第514話 これがあの女の作った装備ね

 

「これがツトム様のお作りになられた刻印装備ですか」


 アルドレットクロウのクランハウス内にある百人は入るであろう食堂で、ステファニーはルークのPTから見せてもらった白魔導士用の杖を手に取る。そしてうっとりした顔で刻まれている刻印を指先でなぞっていた。


「あ、それはユニス作で……」
「…………」


 ただそんなルークの言葉を聞いた途端に彼女は汚い物でも触ってしまったかのように手を離し、その杖は無惨にも床に落とされた。それをディニエルがひょいと拾い上げて元の持ち主に返す。


「……ですが、その字はツトム様の筆跡に近いですわ」
「初めはツトム君自身で削ってたみたいだけど、最近は職人さんに任せてるみたいだからね。ツトム君の刻印を模倣もほうしてるから似通ったんじゃないかな」
「ユニスのも実用的なんだ」
「あー、ツトム君の刻印装備と比べると一歩劣りはするけど、十分実用的だね。まぁ、彼女も基本的にはツトム君と同じスタンスのようだけど」


 努は基本的に自身が作成して納品した装備を転売や貸付することを推奨していない。とはいえ禁止しているわけではないし、それはそもそも不可能なことである。

 ただゼノ工房によって刻印も込みでデザインが改造されているそれらの装備は、見る人が見れば誰に納品されたものか区別はつきやすい。なのでもしそういった類の行為を発見した場合はその持ち主とは二度と取引しないと宣言していた。


「無理やり奪われたことにでもしたら?」
「考えればいくらでもやりようはあるんだけどね。でも流石に組織のためとはいえ、ツトム君の顔に泥を塗るような真似をする中堅探索者はいないんじゃないかな。実利的にも、精神的にも」


 探索者として活動しているにもかかわらず夜には刻印しながら神台も見ていた彼は、恐らく自分が見込んだであろう探索者にしか天空階層用の刻印装備は渡していない。孤高階層のお祭りでバラ撒いた刻印装備は撒き餌であると同時に、探索者を見極める試金石にもしていたのだろう。

 そんな探索者たち一人一人に努はわざわざ出向き、今まで散々苦汁を舐めさせられていた屈辱を晴らす時だと伝えて回っていた。

 それこそ涙を流す探索者までいたことからして、三種の役割で救われたタンクとヒーラー職と同じような気持ちになっている者も多いのだろう。それに刻印が機能しなくなった時の唯一の補修先ということもあるので、彼を裏切る方が不利益になる。


「無能を切る良い機会」
「確かに必要なことだとは思うけど、刻印士だけが生産職の世界でないことは留意しないとね。その点、ロイドは理解してるようで何よりだけれども」
「ドンマイ」
「ドンマイ?」


 そんな努の策謀によって最前線組には今でも天空階層用の刻印装備は供給されていない。三年も迷宮都市からいなくなっていた彼が復帰して数ヶ月でこれだ。

 ならこの三年間アルドレット工房はおままごとでもしていたのかとステファニーは盛大な嫌味に留めていたが、それも孤高階層でのお祭り記事の顛末と努の写真を見てからはブチ切れにブチ切れた。

 その結果としてアルドレット工房で探索者の装備を供給していた部門と、オルファンと繋がりがあった幹部は一人残らずクビとなった。少なくとも刻印士のレベルが60になるまで復職は許されず、今までのうのうと装備供給を担当していた生産職は刻印付けの日々を送っている。

 それに今まで曖昧に流されていた経費の使い込みなど様々な問題もこの機会に取り沙汰され、幹部たちは横領罪で負け戦の裁判所に出廷する羽目になった。その損害賠償金は今も奴隷のように刻印している生産職がどんどん消費していく刻印油となって溶けていき、既に特定されたギルド銀行以外の隠し資産にも及ぶ見込みだ。


「160階層は問題ありませんが、最低限のレベル上げはして頂かないと本当に置いていかれますからね」


 ある程度は出回っている深淵階層の刻印装備も以前までの装備に比べれば高性能ではあるため、ステファニーとディニエルの二人でウルフォディアを完封突破する可能性自体は上がっている。ただ現在160階層に挑んでいるルークたちを見れば、天空階層用に刻印された装備の有用性は素人目でも明らかだ。

 単純にレベルの高い刻印でジョブごとに必要なステータス値を底上げできるのも強いが、それに加えて光耐性の強化や特攻なども付けられるのでタンクの安定感がかなり増した。探索者の才覚と努力による洗練された技能による差は、非常に高性能な装備によって一気に縮まった。

 それでいて今後はウルフォディアの浄化対策まで見込めるとあっては、刻印士を各クランで確保するのは必須といえる。それは何もアルドレット工房だけでなく、探索者相手に商売している生産職全てが対象になっているだろう。

 ただ努が数ヶ月で刻印士レベルを62まで上げられたのは『ライブダンジョン!』の知識前提でのレベル上げ理論に、ゼノ工房の手厚い物資のバックアップ、それに廃人特有の狂ったタイムスケジュールでの作業量を確保した上でのことだ。

 それはいわば上位の白魔導士が全員ステファニーのようになれと言っているようものであるが、出来なければ職を失うアルドレット工房の職人たちはそれを最速で実行しなければならない。

 しかし責任を追及されている中ではろくなバックアップ体制も望めないため、努のように低乱数引いちゃったで刻印油を安易には溶かせない。かといって100%の成功確率だけで刻印していては数ヶ月でレベル60なんて不可能である。

 そんな理想と現実との板挟みによる苦行は始まったばかりであり、これから思うようにレベルが上がらないことは日を追うごとに重くのしかかってくる。アルドレット工房の地獄は先日から始まり、一ヶ月目の定期報告で更なる底へと叩き落とされることだろう。


「161階層で再会できるといいですわね?」
「白魔導士2じゃ無理でしょ。ユニスと乳繰り合って時間を無駄にでもしてるといい」
「そんなに甘いお人でないことは、貴女の方が知っていそうですけれど」
「私はツトムの写真立てを部屋に置くような趣味はない」


 そう言いながらディニエルはぷちりぷちりとミニトマトをフォークで突き刺し口に運ぶ。その横でルークは思い出したように目を見開いた。


「そういえばダリルとアーミラもそろそろ無限の輪に戻るみたいだし、ディニエルも声かけられるんじゃない?」
「まだかけられてないけど」
「……あっ、ドンマイ」
「ドンマイ?」


 気まずそうに目を逸らしたルークにディニエルは尋ね返した後、抗議するように彼のトレーを手で摘まんで揺らした。


 ――▽▽――


 ユニスが荷物を纏め始めた数日後。本日がこの臨時PTで行われる探索の最終日だったが、ウルフォディア対策の目処は立っていなかったので努たちは159階層までの到達に留めた。

 とはいえ黒門を守っている第九の守護者は回復スキルを使用してきてかなり手強く長期戦になったため、エイミークロアハンナの三人は疲れ切ってしょぼしょぼとした目でギルドへと帰還していた。


(あー。浄化対策、呪い部屋にあるっぽいな。深海階層もワンチャンあると思ってたけど)


 そんな中でも下位の神台に目を凝らして見るぐらいの元気はあった努は、迷宮マニアが殺到しているところを見てウルフォディア攻略の鍵を見出していた。

 とはいえ最近では深海階層でも新たなギミックが発見され話題にはなっていた。深海に耐えうる刻印装備を持つカミーユが発見した海底神殿には、少なくとも147階相当のモンスターが出現し階層主らしきものも確認された。

 それに深海階層に潜るのが楽しすぎて帰るのを忘れていた魚人が時間制限で死んだ際、真っ黒で巨大なくじらに飲み込まれる形でギルドに帰された。そしてその魚人が翌日に深海階層へと潜ろうとした際、唐突に未確認の場所へと飛ばされてしまった。

 その後アメーバみたいなモンスターに溺死させられた後は普通の階層に潜れるようになったものの、そこが深海階層の隠し階層のようなものであることは疑いようがない。

 そんな隠し仕様が発見されてからは深海階層用の装備の需要が高まり、ユニスや40レベル前後まで何とか上げた職人たちはせっせと水着を作っていた。

 そんな深海階層と同様の隠し要素は、深淵階層でも見つかった。

 今までは攻略のために一刻も早く抜け出したい苦行の場でしかなかった呪い部屋は、呪い半減の刻印装備によってじっくり探索できるようになった。その結果としてあの神台に映っているような、呪茸がちらほらと見える見慣れない隠し部屋を発見するに至ったのだろう。


(呪いで浄化を打ち消す感じか? 呪茸の上位互換アイテムか、宝箱とかがあってのダンジョン産装備……呪い装備とか? デバフある代わりに浄化は打ち消せるとか、そんなところかな。呪いの刻印とか出してくれると装備の幅狭まらなくていいんだけど)


 本音を言えばある程度完成はしているこのPTですぐにでも150階層に潜って検証したいところだったが、背後から責めるような視線が刺さっている気配もしたので努は神台を見るのを止めた。


「ウルフォディア一目でも見たかったなーーーーー」
「第九守護者に思いのほか苦戦したし、その様子じゃ突破無理でしょ。ロストも怖いし」


 クロアの愚痴にはハンナも同感の様子だったが、天空階層仕様の刻印装備をロストする可能性があるのは怖い。それに前人未到の7刻印武器も所持しているため、死んでも黒杖のように残るとはいえ刻印が壊れることも有り得る。


「でもまた守護者突破しなきゃいけないじゃないですかー」
「シルバービーストで行けばいいでしょ。二、三軍は安定しそうだし」


 このPTを解散した後に取れるクロアの選択肢は豊富にあった。やはり一番台でエースアタッカーとして目立っていたことが大きかったのか、名を上げている大体のクランから勧誘は受けていた。

 ただ彼女はアイドル活動も並行して行いたいということで、選んだら親が喜びそうなアルドレットクロウの勧誘は辞退した。そして最近3PT制となった紅魔団と迷った末、シルバービーストに在籍することを決めていた。


「無限の輪の空席アタッカー枠狙いが見え見えなのです」
「ならユニスは金色の調べに帰ったらどうですか~? それが嫌ならアルドレットクロウでもいいわけですし~?」
「うぅ、うるさいのですねっ。それについては昨日も話したのです」


 ユニスもクロアやエイミーと相談した結果、シルバービーストに在籍することにしていた。

 金色の調べとは三年前に区切りをつけていたにもかかわらず、迷宮都市に帰ってきた時に余計な世話を焼こうとしてしまい今もレオンの嫁たちとは険悪なままだ。それにアルドレットクロウで刻印士として飼い殺されることも彼女の望みではない。


「まずはお前の弟子に相応しい成果を出してくるのです。そして今度こそお前を踏み越えてやるのです!!」
「もう聞き飽きたよ。初対面でそう喚いてもう五年近く経ったけど、いつになったら越えてくれるわけ?」
「…………」
「あ、もしかして僕より長生きすることを目標にしてるとか? それなら確かに八十年後ぐらいには勝てるかもしれないね。ディニエルでも証人にしてさ」
「おめーの墓が出来たら踏み荒らしてやるです」


 自分にはステファニーやロレーナのように才覚溢れるヒーラーの素質はないが、何でもこなす手数なら二人にも負けない自信が刻印士を経験することでついた。

 それに最近では帝都での経験を活かして薬師のサブジョブにも手を出し始め、エルフの伝手を借りて森の薬屋に通い始めている。ユニスは別の角度から師匠を越えるべく日々奮闘していた。


「それじゃ、また近いうちに会いましょう!」
「そんなにシルバービーストのアタッカー陣も甘くないと思うけどね。まぁ、頑張って」
「またPT一緒になれるの、期待してるっす!」


 シルバービーストの中でも無限の輪の一軍アタッカー枠の補佐については、かなり熾烈な争いが繰り広げられている。それこそ予定がたまたま空いている日にはロレーナやミシルがアタッカー枠として参加することもあるし、他にも変幻自在の立ち回りでどのPTにも馴染むソニアに、呪術師のマデリンなどは安定して入ってくる。

 いくら上位陣に入る切っ掛けを掴み実力を伸ばし始めたクロアでも、その一つしかない枠を争うのは厳しいものがある。現状ではたまにクジ引きで決める枠で入るのが精々といったところではあるが、努は若さ故の成長に期待を込めて彼女と握手した。


「…………」
「いや、お前とはどうせゼノ工房で嫌でも会うでしょ」
「はぁ。弟子を見送る師としての気概はないのですか?」
「いつまでも下の立場に甘んじるのは楽そうで良いね」


 その後、手を差し出してきたユニスの握手を拒否した努は、二人に一先ずの挨拶を済ませてギルドを出ていった。

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