第486話 刻印インフレ

 

 結局努の記事全回収の目処こそ立ちはしなかったが、この数日で中堅の探索者たちは栓でも抜けたかのように怒涛の階層更新を果たしていった。

 引退はしていても神台だけは見ていた者はその異様な熱に浮かされ、知り合いの伝手からゼノ工房を訪れて復帰し既に成果まで上げている。そしてその熱狂は完全に引退して新聞くらいでしか知り得ないような者たちにまで届き、埃を被っていた武具が日の目を浴びようとしていた。


(神スナイプも一度までか)


 あの記事で努は対人戦が弱点とまではいかなくとも嫌がることであることは周知されたので、アルドレット工房もそこを突こうとオルファンを駆使して躍起になっていた。しかしギルドが更なる増築を検討するほど多い復帰者たちは大抵が孤高階層から141階層までで止まっていたので、オルファンが努たちPTと時間帯を合わせて潜ろうがそもそもの母数が多すぎて狙い撃ちができない。

 そして孤高階層でつまずくような者もいなかった努たちPTは大量の復帰勢がいる間に深淵階層へと潜り、オルファンと当たることもなくするすると攻略していった。


「オルファンは確か143が最高到達階層だったから、ここを越えれば手出しはされないかな」
「143階層を突破するには黒鎌を凌がなきゃいけないんですけど……」


 初めこそ不気味に思っていた頭蓋骨がびっしりと敷き詰められている床。それも143階層まで辿り着く頃には慣れてしまい平気な顔でその上を歩いている努に、クロアは落ち着かなさそうに黄土色の尻尾を振り回しながら投げかけた。

 真っ黒なカマキリのような見た目をした黒鎌というモンスターは、143階層からランダムに出現する即死持ちの中ボスである。不意に現れたかと思えば数人の命、それもヒーラーとアタッカーを狙って刈り取り忽然と姿を消してしまう。

 その対策としてはお団子レイズでヒーラーに保険をかけつつ不意打ちを食らわないように五人で陣形を組んで進んでいくしかないが、当然他の雑魚敵もわんさか湧いてくる。

 地に足をつけていれば骸骨床からスケルトン・ジェネラルの軍隊が不意打ちを仕掛けてくるし、フライで飛べば空中においては全ての攻撃がクリティカル判定となる能力を持つボーンスパイダーにタンクですら切り刻まれる。

 そもそも黒鎌が出る以前から全体的にクリティカル判定の範囲拡大や威力増大を持つモンスターが多い。他にもヒーラーが食らえば致命的な暗黙状態を付与してくるレイスに、間違った手順で倒してしまうと即座に発狂状態まで陥ってしまう深淵のメーメなど、単純な強さの他にも厄介なモンスターまでいる。

 だからこそ深淵階層はアタッカーやヒーラーがそういったモンスターに対処できるようにするためにも、ベテランRTA走者のようなタンクが必須だ。全てのモンスターの動きに精通し攻撃を全て避け切るか、馬鹿みたいに広いクリティカル判定を貰わず受け切れるタンクがいなければ話にならない。

 だが刻印装備で対策すれば限界まで突き詰めたようなタンクの実力など不必要だ。刻印士のレベル50から覚える即死半減とクリティカルダメージの減少。それに加えて精霊の加護まであれば対策としては十分だ。

 精霊の加護は一定の確率でモンスターから受けるダメージを軽減するもので、即死に対しても有効だ。基本的にその三つの刻印があれば問題なく、四つ目はその人に合わせて発狂値減退、暗黙無効、VIT強化などから好みのものを付ければオルファンのタンクですら150階層まで渡り歩けるだろう。


「……あたしには意味ないんじゃないっすかね? どうせ当たったら死ぬっすけど」
「モンスターによってはそもそも攻撃するために殴っただけで即死、なんてこともあるからね。ハンナって深淵階層にそこまで精通してたっけ? レビモス、アングルマサ、深淵のメーメは知ってる?」
「はいはいあたしが悪かったっすよー馬鹿は黙って師匠の趣味に付き合うっすー」


 教会服を動きやすくカジュアルにしたような恰好をしていたハンナは、膨れっ面のまま視線を逸らしてストレス解消でもするように魔石を手で砕いた。


「……まぁ、この装備が一番仕入れやすいのですから仕方ないのです。それに刻印も含めたら現状では最高峰の装備だと思うのですよ」
「既製品のままだと流石に動きにくかったけど、ゼノ工房でリメイクしてくれたおかげで楽だしねー」
「私は暑苦しくてしょうがないのですが」


 139階層の宝箱からドロップする教会服はゼノ工房によって各々の体形に合わせつつ、近接戦をこなすエイミーやクロアは動きやすいようにばっさりと切られてリメイクされている。逆に動きの少ないユニスはより装備自体の能力を引き出すために地面につきそうなほど長いローブに、司祭のような宝冠まで被っていた。


「それにしても防具に刻印6はズルくないです? それに杖まで5だと、合計11なのです」
「今まで合計4刻印程度で攻略してたのが馬鹿すぎるだけじゃない? そりゃあ、アルドレットクロウの中でも才能ある人とか、ユニークスキルてんこ盛りの紅魔団しか上がれないわけだよ」
「……でも刻印6はハンナに装備させた方が良さげじゃないのです?」
「ハンナなら多少装備が劣ってても実力はあるし大丈夫でしょ?」
「ま、大丈夫っすね」
「ほら」
「馬鹿丸出しなのです……」
「ゆ、ユニス? 流石に冗談っすよ?」


 ユニスは宝冠から飛び出している狐耳を萎びさせながら、若干誇らしげにしているハンナにため息をつくばかりだった。そんな反応は流石に心外だったのか彼女はそう弁明していたが聞く耳を持たれていない。


「他の人たちの配信見る限り黒鎌にそこまで手こずってるわけでもなかったし、特に問題はなさそうかな。深淵階層の経験豊富なクロアもいるし」
「いやいや。……でも実際、そうなんでしょうね。以前に臨時でPTに入ったクランも昨日突破してたみたいですし、前の同期たちも色めきだってますよ。刻印装備さえあればって」
「知らない同期が増えて大変そうだね」


 宝くじが当たった途端に親戚が増えたような心境であろうクロアは、努の慰めに曖昧な笑みを返した。


「いくら刻印装備が強くても、孤高階層も越えられないような人が初見で深淵階層を突破できるとは思えないですけどね」
「でも刻印装備があれば孤高階層も突破しやすくはなるだろうし、その人たちが深淵階層に来るのも時間の問題かもね」
「……げんなりしそうです」
「その間に僕たちは天空階層のいいところまではいくだろうけど。結局は階層数自体が変わるだけで、その構造自体は変わらないと思うよ、昔は爛れ古龍を越えられない大手クランもいたみたいだし」
「やかましいのです」


 ハンナとあれこれ言い合いながら努の何気ない皮肉すら聞き逃さなかったユニスに、クロアは感慨深げに息をついた。


 ――▽▽――


「あいつ、こんな顔もできるんだな」


 当日はひっそりと腕章をつけて135階層のイベントに参加していたアーミラは、翌日の朝刊に出た努の一面記事を見て意外そうに呟いた。

 そんな彼女と同じく潜っていたダリルとしても、その意見には心底同意していた。どんな時でも冷静さを崩さない彼ならば、アルドレット工房とオルファンが敵に回ろうが何てことなさげに対処する。その結果自体はダリルの想像通りだった。

 実際に135階層以降でオルファンは努と戦うための場にすら立たせてもらえていない。他の中堅クランに追いつけ追い越せの勢いで階層更新をしている努たちPTに、刻印装備を導入できていないオルファンでは追いつけない。

 アルドレット工房にもゼノ工房には及ばずとも刻印装備自体はあるようだが、既にオルファンとの関係は切ったのか自分たちのクランに優先して供給し、深淵階層を攻略しようとしている。

 つまりもうアルドレット工房と努の格付けは済んだということだ。135階層でアルドレットクロウのリーダーであるロイドと交渉したこともあるのだろうが、アルドレット工房の方針は一転して努の後追いをする形となった。

 二重スパイの役割を果たしてくれたミルルのおかげで、オルファンは露骨なトカゲの尻尾切りにはされなかった。とはいえアルドレット工房からの支援も打ち切られて落ち目の時期に入ったことは確かで、一発逆転に賭けるような行動をする可能性は高い。

 そして恐らく努はそれすら加味して対策を講じているだろうし、今更自分が出張ったところで足手纏いにすら成り得るだろう。


(ツトムさんにこれ以上押し付けちゃいけない。僕が終わらせないと)


 しかし結果として努はアルドレット工房とオルファンすら退かせたが、その過程で彼がやりたくなかったであろうことを押し付けてしまった。過剰なほど取られている努とモイとの戦闘写真を見れば、それは誰でもわかることだ。

 今思い返せば無限の輪での模擬戦でも何処か一線を引いていたし、争いを好まない傾向はあった。それは彼の賢さ故かとダリルは思っていたが、それだけではなかった。

 それこそ神の子なのではないかと噂されるほどに努は完璧な存在だと思い込んでいた。下らない絵空事だ。彼だって一人の人間であるに決まっている。何年も同じクランに在籍していたのに、そんなことも理解していなかった。


「少しはマシな面になったみてぇだが、信用はできねぇな。本当にお前が止められんのか?」
「……それでも、ツトムさんに任せるわけには絶対にいかない。でももし僕がしくじったら、アーミラに任せることになるかもしれない」
「俺からすりゃ、ただの糞餓鬼共だしな。もしお前が止めてくれと泣き喚こうが代わりにぶった斬ってやるよ。全員残らずな」
「…………」


 最後こそ嫌な別れ方になってはしまったが、ダリルからすれば三年前から手塩をかけて育ててきた教え子たちであることに変わりはない。どれだけ追い詰めたところで最後の一手を情でしくじる可能性もあるだろう。

 無限の輪へ帰るためにわかりやすい手柄を立てるということもあるだろうが、それを見越して来てくれたであろうアーミラにダリルは感謝した。しかし彼女はあくまで保険だ。自分で決着をつけるに越したことはないし、任せるつもりもない。


「……そういえばそれ、ツトムさんが刻印してくれた武器だよね?」
「そうだけど」
「当日は他の武器にしてくれた方が助かるかも。何だかツトムさんに悪い気がする」
「別に関係ねぇだろ?」
「ツトムさんに嫌われたいならそのままでもいいだろうけど」
「…………」


 そんなダリルの言葉にアーミラは大剣を見つめた後、下らなそうに鼻を鳴らした。

 コメント
  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 9:01 AM

    ディニエルに関してはツトムにしたことよりも他のメンバーへの対応がちょっと…。

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 10:51 AM

    正直あそこら辺の話は不器用にすれ違いまくった結果としか
    努が話せればよかったんだろうけどまぁ無理だよねって感じ

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 11:16 AM

    物語の内容よりもそれを感じ取る個人の嗜好が強く作用してるからなぁ。この場合。
    なので平行線か水掛け論に終始する。

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 12:54 PM

    エイミーとツトムみたいに本人同士が和解してるのを赤の他人が責めるのは、感情移入と言うより叩ける標的をなじって気持ちよくなりたいだけだろ
    周囲に同意を求めてる時点で自分の行動を正当化したいんだろうなとしか感じない

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 1:05 PM

    同意求めてるコメントどれだ?
    てゆーか努はべつに許してないだろ
    謝罪は受けたししてくれたことは認めてるけど

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 1:23 PM

    一般的にそれは許したと言うんじゃないのか?(困惑
    そもそも本気で怒って許す気無いのミルルくらいだろ。

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 2:13 PM

    加害者はいつも勝手に許された気になるんだなぁ
    笑い話にできないくらい引きずってるのは許せてないんだわ…

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 2:21 PM

    なんか、白熱しているが、「そもそも論」で言うなら、極論すればいざこざの原因は、説明不足のまま100層に放り込んだ神だし、そう言う展開にした「神(作者様)」になりそうだな。
    とりあえず、その内、モヤっとしてる部分は描写される可能性あるし、ちょっと落ち着こうぜ?

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 2:22 PM

    あのさぁ…
    努が納得するかしないかとか当事者間の話で外野がとやかく言う話じゃないぞ
    つーかリアルでもいるよな、外野なのに当事者の気持ち勝手に代弁するの
    それ、くそのだいべんで、代弁じゃないから。おわかり?

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 2:25 PM

    特大ブーメラン送るわ

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 2:45 PM

    それで同意求めてるコメントってどれなんだよ

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 4:23 PM

    タンクのヘイト操作って
    誘惑する魔法の逆をやってる
    て解釈しています
    様は良い匂いで興奮する
    フェロモンの反応の
    逆の効果を与えて
    例えば三大欲求の無い
    モンスターでも敵意や
    警戒本能は存在するので
    ソレを刺激する魔法だと
    考察しています

  • ホンクルイビ より: 2021/09/27(月) 4:39 PM

    1年ぶりに読んで一気に読み切ってしまいました。とても面白かったです

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 5:23 PM

    まあ、人間の心理として。
    「してくれたことに感謝する」のと「謝罪は受け取り蒸し返さない」と「でも許さない」は、全て同時に同居するんだよね。
    人間て複雑だわ。

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 5:51 PM

    まぁ、ここまで来てコメント残している時点で、そこそこ以上のファンか、暇人(アンチ)かの二択だろうから、意見や感想、考察言うならともかく、少なくとも喧嘩ごしにならない程度には落ち着こうや?
    大半の人が、この作品を好きであるのは変わらんのだろうし。

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 7:11 PM

    喧嘩は良くないけどライブダンジョン内の話でクソほど盛り上がってる感想欄見てて楽しい
    お前らライブダンジョン大好きだな
    って書こうとしたらもう既に書かれてた

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 7:59 PM

    たまに書くと言い争いに参加してたやつと間違われるのなんでなんだ…
    それにしても、アーミラとダリルの組み合わせって個人的にピッチャーとキャッチャー的な関係が頭に思い浮かぶんだよな
    アーミラがぶちかました奴をダリルが盾でぶちかますみたいな

    あれ?

  • 匿名 より: 2021/09/27(月) 11:40 PM

    面白くて好き

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 2:38 AM

    俺の中でダリルは旬が過ぎた感覚だから居ても居なくてもどっちでもいいかな
    クロアとかアルドレが今後どうなるのか気になる

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 12:23 PM

    エイミーが叩かれにくいのって
    迷惑かけてるはかけてるけど
    根底は努のための行動だったことじゃない?
    ダリルは拗ねた挙げ句に迷惑にもなってる
    こう考えるとみんな努好きだよねほんと

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 12:57 PM

    そもそもソリッド社のせいだったり基本追い詰められる要因があるからなー
    全部共感出来るほどじゃないけどボロクソ言うようなもんじゃない、だいたいそんな感じ。

  • ましゅ より: 2021/09/28(火) 5:30 PM

    今話と関係無いし、あんまり感想見てる人いないと思うけど、ちょっと質問。
    精霊との親和性が、ツトムが作中でダントツみたいだけど、ユニークスキル持ちの人も良いんだよね?
    でもユニークスキル覚醒したコリナが精霊と仲良い描写が全く無いし、リーレイアがコリナでは試さず、ツトムで精霊契約試してる点から、帰還後の3年間でも精霊はコリナに対して特別なアクションを起こしてこなかったみたいだし、ツトムってユニークスキル持ちと比べても段違いに精霊に好かれるって事なのかな?
    ユニークスキル持ちと精霊の描写が無いからイマイチ分からない。

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 5:59 PM

    エイミーってよくある「主人公のために」で暴走してやらかして主人公をピンチに陥れるヒロイン枠だから、それを可愛い、一途、けなげで受け入れられる人なら好きになるんじゃね?
    という考察

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 6:05 PM

    なろうのライブダンジョン本編「精霊術士、リーレイア」より抜粋

    “”「ユニークスキルを持つ者は、精霊と非常に相性がいいのです。稀にそうでなくとも精霊と親和性がある者もいますが……サラマンダーがここまで人に懐くのは今まで見たことがありません」””

    とのことなので、ツトムはユニーク持ちと比べても殊更好かれると考えても良いかと

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 6:20 PM

    どっかにユニークは半段階だけどツトムは1段階ステータス上がるって見たような
     
    普通が半だったかもしれんけど

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 7:36 PM

    精霊の相性は努だからなのか、運営にらちられた時の余波なのかなんなのか
    努が微妙に迷惑そうにしてるのは後者だと思ってるからとか?

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 7:53 PM

    多分そうじゃないかな?精霊にとっては神の使徒的な扱いなんだと予想。4大とは抜群に相性のいいリーレイアも100階層以降の新精霊には契約に苦労してたから、精霊術師とかユニークとかとは別枠で好感度高まってるのかもしれんな。例えばゲーム時代の精霊術師アカウントの精霊好感度そのまま引き継いでるとか。どうせ努のことだからアイテムでカンストまでぶっこんでるだろうし

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 8:04 PM

    ユニークスキル持ちが一段階上昇、努は上昇とかじゃなくて好かれてる(精霊術士差し置いて)
    恐らくユニークスキル持ちであってもウンディーネの女嫌いシルフの男嫌いとかはあると思われ

  • ましゅ より: 2021/09/28(火) 8:04 PM

    あー、別枠ですか、なるほど。
    結構答えてくれる人がいてビックリ。
    ↑の親切な方々ありがとうございます。

  • 匿名 より: 2021/09/28(火) 8:30 PM

    他のヒロイン、ステファニーやユニスのアクが強すぎてエイミーは影が薄くなってるってのも叩かれにくい要因かなと

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