込まず静止する。
「セイクリッ、セイクリ、セイクリッド……」
「エアブレイズ」
ユニスが何とかスイッチの合図であるセイクリッドノアを放とうとするも、精神力を使い込み過ぎてしまったせいか最後の言葉が出ない。それに気付いた努が役割を交代したと同時に、クロアは目の色を変えて前に出る。
(やけに状況が理解できる。ツトムさんに一息つかせてもらってるからかな?)
鋭敏な聴覚を利用しての状況察知と戦況把握は犬人なら大体していることだが、今日はその精度が抜群にいい。努の口にするスキル名と後方から吹きすさぶ風刃。それを加味してエイミーが荒らし回っている集団の何処に入ればより火力を出せるか。
瞬きと同時に結論を導き出したクロアは兵隊蟻の集団に潜りこんで大槌を振るう。まるで嵐でも巻き起こったかのように風穴が開き、それでも死を恐れず立ち向かってくる蟻たちを乱戦の中で仕留めていく。
エイミーとの連携はこの数時間で更に磨きがかかり、阿吽の呼吸で背中を任せられる。彼女が自分に背中を任せてくれる信頼は何よりも嬉しく、同時に重い責任を伴う。だからこそ初めはそれに怖気づき、動きがどうも硬かった。
「七色の杖。エアブレイド」
だがその間は努が的確に援護してくれることによって、クロアは彼女からの信頼を損ねることがなかった。しまった、と気付いた時には既に彼からカバーされて助かっていることが何度もあった。
失敗自体はそれで帳消しになっているものの、自分の失態であることには変わりない。それを幾度とない戦闘中に修正してこれたからこそ、今のように一見無茶な立ち回りも押し通せる。
それに努も自分に合わせて絶妙な無理難題を押し付けてきていた。それこそ数戦前なら捌き切れずに潰れていたであろう状態でも、自力で何とか出来るだろと言わんばかりに軽い援護射撃しかしてくれない。ただ150階層での戦闘に慣れてきた今なら、確かに捌き切れなくもなかった。
その難易度の塩梅が、努は段違いに上手かった。
ユニスも決して下手なわけではないが、どうもカバーが過剰になって本当に助けが欲しい場面では火力支援が来ないこともあった。それを戦闘終わりに話し合ってお互いの認識を擦り合わせて行くことが普通なのだろうが、努とはほとんど会話をしなくとも不気味なほどに噛み合っていた。というより噛み合わされているといった方が正しいだろうか。
何故ここまで自分に合わせられるのか不思議でしょうがなかったので道中で直接聞いてみたが、単純にユニスよりもPTを組んでいる時間が長いからとのことだった。確かにそれは事実であるが、だからといってエイミーとユニスみたいな阿吽の呼吸が突然出来るかといえば到底無理な話だろう。
(あ、いける)
グランドクエイクによって崩れた後方が立て直しに手間取っている間、エイミーが将軍蟻に至る道筋を作り上げている。それを当然努も把握していることを承知で、クロアは地を踏みしめて爆発したように飛び出した。
「コンバットクライ!」
フライを使用したことでクロアも空中の羽蟻に捕捉されたものの、光の魔石片手に暴れ回っているハンナを放置もできない。そして羽蟻の脅威も心配なくなった彼女は、ユニスが設置したバリアの足場を利用しながら曲折を繰り返し進んでいく。
「双波斬、ブースト」
「エアブレイズ、ホーリーレイ」
クロアが将軍蟻に最速で辿り着けるようにエイミーは地上から、努は空中から援護して妨害しようとする兵隊蟻や羽蟻を跳ね除けた。足下のバリアが軋むほど力を溜め込み、将軍蟻の眼前に飛び込んで大槌を脇に引き絞り構える。
「ギガント――」
自分が特別強いわけではない。この階層における成果はあくまで例外的。努にとっても自分は人数合わせにしか過ぎないのだろうし、代わりになるようなアタッカーなんて山のようにいる。この前衛的な立ち回りだって150階層限定なのだろうし、刹那的なものに過ぎない。
だがこの錚々たるPTメンバーの中で、一桁台なんて夢のまた夢だった自分が最も活躍しているという確固たる自負。
「スマーッシュ!!!」
この瞬間があるのなら努に賭けて良かったと、クロアは思えた。
身を挺して守ろうと飛び出してくる兵隊蟻を気にも留めない横薙ぎ。その空間だけ抉られたような轟音と共に、頭が消滅した将軍蟻は地に伏した。
すると突然指揮系統を失った蟻たちは混乱したように触角を直立させた後、一斉に撤退を開始した。自力で動けない回復蟻もこのままでは見捨てられることを悟ったのか、自身の下腹を自重で捩じ切って逃げ出すほどだ。
「はい駄目―」
ただ回復蟻は他の蟻よりも珍しい物をドロップする確率が高いので、エイミーはその数匹だけは逃がさず仕留めた。すると回復蟻の残した大きな下腹は光の粒子を漏らして消え、後にはどっぷりとした刻印油が残った。
「お疲れー」
「メディック、ヒール」
「ういっすー」
汗で引っ付いた前髪をちょいちょいと直しているハンナに緑色のスキルが着弾し、火照った身体を癒していく。クロアもそれをシャワーでも浴びるような気持ちで受けながら、刻印油の回収にやってきた努を見やる。
「今回は大分調子良さそうだったね。グラクエもぶっ刺さってたし」
「あ、わかっちゃいますー?」
「妙に察しが良いところはガルムっぽかったよ」
「……そこは素直にクロアが良かったよ、でいいんじゃないですか?」
「つまりクロアは~、ガルム程度では収まらないと?」
「そこで寄せてくるの悪意ありすぎません?」
今からクロアが大口叩きますよと言わんばかりに神の眼を呼び戻してくる努に、彼女はそう突っ込みながら大槌をくるりと持ち替えて背中に担ぐ。
「あと何気にクロアの言い方、馬鹿にしてません? そんなぶりっ子みたいに言ってないんですけど?」
「今はいいけど、五年後辺りからキツくなってきそうだなとは思ってるよ」
「神台の面前でアイドル戦略語るの止めてくれません? ……何ですか? そんなにニヤニヤして」
「ぷくくっ……ごめん。知り合いに似たような人がいたから、個人的にウケちゃった」
何やら思い出し笑いでもしている様子の努に、クロアは首を傾げながらもスポイトを借りて刻印油の回収に向かった。
鑑定とかのもともとスキルだったものは、たとえばいろんなものをじっくりと見たり観察したりすることを長く続けてた人に発現しやすい、みたいな文なかったっけーー!?
種族柄というのもあるけど、ほんにんの資質やらもでかいはずだけどな。
それが鑑定士ってサブジョブになっちゃったせいでレアじゃなくなったってエイミーが言ってた