第481話 紅白孤高階層

 

 それから数日後にはユニスを含むPTメンバーたちは134階層まで難なく辿り着き、135階層へと潜れる環境が整っていた。そんな中で休日を二日挟んでの当日。


「……この様子じゃ、助太刀する必要はなかったかな?」


 もはやお祭り騒ぎ状態になっているギルド内を一望したルークは、余計なお世話だったかなと額を掻く。一部の探索者しか知らないような努とアルドレット工房の対立が、この数日で迷宮マニアに取り上げられるほどのイベントにまで膨れ上がるとは想像していなかったからだ。


「いや、普通にありがたいですよ。他にも声掛けしてくれたみたいですし」
「知り合いの大半は既にツトム君が交渉してたみたいだし、大したことはしてないよ」


 そんなルークと実は内心そこまで変わらない努は澄ました顔で礼を言いながらも、完全に対立している様子の探索者たちを興味深そうに眺める。まるで紅白合戦かのように腕章で色分けされている探索者たちが険悪な雰囲気であることは、努が仕組んだことではない。


「何かトラブルでもありました?」
「実力もないのに刻印装備頼りで恥ずかしくないのかって主張してる深淵階層ベテランの方々と、天空階層に這い上がるためならツトムの足でも舐める変態たちの争いだよ。実に醜いね」
「お宅のアルドレット工房が圧力さえかけてこなければ、こんな醜い争いは起きなかったんですけどね」
「全責任を持ってしゃぶるので許して下さい」
「……レオンさんも、協力ありがとうございます」


 相変わらずな下ネタおじさんの後ろで珍しく女性も引き連れずに一人でいたレオンは、伸びきった金の前髪を払いまだ小さな火は灯っているような目を一心に合わせてきた。


「……金色の調べとしては、刻印装備で探索が楽になるならそれに越したことはねぇからな。だけどよ、こんな大騒ぎになっちまって懐は大丈夫なのか?」
「流石にここまで大規模になるのは自分も予想外でしたけど、一応在庫の範囲内ですね。それに自前の装備に刻印する場合は刻印油の費用は探索者持ちなので、手間はかかりますけど問題ないです」


 基本的にはレベル上げ時に今後の対策装備を中心で刻印していたので、深淵階層の刻印装備は掃いて捨ててもいいくらいには余っている。ギルド探索組のタンクに譲渡した刻印四つの装備は中々にレアなので全員に配ることはできないが、自分から協力関係を結んだPTに一つ提供できるくらいは持ち合わせている。


「しかしここまでお祭り騒ぎになるとはな」
「アルドレット工房も対抗して報酬を吊り上げたみたいですしね。他人事の探索者からすればどっちについても美味しいだけですし、ギルドが乗っかってお祭りごとにしてくれたことも大きいですね。おかげで公式のイベントみたいになってますし」


 どちらかの陣営について135階層に潜るだけで深淵階層に特化した刻印装備、もしくは半年に一度のボーナスくらいの金を頂ける。ギルドはそれをより際立てるためにどちらの陣営に付いているか判別するため赤と白の腕章を発行し、褒賞漏れがないよう人手を割いて管理してくれている。

 そして135階層の探索をお祭りごとに仕立て上げることで、孤高階層で引退していた探索者をごっそり連れ戻していた。この大騒ぎの元凶は元探索者たちの出稼ぎに戻ってきたことが大きいが、復帰を望む者も多いのか意外なことに装備か金を選ぶ比率は拮抗していた。


「ツトム君ならこれをおとりに裏をかいてくると思ったんだけどなー」
「確かに深夜帯狙って135階層空き巣するのも悪くはないですけどね。でもこっちはアルドレット工房みたいに奴隷扱いできる人員がいるわけじゃないので、物量真っ向勝負の方が確率的には良いPT組めると思うんです。まぁ、孤高階層で引退した探索者で135階層に潜る人そのものを増やすのはカミーユの機転ですけど」
「大剣ぶん回すような戦い方してんのに、昔から何かと気は利いてたもんな。気立てがいい奥さんというか」


 何ならちょっと羨ましそうな目まで向けてくるレオンに、努はとんでもないと首を振った。


「いや、これを気立てが良いで片付けるのはどうかと思いますけどね……。どちらかというと争いごとに上手いこと突っ込んで美味しいポジションをかっさらう、といった方が正しくないですか? おかげで僕もアルドレット工房も出血大サービス状態ですし、その割に探索者たちからすればギルド主催っぽく見えますし」


 努個人としては自身の安全のためならば今まで散々刻印してきた装備を全放出することも厭いはしないが、それを付き合いの長いカミーユはわかっていただろう。努なら出すという前提の下、彼女はそれが最も有効的に使える策と人員を提案してきた。

 実際カミーユの提案はメリットが大きかったし決して不快ではなかったが、これは気立てが良い奥さんで済ませられるほどささやかな案件でもない。その一方ではあのアルドレット工房とも交渉して莫大な金を引っ張り上げているからだ。

 自分はさぞかしアルドレット工房が食いつきやすい極上の餌だっただろう。そのおかげであちらも対抗して出さないわけにはいかない。それも単純な金だ。恐らく何らかの事情があって刻印装備の供給を渋っていることも、深海階層の件で彼女は理解していたのだろう。それを暗に示しつつも正当な交渉をして、ここまで探索者が集まるような金を引っ張ってきた。


「主催陣のツトムには特別仕様の腕章だ。ほら、腕を出して」
「……裏組織よりよっぽど裏組織してる人が来ましたね」


 後ろ暗いことなど何もないと言わんばかりの笑みを浮かべているカミーユは、努の手を取りながらはてと首を傾げた。


「あくまで正当な争いの場を提供したに過ぎないじゃないか。アルドレット工房からこそこそ裏組織をけしかけられるよりは良いだろう?」
「その裏組織っていうのも実際どうなんですかね。そもそもレベル100以上はないと探索者とは戦いにもなりませんし、かといってそれ以上あるなら裏組織になんて属さなくても自分で稼げますし」


 アルドレット工房にはオルファンの他にも後ろ暗い裏組織があるなんて言われているが、構成員のレベルはギルドよりも低い。それに迷宮都市において最も大きな利権は、神のダンジョンの出入りを管理するギルドに他ならない。そこを未だに押さえられていなくて尚且つ、低レベルな裏組織の時点でお察しである。


「確かに純粋な暴力については探索者に取り代わられてしまったが、女や薬を扱う金回りの良い奴らはしぶとく生き延びてはいる。だからこそオルファンもアルドレット工房の手中に収まっているんじゃないか?」
「普通に中堅探索者として活動してれば、金も女も手に入りそうなもんですけど」
「若いうちは邪道に走りたくなるものさ。大概は外道との区別がつかずに道を踏み外してしまうが」
「……妙な説得力がありますね」
「カミーユさんも昔はちゃんとした邪道でしたもんね。外道ではなく」


 元々探索者をする前は商人として各地を巡っていたルークは、昔を懐かしむような目でやけに密着して腕章を付けていたカミーユを見つめる。そんなルークに余計なことは言うなよと口元で人差し指を立てた彼女は、ご機嫌でも取るように腕章を付けた努の肩を揉む。


「王道の勝負に引き込んでしまえばアルドレット工房も外道な手は使いづらくなる。組織として大きな力を持つ分、あちらにも立場と責任があるからな。何でも出来るわけじゃない。それを補うための使い捨てが切られた時には警備団も動けるし、ギルドも連携して止められる」
「そうならないために邪道な手を使って135階層に潜る探索者を増やしたんですけどね」
「最悪の想定をするに越したことはない。とはいえツトムもツトムでバーベンベルク家にも協力を仰いでいたようだし、万が一もないと思うがね」
「……よく知ってますね?」


 親指でしっかり目に肩を揉んでくるカミーユに胡乱げな目を向けると、彼女はけらけらと笑った。


「口を開けば君を批判していたスミスの愚痴が突然止んだからな。実にわかりやすい」
「そうなるとアルドレット工房にもバレてそうですね」
「バレたところで問題あるまい。もし暴食竜が再び出てきたとしても、今度は完璧に防ぐだろう。中堅では相手にもならない」


 鉄砲玉のオルファンがクランハウスにリア凸してくることも考慮していた努は、バーベンベルク家の二人が迷宮都市を旅立つ前に謝辞と協力を願う手紙を送っていた。その手紙の返事自体はなかったものの、出立時にはクランハウスに障壁魔法が張り巡らされていてオーリたちも防犯専用の魔法が直々に施されていた。


「……それにしても、見た目はそこまで変わらないのに以前より大分逞しくなったな。線の細いツトムが好みだと思っていたが、これはこれでいいじゃないか」
「ルークと同じ気配がして気持ち悪いんで、いい加減離れてくれません?」
「まぁ、今回の件は利益の話ばかりで人情に欠けたところもあったからな。それに実際のところツトムの負担も大きくなっただろう? その埋め合わせとでも思ってくれ」
「……その辺りは判断が難しいところですけど、僕の臆病さを理解しての提案でしたしね。上手いこと乗せられた感じはありますけど、それで後からどうこう言うつもりはありませんよ。僕の中では採算合ってますし」


 努が褒賞として出す刻印装備のコストと、135階層でアルドレット工房側の探索者と当たる確率を減らすリターン。その採算が合っているかといえば、第三者から見た分には明らかな損と答える者がほとんどだろう。

 だが努はそもそも対人戦そのものが苦手なので、戦うを避けられるに越したことはない。その確率を1%でも上げられるのなら刻印装備を捨てるくらいは出来る。


「そうか。なら良かった」
「……あの、そろそろ人も集まりきったと思うので、135階層潜りたいんですけど?」
「あとな、この歳になると人と触れ合う機会自体が減るんだ。もう娘も独り立ちしてしまったし」
「僕をその機会に使うの止めてくれません? ほら、ルークでもいいんじゃないですか。鼻の下伸ばして歓迎してくれますよ」
「ツトム君? 無茶ぶり止めて? 恐れ多すぎて絶対無理です」


 そう進言されてカミーユに渋々な目を向けられたルークは、龍にでも一睨みされたような勢いで辞退した。


「はい。それじゃあこれから潜りますんで、同じタイミングで潜っていただければ大丈夫です」
「この人数の中でもし同じPTになったら、運命だと思わないか?」
「思わないです。それじゃあ、同じPTになった人はよろしくお願いしますね」


 それから一緒に潜る気満々なカミーユと共に集まっていた探索者たちに、代表の腕章を付けた努は軽い説明と挨拶を済ませた。


「……ガルムたちと組ませてくれないかなー」
「恐らくこの数だと無理だろう。だがそれはアルドレット工房とて同じことだ」
「オルファンとか、近めの人とさえ当たらなければそこまで殺る気もないだろうしね~。ゆるゆるっと突破も割と現実的でしょ」


 それから努はガルムとエイミーなどのクランメンバーに、地味に協してくれたルークやレオン、それに何十人もいるシルバービーストの人たちにも軽く挨拶回りした。


「それじゃ、行ってきて下さーい。僕も向かいますんで」


 そして努の号令と共に多くの探索者たちは続々と魔法陣から転移していき、その中間辺りを目処に努も135階層へと飛ばされていった。

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