第500話 エイミー伝授のおてて

 

(駄目だこりゃ)


 149階層に転移し150階層に向かうための黒門を捜す道中で、ハンナは魔流の拳を暴発させて二度死んでいた。流石に正統継承者様なだけあってかある程度修正してきてはいるものの、本調子でないことは明らかだった。 


「…………」
「…………」
「150階層、初めはクロアが頑張らないと厳しそうだね。よろしく」
「……勿論ツトムさんも頑張るんですよね?」
「じゃなきゃ全滅だよ」


 そんなハンナの様子からして自分が何かやらかしたことに察しがついているのか、ユニスは犯罪者でも見るような、エイミーはやれやれといった目で見つめてきている。ただ昨日ユニスからハンナの純粋な好意を勘違いするなと散々釘を刺されていただけに、努からすればこの空気自体は悪くない。


「ハンナ、明らかに調子悪いですもんね。一体何があったんでしょうか。私には皆目見当もつきませんけど」
「150階層の中盤くらいには調子戻してくれるといいけどね。ハンナ前提だし」


 そういった視線を気持ちよさげに無視していると、クロアからも棒読みで圧をかけられた。それに消しカスでも投げられるように屑魔石が足下に転がり始めたので、努は口を噤んで探索に集中する体を取った。

 149階層には幾度となくPT合わせに使っていたため、探索自体はスムーズだった。準備運動とハンナの調子も兼ねて軽い戦闘を重ねつつ、黒門を捜していく。


「緊張してきました……」
「ねー」
「エイミーさんは絶対緊張してないですよね?」
「実際、一桁台に乗るのも久しぶりだし多少の緊張はあるよーん」
(緊張してる奴のやることじゃねぇ)


 まるで戦車に轢き殺されたのかと思うほど無残に転がっている黒い魔石を、二人は見向きもしていない。確かに150階層より密度が低いとはいえ、戦っているのが兵隊蟻《ソルジャーアント》の群れであることに変わりはない。

 それをこの速度で捌けるのはアタッカー4編成ということもあるが、その中でも前線を切り開くことを任されているクロアの活躍は大きい。エイミーとの連携も大分形になってきているし、段々とアタッカーとしての良識が外れてきてからは前衛的な立ち回りにも慣れて火力も向上した。


(それに比べてハンナは厳しそうだな。そういえば魔流の拳って翼を結構利用してるって聞いたことある気がするし、適当に触ったのは不味かったか)


 変な虫でも振り払うように青翼をばさつかせているハンナは見る影もない。普段より魔流の拳が暴発する頻度が明らかに高く、その失敗が重なる内に普段の冴え渡る動きも消極的になっていく。

 その原因としては魔石から吸収した魔力を循環させる場所として使われている翼の感覚が、どうも狂っているということが大きいようだった。少し立ち止まって瞑想してみたり翼をくしでブラッシングしてみたりなどして何とか調子を戻そうとしているが、未だに解決はしていない様子だ。


(まぁでも、ハンナが不調ってことがクロアにとってはプラスに働いてそうだな。味方のミスで肩の荷が下りるタイプっぽいし。しばらくはクロア中心で進めて気分を上げさせるのも手か)


 ハンナがここまでズタボロになっているおかげか、大台の150階層に挑むということで過緊張していたクロアはむしろいい感じに戦えている。もし仮にハンナが完璧に避けタンクをこなしていたとしたら、自分が足を引っ張るわけにはいかないとでも考えて突っ走っていたかもしれない。

 そう考えればハンナの不調もそこまで悪いものではない。なので自分の行いも何ら問題なかったと自己正当化しつつ、努はユニスと進化ジョブを切り替えるタイミングを合わせる最終確認を進めた。


「そんなに気になるならわたしがブラッシングしてあげよっか?」
「……よろしくお願いするっす」


 そして150階層の黒門を発見しその周辺で休憩しているところで、未だに背中へ手を回して翼をブラッシングしていたハンナを見かねたエイミーが声を掛けた。すると彼女は努を一睨みした後その提案に乗っかって、ユニスもそれを手伝った。

 努はそんな三人を横目に休憩がてら刻印をしていると、背負っていた大槌を地面に置いてすっきりした様子のクロアが隣に腰を下ろしてきた。


「……ツトムさん、ハンナの翼でも触ったんですか?」
「……まぁ確かに触ったんだけど、あいつが散々挑発してきた結果だからね」
「あー……なるほど」


 ハンナの様子から見てもそんなことだろうとは思っていたのか、タオルで垂れ耳をごしごしと拭いている彼女は少し納得したような顔で呟く。

 そもそもの話、いくら特徴的とはいえ他種族の部位を触るのは大抵が失礼な行為だ。努からすればコスプレのケモ耳のように見えるが、そういうわけではない。実際友人が耳を触ってこようとしたら努もやんわりと拒否するだろう。

 翼に関してもよくわからないが、人に置き換えてみれば突然背中に手を突っ込まれるようなものかもしれない。ただその辺りの価値観は種族ごとに違う。それこそ龍化時にだけ翼が生えるカミーユからすればあまり慣れない感覚らしく非常に敏感らしいが、腕に翼がある鳥人のララは筋肉でも自慢するように触らせてくれた。


「僕としては調子崩すまでのことかよって思っちゃうんだけど、クロアから見るとどうなの? 僕の方が非常識かな?」
「んーーー。翼に関しては鳥人の中でも結構個人差があるんですよねー。クロアの知り合いにも何人かいますけど、自慢してくる人もいれば折り畳んで隠す人もいますから」
「へー。翼隠す鳥人ってあんまり見たことないけど」
「探索者ならフライの制御とか立ち回りで多少役立ちますし、大体は出しっぱなしですよね。ただ中には翼の内側? だけ模様が違う人もいるらしくて、そういう人は特別な人にしか見せないために隠しますし、不用意に触らせませんね」
「ハンナは絶対違うでしょ」
「まぁそうでしょうけど、クロアからすると翼って髪に近い感じもしますからね。ほら、ツトムさんもちょっと嫌じゃないですか?」


 そう言ってクロアは座っている努の頭をポンポンと優しく叩いた後、黒髪をすくように指を通した。


「確かにそれはそうなんだよね。でも実際獣人見ると撫でくり回したいって気持ちが湧くこともあるし、難しいところだね。別に下等な動物扱いしてるわけじゃないんだけど」
「迷宮都市ではもうそういう文化ないですよね。まー、クロアもたまにユニスの尻尾もふもふしてますし、少しは気持ちわかりますよ。ハンナの翼の手入れもちょーっと気になりますし」
「なら行きなよ」
「でも人間の頭も若干気になってたんですよ。実は耳切り取った跡とか……綺麗なつむじしてますね? あっ、ちょっと神の眼向けようとしないで下さい! 炎上しますよ!?」


 つむじを指でつんつんしたところで努が神の眼に意識を向けたのをすぐに察知してか、クロアは慌てたように言いながら向きを変えようとした神の眼を留めた。


「これでも僕が炎上しそうなの息苦しいよ」
「ツトムの魔の手がクロアにも炸裂で見出しは決まりですね」
「実際のところはエイミー伝授ってだけだけどね」
「ほぉ……。エイミーさん伝授……」
「止めろマジで」


 それから明らかにクロアの目の色が変わったので、努は彼女の手を払ってつむじを押さえたまま離れた。

コメントを書く