第423話 ハンナ、努信者になる

 

「なんか師匠、雰囲気変わったっすね? ちょっと男っぽくなったというか」
「三年も経てば誰でも少しは変わるんじゃない。ハンナも前より髪伸びてるし」
「あたしは丁度修行から帰ってきたところっすから! 邪魔だし明日にでも切る予定っす!」
「へぇー。修行って、メルチョーさんと一緒に?」
「そうっすねー! でっかい滝に打たれてきたっすよ!」


 高級なゲテモノ料理を扱っている食事処の個室で努は久しぶりに再会したハンナと会話を交わしながら、丸茹でされた甲殻類を食べやすいように解体していた。そして両手を合わせて滝に打たれるポーズをしている彼女の分を取り分ける。


「師匠もけっこー変わってるし、えーっと、あっちの世界? で厳しい修行でもしてきたっすか?」
「修行とまではいかないけど、こっちの世界に帰ってくるためにやることもあって多少は頑張ってたよ。僕が育った国で一番高い山に登ったりとかして、体力もつけてたし」


 ステータス補正のない元の世界で山登りやボルダリングなどで全身を鍛えていたこともあり、確かに三年前と比べると努の身体つきは良くなり顔つきも以前よりは精悍としていた。


「おー!! それでこんなにたくましくなったっすね! なんか手もでっかくなった気がするっす!」
「それでも拳闘士にはステータス的にも勝てないよ。だから少しは加減しろ。ヒール」


 力比べでもするように手を組み合わせてきたハンナの小さい見た目によらない力強さに苦言を呈しながら、努は指に痣でもついていないかと確認した後に念のためヒールをかけておいた。


「僕の事情についてはガルムたちに教えてもらった感じ?」
「そっすね! ダンジョン産の用紙? みたいなの? が異世界人の証拠らしかったっすね。あたしは異世界とかよくわからなかったっすけど、要は師匠ってすごい遠くの外国から来たみたいな感じっすよね?」
「……まぁ、ニュアンス的には合ってると思うけど」
「にゅあんすてき? にゅあん、素敵……?」
「確かに通じない言葉もたまにあるし、外国人といえばそうかもしれないね」


 ちんぷんかんぷんな発音で新たな言語を発しているハンナにそう告げた後、努は辛みの効いたソースにつけた海老の尻尾にかぶりつく。そして残った尾先を皿に置くと彼女はそれをひょいと取り上げて口の中に放り込み、バリバリと音を立てて噛み砕いた後に飲み込んだ。


「おー。でも外国人ってことは納得っす。師匠と同じような人って見たことないっすから。見た目は王都出身っぽいのに虫食べるのは抵抗ないし、こんな気持ち悪いやつも平気で食べられるじゃないっすか」
「確かに見た目だけでいえば虫と言われてもしょうがないけど、僕が食べてるのはあくまで海産物だからね。僕の育った国では普通に食べられていたから抵抗ないだけだよ」
「これを作る方もおかしいっすけど、それを頼む師匠もおかしいっす。異世界の人って言われても納得っすよ。流石のあたしも生きたままのそれは食えないっす。料理と呼んでいいものっすかそれ? 可哀想だとは思わないっすか?」


 包丁で切られて盛りつけられた今でも動くほど生きのいい烏賊の触手を指して身震いしているハンナに構わず、努はそれにさっぱりとしたポン酢をかける。するとその烏賊はまるで痛がるかのように透き通った体をくねらせ始め、その様子を彼女は恐怖におののいた目で見つめていた。


「これを見て表情も変えないとか、頭おかしいっす。人間的にもリーレイアより全然あれっすよね。」
「それってリーレイアに対しての悪口にもなるだろうから、今度会った時に報告しておくよ」
「じょ、冗談じゃないっすかー!! あっ、それにあれっすよ。リーレイアも師匠を大分恨んでるみたいっすからね! 先に師匠が怒られるだけだと思うっすよ!?」
「リーレイアが? 何で?」


 ハンナの反応が意外だったので聞き返してみると、彼女は考えこむように胸の下で腕を組んだ。


「さぁ……。でも、かなり前にめちゃくちゃ師匠の愚痴を聞かされたことは今でも覚えてるっすよ。それであたしもしばらく師匠から支給されるようになってたお金、汚く思えて寄付してたっすから」
「ハンナがかなり前のことを覚えてるってことは、相当だね。……でもアーミラとディニエルはまだしも、計算高いリーレイアがそこまで僕を恨むとは思えないけど。あとダリルも謎だし、なんかよくわからないことになってるなー」
「……師匠? ちょっとあたしのことも馬鹿にしてないっすか?」
「え? してないけど」
「そ。そうっすか? ならいいっすけど……」


 さらっと鳥頭だと言われたことを誤魔化されたハンナはいまいち納得がいかないといった表情をしながらも、コオロギのような見た目をした昆虫の煮物を舌で潰すようにして食べた。努も試しに食べてみたが意外とホタルイカのようなクリーミーさもあって美味しかった。


「ハンナは僕が帰ったことについてそこまで気にしてないようで、こっちとしては助かるよ」
「うーーーん。確かにリーレイアとかディニエルと比べたらそうでもないっすけど、あたしも気にしてたっちゃ気にしてたっすよ? 出来るならちゃんとお別れくらいは直接言ってほしかったっすよ~。こうしてまた会えたから別にいいっすけど~」
「それについては本当に悪かったよ」
「まぁ、ハッタリかまして逃げるように帰ったっていうのも師匠らしいといえば師匠らしかったし、あたしは逆にちょっと笑っちゃった方っすね。あっ、あと遺産? みたいなのものと手紙まで残してくれたじゃないっすか? あれのおかげであたしは結構助かったと思うっすから、許してあげるっす!」
「それはどうもありがとうございまーす」
「あっ、でもその前に思い出した! 一つだけ聞いてもいいっすか?」


 突然ひらめいたハンナの問いかけに努が頷くと、彼女は思考をひねり出すような顔のまま話し始める。


「クランハウスの前で言い合いになった時、師匠すごい怒ってたじゃないっすか? 師匠が帰った後はあれも帰るための演技だったんじゃないかーってリーレイアは言ってたっすけど、あれもハッタリだったっすか?」
「……あー、確かにあの騒動を利用して元の世界に無理やり帰ろうとしたのは事実だけど、足を撃たれた時に怒ったのも本気ではあったよ。探索者のすぐに回復できるからって相手に致命傷与えなければ何してもいいって見做す空気、僕は嫌いだからね。殺人鬼相手とかなら武力行使も仕方ないとは思うけど、嘘をついた容疑だけで足を射抜かれるなんてたまったもんじゃないし」
「あー。それならまぁ、良かったっす。もしあれで演技なんだったら、ちょっと師匠が怖くなるところだったっす。あっ、それを平気な顔で食べてる師匠はそもそも怖いっすけどね」
「口の中でも動き回りやがる」
「やべー奴っすよ」


 話の途中でも相変わらずうねうねと蠢く烏賊足にトドメでも刺すかのように噛み潰していた努に、ハンナはドン引きした目でそう物申したが何だかおかしかったのか笑っていた。そして踊り食いの勧めについては過剰なほど嫌がり、代わりに焼き烏賊を頼んでいた。

 それから努はハンナに今の無限の輪のメンバーについて色々と話を聞いた。


(アーミラとディニエルは予想通りだったけど、リーレイアとダリルが予想外だったな。リーレイアにはかなりのメリットを提示したと思うんだけど、何かやらかしてアーミラにでも嫌われて僕に責任転換してる感じなのかな? そうだとしたらクレイジーサイコレズ、どうしようもないな)


 原因はわからないがどうもリーレイアからは大分嫌われているようなので、その理由を捜して何か対策を講じなければならない。だがハンナから聞く限りではその理由もわからないので今は保留するしかないだろう。


(ダリルは話聞く限り行き違いからそのままずるずるいってるパターンだし、ガルムとの間を上手く取り持てば解決はできそうかな。てっきりミルルに騙されて利用されてるのかと思ったけど、神台を見た限りそうでもなさそうだったしなー。まだ僕への復讐を果たしてエイミーに見初めてもらうつもりなら、あいつ大したもんだよ。その原動力を他に生かせばいいのに)


 神台で見た限りでは白魔導士であるミルルの実力自体は三十番台に映るには相応であったため、どうやら単に色仕掛けなどでダリルを籠絡したというわけでもなさそうだ。もしかしたら帰ってきて早々難敵となる可能性が高いので、警戒と対策は怠らない方が良さそうだ。


(エイミーは帝都のダンジョン攻略ね。もしかしたら僕がこの世界に帰ってこられたのはエイミーのおかげだったりするのか? あのマジックバッグ満杯にした特典で黒門が開けたかは微妙なところだし、だとしたらありがたい限りだけど)


 努の帰還する手掛かりを探しに帝都へと旅立っていたエイミーとは定期的に手紙のやり取りこそあれど、詳しい近況についてはまだわかっていないようだった。そして努はメンバーの状況を大まかに把握してからは各々にどういった対応を取ろうか考えていたところ、突然ハンナがにやにやとしながら腕を小突いてきた。


「そういえば師匠の部屋の引き出しで、あたし見つけちゃったっすよ」
「……何を?」


 他の者に見られたら色々と不味そうなものは完全に廃棄していたので、特に問題はないはずだ。だがそれでも何か見逃したミスがあったのではないかと男としての危機感が募った。


「あたしの羽根、ペンにしてたじゃないっすか」
「……あー、はいはい。そうだね」
「あれを見つけた時はちょっと目がじわっとしたっすよ!! 師匠~~~って!!」


 どうやら大分前にせっかく貰ったから一応と思い作っていたハンナ産の羽根ペンについての話だったようで、努は内心ホッとした。


「正直、あれがあったからあたしは師匠を信じられたってところもあったっすからね~。まぁ、そんなにゅあんす的なことをリーレイアに言ったらすごい詰められて何も言えなくなったっすけど! ならツトムが犯罪を起こしてもお前は情に任せて許すのか~って」
「リーレイアとハンナって、人間的にいえば水と油みたいなもんだしね。物の見方が違うのも無理はないんじゃない。それに正直、僕もリーレイアの言いたいことは理解できるし」
「うーん、人間って難しいっすねー」


 そんなことを喋りながら努たちは伝票を手に個室を後にして、会計するために受付へと向かった。その途中でハンナはしたり顔で振り返った。


「今日はあたしの奢りっすね!」
「ご馳走様。助かるよ」
「ん~、もう一声欲しいっすね~」
「ハンナは髪長めでも整えたら結構似合うだろうし、明日切る時に少し試してみたら?」
「えっ、え~? そうっすかね~?」


 そもそもお前に結構な資産渡してあるだろ、なんて小言を口にしそうにはなったが、今のところ自分は無一文なので軽くお世辞を言っておくと、ハンナは青髪を指先でくるくるとさせながら冗談っぽく身体をくねらせていた。

 そして満更でもなさそうな顔をしながら彼女は腰から提げていた布袋を開き、会計を済ませようとした。だがいざ金貨を取り出そうとしたところで突然動きを止めた。


「あっ……。師匠……お金、足りないっぽいっす」
「…………」
「……あー。そういえば迷宮都市に帰ってきた時、おじいちゃんのお弟子さんに修行終わりのお祝いでお金渡してたっす。なるほど、道理でないはずっす」
「……それじゃあギルドで下ろしてきなよ。僕が残ってるから」
「も、申し訳ないっす……」
「明日坊主にしてきてね」
「えぇ!?」
「冗談だよ、早く行ってきてくれ。皿洗いでどうにかなるような場所でもないし」
「すぐ戻るっす!」


 ギョッとしたハンナを急かしてお金を下ろしに向かわせた努は、彼女がいなくなった後に一つため息をついた後、何となく気まずそうな店員と踊り食いについて語り合って時間を潰した。

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