第426話 冷えピタスライム

 

「ぐぅぅぅ……」


 努が朝早くに起きてきたガルムに拘束を解いてもらいオーリから準備資金を貰っていた時、リーレイアはゾンビのような呻き声を上げながら這いずるように起きてきた。そして幽鬼のようにふらつきながら努に語りかける。


「……外に出るようなら、精霊契約、してもらいます」
「はいはい。ならウンディーネで頼むよ」
「ビャッ!?」


 そんな努の言葉を聞く前から付いていく気満々だったサラマンダーは口をあんぐりと開けて抗議していたが、炎の魔石を詰めて黙らせた。その様子を見ていた朝食中のガルムは食事の手を止めて口を挟む。


「私も付いていくから心配はない」
「普段ならば信用するところですが、ツトムのこととなるとガルムは怪しい。ゼノの方がいいのでは?」
「……まぁ、私はそれでも構わないが」
「取り敢えずクランメンバーたちには先に挨拶しておきたいから、ハンナにも護衛として付いてきてほしいかな」


 ちらりと様子を窺ってきたガルムに構わず努がそう言うと、彼は渋々とした顔のままバターのしみ込んだ焼き立ての食パンを二口かじるだけで無きものにした。


「わかったっすよー」
「…………」


 それにリーレイアも努から指名されなかったことが気に食わなかったのか、フォークが食器に当たって音がなるくらいの強さで目玉焼きを突き刺していた。


(何を言ってるかはもはや関係なくて、僕が存在してるだけで苛立ってる感じだな。怖い怖い)


 その後もギリギリと音を立てながら目玉焼きをバラバラにする行儀の悪い真似をしている彼女を見て、努はそう思いながらコップに残っていた水を飲み干した。そんなリーレイアを見て可笑しそうに笑っていたハンナはその後徹底的に口で詰められてすぐさま半泣きになっていたので、とんでもない暴君が生まれてしまったなと軽く戦慄した。


「精霊契約――ウンディーネ。もしこのまま逃げようとしたらすぐさま拘束しますので、お忘れなきよう」
「わかってるよ」
「……ここまで朝から最悪な気分なのは随分と久しぶりです。……貴方は何故平気そうなのかが不思議でなりません」


 精神を消耗した末の寝不足も重なったせいか、リーレイアは目をしょぼつかせながら今にも吐きそうな顔で悪態をつく。そんな彼女を見て努は指先で頭でも叩いて煽ってやろうかとも思ったが、いつもと違い本気で殴り掛かってきそうだったので止めておいた。

 そして努はウンディーネの監視下で外出を許可されることとなり、リーレイアはグロッキーな様子で青ポーションを飲みながら彼を見送った。その後クランハウスに訪れたゼノに事情を説明し、努は彼とハンナを引き連れてフードを深く被って外に出た。


「♪」
(首に冷えピタでも巻き付けてるみたいだな)


 努が着ていた服には丁度良い大きさのポケットがなかったため、ウンディーネは首へマフラーのように巻き付く形で落ち着いている。今は少し夏が近づいてきたといった気温なので、ひんやりしたスライムの感触は心地良い。

 それにヒーラーからすると嬉しいMND上昇もあるのでウンディーネとの精霊契約が最も多く、努は今回も彼女を選んでいた。ただ昨日神台を見た限りでは白魔導士の立ち回りの幅も広がっていたようなので、ウンディーネ一強の時代も終わりを迎えるかもしれない。


(なんか、各ジョブのスキル構成まで変わってる感じするしなー。とはいっても転職できるようになったわけでもなさそうだし、その辺りの仕様についてはピコさんから貰った方が早いか。……攻略情報まで教えてもらうのは、一考の余地があるけど)


 見たところ既に159階層までの攻略情報は出揃っているので、それを活用すれば無限の輪の一軍に追いつくまでの時間を短縮できるだろう。それにそもそも最効率を目指すのなら既に攻略済みのガルムたちとPTを組んでもらいさくっと到達階層を上げてもらう、俗にいうキャリーをしてもらった方がいいだろう。

 ただキャリーだけをしてもらってもその者の実力が伴わなければ最前線からはすぐに落ちてしまうのだが、努はそうならないために現実に帰った後もヒーラーの勘を鈍らせないよう努力してきた。人口が最も多い役割分担のあるゲームを選択し、二年かけて世界に通用するようなヒーラーにまで登り詰めたのもいずれこちらの世界に帰ってきた時に足手纏いにならないためだ。

 なのでもしガルムたちにキャリーされても努はその経験を活かして最前線に何とか食らいつきながら再びこの世界のヒーラーとして適用し、一番台へと這い上がっていく自信はあった。


「誰が一番怖そうっすかねー? やっぱりディニエルっすか?」
「……ディニエル君はそもそも見た目に反して生きてきた年数が違うからね。とはいえアーミラ君も周りに諭されてからは一定の理解を示したように思える。やはり、ダリル君が不安ではあるよ。あの孤児団体も、あまり良い噂は聞かないからね」
「いやー、でもディニエルとか、出会い頭に一発撃ってきそうじゃないっすか? エルフの恨みは怖そうっすよ。師匠はどう思うっすか?」


 だが、それは自分がいない間に無限の輪が落ち目になっていたことを想定した時の話だ。確かに現状では一番台から三番台のトップ争いにこそ食い込めていないものの、無限の輪は後追いからの強烈な突き上げを抑えて五番台をキープしている。それはひとえに無限の輪に残っていたクランメンバーたちが一丸となっていて頑張っていた証拠であり、前から呑気なことを尋ねてきたハンナも例外ではない。そうでなければ金色の調べのようになっていてもおかしくはなかっただろう。


「師匠?」
(それなのに今更帰ってきた僕のキャリーで番台を落とさせるのは申し訳なさすぎる。まだ見た感じ詳しくはわからないけど、みんな最善は尽くしてるように見える。それなら今の情勢に詳しくなった後の僕が立ち回りについて助言するだけで、上位に食い込める可能性はあるしな)


 昨日見たところでは無限の輪がアルドレットクロウと紅魔団にそこまで引けを取っているとも思えなかったので、何か一工夫あれば一番台に躍り出ることも夢ではない。そのためにもまずは自分が今の神のダンジョンを取り巻く環境を良く知らねばならない。


「しーしょーうー」
(……そういえば、今の僕って復帰勢みたいな感じなんだよな)


『ライブダンジョン!』でも大型アプデが来たことを切っ掛けに戻ってくる復帰勢は多く見受けられたが、その中でまた以前のようなログイン頻度を取り戻す者は少ない。努も復帰してきたフレンドに今の環境を教えてアイテムや装備集めに付き合ったことは幾度としてあったが、それが報われたのは一度だけだった。


「…………」
(まぁ、僕に限ってないとは思うけど。んー、でも実際引退したのはこれが初めてだしな。今は復帰し立てで脳内麻薬がばんばん出てるような状態だけど、これがなくなったら僕も同じようになるかもしれないし、少しは気を引き締めないと)


 初めこそ復帰してログイン頻度が高く様々な情報を貪るように聞いてきた人が、日にちが経つにつれ姿を見せなくなってきた時の何ともいえない虚しさは今でも覚えているので、そんな復帰勢の二の舞にはならないよう自戒するように努は背筋を伸ばした。


「……で、何だっけ?」
「…………」
「あー、取り敢えず初めはダリル、アーミラ、ディニエルの順番で挨拶しに行くよ。神台で広く知らせるより前に直接話しておかないとややこしいことになりそうだしね」
「……え? ……確か師匠って、百階層のまま止まってるっすよね。ならいったいどうやって神台に映るつもりっすか~?」


 先ほどからの仕返しのつもりでハンナは努を無視していたが、話の内容に突っ込みどころを見つけた途端に意地の悪そうな声でそれを指摘してきた。大将打ち取ったり、とでも言わんばかりの彼女に努は首を傾げながらも返す。


「ガルムたちに五番台でツトムが復帰したよーって言わせればいいんじゃない? 十番台以内だったら今でも情報は拡散すると思うけど」
「……いや、それじゃあきっとみんなは信じないっすよ! 師匠が直接言わないと!」
「うん。だからそれを信じてもらうためにもダリルたちには直接挨拶しにいくんだよ。他の人にはそこまで信じてもらう必要もないしね」
「…………」
(何で普通の意見を返してるだけなのにこうなるんだろう。慢心、環境の違いでは済まされなさそうな馬鹿さ加減だけど)


 勝手に首を取ったかのように突っ込んできて自滅しただけなのに、何故か責めるようなジト目で見上げてくるハンナを前に努は素直にそう思った。だがそんな彼女も今日は護衛として役立つかもしれないので、取り敢えず慰めるような顔で頷いておいた。

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