第491話 最先端ヒール
「……この子たち、治療院に運んでいいですか?」
「随分と手際がいいね」
努たちが話している間に素人が治してしまえば後遺症になりかねない重傷者を選別し、せめて痛みが和らぐように気休めのメディックをかけていたミルル。そんな彼女の提案に努は感心したように呟く。
「その治療院を経由して後日警備団から訴状でも届かなきゃいいけど」
「……そんなことはしません。この子たちのためにもなりませんから」
「どうだか」
確かにミルルは以前に比べると別人になっているのかもしれない。クランハウスに息も絶え絶えで訪ねてきた時は、ダリルを餌にして騙し討ちでもしてくるのかと思っていた。もしガルムがいなければ門前払いをしていただろう。
だが彼女の言う通りダリルは本当にアーミラと戦闘して満身創痍になっていた。そんな彼を見て他の孤児に目もくれず一目散に駆け抜けたところを見るに、本当に心配しての行動だったのだろう。それこそ今まで過去の負い目もあってか絶対に姿は見せなかった割に、クランハウスに直接顔を出すほどのリスクを背負うくらいにはダリルのことを想っているらしい。
「ヒール」
だがそれでも治療院から足がつく可能性は否定できないため、努は刻印が複数施された杖を取り出してリキの治療を始めようとした。そんな彼の行動にミルルは眉を顰める。
「……後遺症を残すつもりですか?」
「余計な恨みを買うつもりはないよ」
この世界から日本に帰った後、努は帰ってくること前提に知識を蓄えることができていた。その中でも彼がヒーラーとして必要不可欠であると考えたのは、現代で判明している人体構造を理解することだった。
神のダンジョン内ならばまだしも、外での回復スキルは必要ではあるが万能ではない。一人を完全に回復できるオーバーヒールを使おうが下手に治してしまえば後遺症が残ることもあるため、迷宮都市には専門の治療院が多数存在している。その前提があったからこそ、努も同じように治せるよう人体の知識と医療を独学で勉強していた。
確かに神のダンジョン内ならば一度死んでもらって蘇生すれば後遺症など関係なくなるが、回復スキルで済ませられるなら精神力もヘイトも抑えられるのでそれに越したことはない。元々現代の知識がある故に多少は人体について理解していたし実際にヒールで治す経験を重ねていくうちに治療技術は向上していたが、確固たる知識がついた今では回復スキルの使い方も変わった。
リキの切断されていた足を押し繋げて緑色の気で巻くようにして固定し、片腕も同様の処置を施す。その後重騎士の少年を猫でも持ち上げるように抱え上げ、粉砕骨折している腰骨を再構築するようにハイヒールをかける。
「立てる?」
「……えっと。……はい」
「ちょっと歩いてみて」
それから重騎士の少年を動かして違和感があるであろう場所に触れてヒールをかけていき、何度か調整を重ねた後に治療を終了した。その頃にはリキも既に繋がった手をぐーぱーさせて具合を確認できるぐらいには回復していた。
「大丈夫そうだね。他もついでに治してあげるよ。証拠隠滅したいし」
「そ、そうですか……」
少なくとも自分の伝手で行ける治療院でこんな手軽に重傷者を治療するところなどミルルは見たことも聞いたこともない。それから練習でもするかのように努はいくつか取れていたミーサの歯を元通りにし、腱を斬っていたモイを歩けるまでに回復させた。
「これで全員問題ないかな?」
「……あ、ありがとう、ございます」
「いいよ。治すのは気が楽でいいし。良いことをしてる感が存分に感じられるからね」
実際に休日にはボランティアで治療して回る上位の白魔導士もいるらしい。それは治療院からすればダンピングに他ならないので基本的に禁止されてはいるが、迷宮都市外ならばそこまで糾弾もされない。
特にスタンピードの遠征時などは絶好の機会だ。迷宮都市では百番台に掠りもしない白魔導士だろうが、少し精神力を消費するだけで命でも救われたかのように感謝される環境。その甘美な感謝のオンパレードが忘れられず迷宮都市に戻らないヒーラーも中にはいる。
「それで? この後はどうするわけ? また襲撃されるのも面倒だし、いっそのこと警備団に自首でもしてくれると助かるんだけど」
「……何の被害も見られないこの状況で自首をしても、この子たちにそこまで厳しい罰則は与えられないかと」
「ま、どっちが上かはもう理解しただろうし、いいんじゃねーの? なぁ? ツトムがここまで治療できんならまた半殺しにしても問題ねぇしよ」
煙草をふかしているアーミラに声をかけられるや否や舎弟のように震えだすリキたち。努からすれば常識的ではないにせよ、暴力は人に言うことをきかせるための凶悪なツールであることに変わりはない。だからこそ現代では禁止されているといってもいい。
「暴力で脅すのは結構だけど、跳ね返ってくることも考えろよ」
「おいおい、俺がこいつらに負けるってか?」
「復讐するつもりなら別にアーミラだけを狙う必要はないしね。オーリさんとか狙われたらどうするの?」
「……それはつまり、あれだ。俺が欲しいってわけか? 無限の輪に?」
「ユニークスキル持ちは誰でも欲しいでしょ」
「ほーん」
肯定的ではあるがどうも曖昧な努の返事に、アーミラは興味がなさそうな相槌と共に煙草を捨てて踏み消した。それから一度だけ彼の方を見たが期待した言葉は続かなかったので新たに煙草を手に取る。
「リキたちをこれからどうしていくつもり?」
「どうしていくって……探索者を、続けていくと思いますが」
まるで彼らの保護者にでも尋ねるように目を合わせてきた努に、ミルルはおずおずといった様子で答える。
「下手に引退されるよりはいいけど、組織としての清算は済ませてくれ。ただの孤児集団に成り下がられても困る」
「……そうですね」
既に有用な人材はアルドレットクロウやその他クランに引き抜かれているため、オルファンという組織は体を成していない。リキたちが心を入れ替えてこれからダリルが保護していた小さな孤児たちの面倒を見るとも思えないし、かといってここからオルファンを再建できるのか。
そのことについては今度ダリルと腰を据えて話し合うことになるだろう。それは彼もわかってはいるのか沈痛な顔をしているもののしっかりと頷いた。そんな彼を慰めるようにミルルが肩に手を添える。
それこそ狸寝入りでもしているのではないかと疑ってしまうほどの人の良さだ。とても裏から手を引いてオルファンをけしかけてきたとは思えないし、自分に対する敵意も感じられない。むしろ必死に遠ざかろうとしている節すらある。オルファン共々そうしてくれるのならこちらとしてもありがたい限りだ。
だがそんな希望的観測でようやく尻尾を出したミルルを逃がしていいのか。ここで見逃せばいずれ第二、第三のオルファンを引き連れてまた襲撃してくるのではないか。そんな疑念は拭えない。
(ダリルに聞いても真意はわからなそうだしな。毒蛇にでも見分けてもらう方が良さそう。今ならエイミーも当てにはなりそうだけど)
アスモとの契約をちらつかせれば大抵のことは聞いてくれそうな人物を思い浮かべながら、努は消すことも出来なければ迎合もできない嫌な立ち位置にいるミルルから視線を切った。
――▽▽――
(150階層主戦終わる頃にはぐっすり眠れるな。その前準備と攻略は骨が折れそうだけど)
オルファンとの決着も束の間に、努はゼノ工房で受注生産の刻印装備を夜なべで仕上げていた。そんな今の状況も中々に地獄だが、それでも輩を相手にするよりかはずっと気が楽だ。
それにスタンピード組が帰ってくる頃には刻印装備の生産も徐々に減らし、まともな睡眠時間を確保できるだろう。前に座って船を漕ぐように頭をかくつかせながらも刻印しているユニスを筆頭に、刻印士のレベル上げを血眼で行っている者は増え始めている。
今までは刻印油の大部分をアルドレット工房が買い占めてはいたが、ここまで刻印装備の価値が神台で広まってしまえばそれも難しくなる。そうなれば職人たちにも十分に刻印油が行き渡るようになるのでレベル上げには事欠かなくなるだろう。
(まぁ、需要が一番あるこの時期には絶対レベル追いつけないだろうけど。それにアルドレット工房もクラン内の装備を優先してるからか、刻印装備の生産量は大したことがない。その間に個人で利益総取りできるのは美味しいな)
そもそも刻印士のレベルは短期間で上げられるような設定がされていないため、基本的には毎日コツコツ刻印して上げるしかない。更にレベルが上がるほど要求される刻印装備と刻印油の質も高まっていくため、相当な金と労力をつぎ込まなければならない。
それこそ今もむにゃむにゃとした声で刻印刻印と呟いているユニスぐらいのやる気と、それを支えるゼノ工房の流通と経済基盤がなければ話にならない。それに加えて先駆者の努の知見である効率的な経験値上げも教え、一ヶ月以上かけてようやく四十レベル前後だ。
(ネトゲでドヤ顔するために修行僧みたいなレベル上げできる廃人ならまだしも、大抵の人は短期間でのレベル上げは精神的に耐えられないだろうしな。ユニスは生産職としての資質もあったし、ゼノ工房で頼りにされる環境も味方したっぽい)
努はダンジョン内やクランハウスで一人刻印を済ませてしまうことが多かったが、ユニスは暇さえあればゼノ工房に出勤して作業していたこともあってか従業員たちとの一体感があった。よく言えば絆、悪く言えばしがらみもあったせいか彼女の作業量はここ最近群を抜いている。普通は30レベル辺りから上がる速度が鈍化するにもかかわらず、むしろ上げていく勢いだった。
今では努とアルドレット工房の刻印士に一歩劣りはするものの、他の生産職たちより需要のある刻印装備を作れるレベルにはなっている。刻印士としてのユニスはそれこそ神台でいうところの三番台ぐらいの位置で、これから更に躍進していくことだろう。
(そのためにも最前線組が帰ってきた後でも神台で影響力を持てる位置には上げておきたい。天空階層でも刻印装備を作って売る時の宣伝にしたいし)
椅子に寄りかかってうたた寝をし始めたユニスに、睡眠不足で委縮している脳を治療するようにヒールをかける。それから三十分ほどすると彼女はハッと目を覚ましたが、寝起きにもかかわらず妙に冴え切った顔で刻印作業を再開した。
(階層主自体は苦労しなさそうだけど、150階層はそこまでの道中がしんどいパターンか。火力と盾不足が地味に効いてきそうだな)
仕入れた情報と神台での映像を照らし合わせて見る限り、150階層では長期の探索を強いられる。黒門同様に異様なほど真っ黒な蟻が住まう巣に潜り、最奥に住まう階層主を倒すためだ。
階層主である女王蟻を倒すこと自体はそこまで苦労しないものの、その女王から際限なく生み出される蟻たちがとても厄介である。
シンプルに150階層に見合う大きな体と力を持つ無尽蔵の兵隊蟻に、巣の中で栽培している呪茸を媒体に闇属性のスキルを放てる呪蟻。家畜化している回復虫を背負い傷付いた蟻に分け与える回復蟻。
恐らく150階層がモンスター側にもアタッカー、タンク、ヒーラーの役割がある軍隊を相手にする初めての機会だろう。それでいて巣の中に潜り辿り着くための探索能力も問われるため、普通のPTでは刻印装備で対策していても厳しい戦いを強いられる。
(地下だからフライと火力パナし制限されてるのもあるし、頼みのハンナが機能しずらい。エイミークロアを有効的に使いつつ全員で連携しないと厳しいだろうな)
鬼門である呪茸によるデバフを刻印装備で対策できるのは大きいが、それを加味してもヒーラー二枚のPT編成からして厳しい。せめてタンクかアタッカーがもう一人は欲しいところだ。進化ジョブで多少補えるとはいえ、このまま自分がアタッカーをするのも先を考えるとよろしくない。
「……刻印油もらってもいいのです?」
「いいよ。もう終わりにするし」
「ありがとです」
このまま生産職の方に比重を傾けていけばユニスはもっと成果を出せる。才能があるのは間違いなくこちらなのは傍から見れば明らかだ。ただ今でも自分と同じように短い睡眠時間になろうとも探索活動の時間を減らさない様子からして、探索者を止めるつもりはなさそうである。
(才能ないから止めろ、とも言えないのが難しいところだ。悪くはないんだよな、悪くは)
帝都のダンジョンで上位の神台に映れるPTのヒーラーとして生き残っていたこともあってか、使い物にならないというわけでもない。ユニスがヒーラーでも150階層は越えられるだろうし、その先も創意工夫で何とかなりはする。
しかしこのPTで継続的な一番台を狙えるかと言われれば、無理という結論になる。そもそもあくまで即席のPTなためいずれは解散する未来が確定している。そのことをクロアは理解しているだろうが、なし崩し的に入ったユニスがそれを本当にわかっているのかは疑問が残る。
「最近調子が良いのです!! 怪しそうな刻印でも三連続成功なのですよ!」
「おめ」
「略すんじゃねぇです」
「おめでーす」
「……もういいのです」
後遺症ヒールって、骨のくっつき方とかの話だろうし、タコにはあんま関係ないんじゃないかなぁ…