第537話 蛇の台パン

 

 それから二時間ほどは無限の輪一軍二人での、ウルフォディアとしのぎを削る戦いが繰り広げられた。


「いい加減長いですね」
「そりゃあ、実質一人しか火力出せてないしね。じりじりした戦いになるのも仕方ない」
「ギルド長と努で火竜倒してた時もこんな感じだったよ」
「……あぁ、そういえば投獄されていた輩がいたのか」
「いや、なっつ。四時間以上はかかってたっけ」


 結局ゼノたちと合流することは叶わなかった努は、ガルム、エイミー、リーレイアの三人とあれこれ話しながら二番台を最後まで見守った。


「いぇい♪ いぇい♪」
「やったよぉ……」


 そしてさもリーレイアを煽るかのように奇怪な舞を見せているハンナと、感無量と言った様子のコリナは二人で見事160階層の突破に成功した。ギルド内ではウルフォディアが地に落ちて浄化されていく様に歓声と拍手が送られ、ギルド職員たちは一段落ついたように仕事を再開し始める。

 そんな中リーレイアは悟ったような顔でぱちぱちと拍手を送った。彼女の努力を数ヶ月同じPTで見てきたガルムは若干気まずげな顔のまま固まり、努はその状況に含み笑いを零した。


「めでたいですね」
「素直に祝えたじゃん。良かったね」
「あのハンナにセーフポイントでの模擬戦で勝ったら、私も160階層突破した扱いになりますかね?」
「一番台の奴を模擬戦で倒しても、一番台には映れないんだよ」
「ははは」


 リーレイアは愛想笑い丸出しの声を上げた後、握った拳を目の前のテーブルに叩きつけた。

 努は肩を跳ねつかせながらも倒れかけたコップを咄嗟に押さえ、エイミーは苦笑いで食器から落ちかけたフォークを指先でいくつか挟んだ。

 その台パンには周囲の席で談笑していた探索者たちもギョッとして押し黙り、しばしの沈黙が流れた。そんな周囲に努はお騒がせしてすみませんねと手で伝えて回ると、時が止まったようだった場は再び動き出す。

 そしてガルムから軽く宥められているものの、さして怒っている様子もなくスプーンを指でつまんでなぞっているリーレイアは場を取り成した努をじっと見つめた。


「ツトムって本当にこういう手荒なこと、苦手そうですよね。王都の箱入り娘か何かですか?」
「流石、王都のスラム街育ちは言うことが違うね」
「騎士の家系ですけど」
「騎士の家系は気に入らないことがあると机を叩くんだね。頭に入れておくよ」
「時には口だけはご立派な輩を黙らせることも必要ですからね。この後模擬戦でもいかがですか?」
「遠慮するよ。明日160階層突破する準備しなくちゃいけないし」


 コップから零れた水を布巾で拭きながらそう返した努に、リーレイアは無言のまま問うように緑色の瞳を向けた。


「カムホム兄妹も割と突破しそうだからね。このままずっと二人PTの縛りゲー見せられるのも何だし、五人がかりでさっさと潰してくるよ」
「ウルフォディアも初見突破ですか。あの鈍り切った二人を連れて?」
「ゼノとソニアは初見じゃないし、精々介護してもらうよ。そっちもハンナにおんぶに抱っこで突破できて良かったね。現状じゃあの四人と、ユニークスキル持ちにカムホム兄弟が最上位勢で確定って感じか」
「…………」
「じゃ、僕はそろそろゼノたちと合流しようかな」


 そうして少し荒れたテーブル周りを片付け終わった努が席を立つと、隣のエイミーは天を仰ぐようにして目を合わせた。


「うそーん。このままこれ置いてくの? ハンナが帰ってきたら大乱闘じゃない?」
「僕に怒った分で消化されてるんじゃない? ガルムの計算通りならだけど」
「……いや、そういう計算はしていないが」


 努にフォークでも投げやしないかとリーレイアの動向を警戒していたガルムは、毒気を抜かれたような顔で答える。


「随分とずる賢くなったものです。誰の影響でしょうか」
「実際、リーレイアじゃない? 僕、三年間はいなかったんだし」
「慣れない立場を突然任されたからではないか。良くも悪くもな」
「……それは、トータル人生の糧になったという捉え方でどうでしょうか」
「もっと言ってやれガルム」


 努にぶつけるべきは言葉でも暴力でもなく彼なのではないかと思い至ったリーレイアの飛ばした野次に、ガルムは指先で机をノックするように叩いた。


 ――▽▽――


 第九の守護者を手早く倒して160階層へ向かう黒門の前で待機している、努率いるPT。そこでゼノは神の眼を横目にぼやく。


「……何だか、あまり160階層に挑む実感がないね」
「本当ぉ? って感じだよね。理論自体はわかってるんだけど」


 昨日アルドレットクロウに続き無限の輪の一軍も160階層を突破したことで、ウルフォディアは本当に倒せるんだという実感は湧いた。だがその翌日にまだ160階層に潜ったことすらない三人がいるPTで突破を目指していることに、ゼノとソニアはあまり腑に落ちていないようだった。


「なんかよ。俺らが火竜突破した時みたいだよな」
「……あー、ですね。突破するとか、言うのもおこがましい空気というか……」


 そんな二人の様子に何処か既視感を覚えたアーミラの言葉にダリルは同意しつつ、呪寄装備が正常に動作しているか最終確認をしている努の方をちらりと見た。


「前と違って僕も突破してないから、言うのがおこがましいのはわかるよ。昨日リーレイアからもちくちく言葉言われたし」
「んだよ、ちくちく言葉って」
「皮肉の可愛い表現って感じかな」
「あれが可愛いねぇ」


 実際のところ今の彼女と模擬戦をすれば十中八九負ける見込みであるアーミラは、そんな努の言葉にうげーっと舌を出す。


「今まで二人で戦わざるを得なかった相手に、多少のデバフはあれど五人で挑めばそりゃ勝てるよねってだけだよ。流石に全員初見じゃ厳しいだろうけど、ウルフォディア相手にタンクヒーラー出来るゼノに雑魚処理手慣れたソニアもいるしね。これで負けたら相当弱いよ、僕ら」
「レベルで言い訳できないことがこんなに苦しいとは思いもしませんでした」
「かーっ。三年ブランクあるのきついっすわー」
「ユニークスキル持ちは強ぇのが当たり前だからな。そろそろ俺が切り開いてやらねぇと示しがつかねぇ」
「それはそう」
「あん? おい、言うじゃねぇか」


 実際ユニークスキル持ちの不甲斐なさを感じていた努の肯定に、棘を感じたアーミラは楽しそうな顔で絡む。そんな緊張感のない三人にソニアは灰色の大きい耳をきゅっとすぼませた。


「でも実際、とんとん拍子でぬるっと突破できそうな気もするよね。呪寄で浄化対策できることは証明済みだし、そのデバフも刻印でここまで軽減できるならまともに戦える。まともな呪寄装備さえあればウルフォディア戦に慣れてる中堅でも何とかなりそう」
「逆に刻印装備が供給されない最前線ほど厳しくなる未来すら浮かぶが……それが現実となるかは私たち次第か。何だかパンドラの箱のようにも思えるね」


 もしこれで本当にウルフォディア戦が五人で突破できてしまえば、その後に無数の中堅たちも自分たちを模倣して160階層を次々と突破してしまうだろう。それに関してゼノの気持ちはまさに半々といったところだ。


「ま、いずれ誰かが開けるんだし、初めに開けておいた方が得だよ」
「こればかりは損得だけで決められるものでもない。しかしだからこそ、ハンナ君やツトム君のような者たちが必要なのかもしれないね」
「あー、それについては僕も複雑だね。自分で開けてるのか、はたまた開けさせられてるのかは微妙なところだから」
「もしツトム君が開けさせられるとしたら、それはギルド長辺りかな?」
「否定はできないね。怖い大人だよ、本当に」


 迷宮都市の新通貨についても絡んでいたであろうカミーユは、当然刻印のことについても知ってはいただろう。そもそも通貨への刻印に関してはそれを真っ当なものと証明できる鑑定士もセットであるし、その流通にもギルドは打ってつけの場所だ。

 それなのに刻印士として活動してもギルドから圧力をかけられずに済んだことを感謝するべきなのか、単純に他の意図があっての見逃しなのか。ただどちらにせよ怖い大人であることに変わりはないだろう。


「それじゃ、装備に損傷も見られなかったし行こうか」


 そう話しながらも呪寄装備の作用に問題がないことを確認した努は、PTメンバーに確認を取った後に160階層へと続く黒門を潜った。

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