第703話 あっちもこっちもギスギス
それから二週間経ち、180階層がお披露目されてから一ヶ月が経過した。ただ依然としてどのPTも180階層突破には至らず、その目途すら立っていない。
現状は最後の力を振り絞り暴れ回る赤兎馬を倒した後、その死体が空に捧げられることで降ってくる式神:流星が鬼門であった。そこまで辿り着いている無限の輪、アルドレットクロウ共に同じ状況で全滅している。
この二週間で赤兎馬の瞬間移動による射撃を何とか凌ぎ、反撃に出る余力を残すことが出来るようになった。だがその後に赤兎馬の死体を跡形もなく消し飛ばそうとしても、戦友の死体を辱めようとする輩は許さない四季将軍:天が死に物狂いで守ってくるため、それを行うのは至難の業である。
とはいえその葬儀が終わった後に降る式神:流星の群れはディニエルやハンナでも捌き切れない量と速さを持つため、それを凌ぐこともほぼ不可能である。
「これ、赤兎馬を先に倒しちゃ駄目かもね」
無限の輪の努が出した結論としては、赤兎馬を集中狙いで倒して戦況を有利に進めることを諦めることだった。複数体のモンスターに対しては一匹ずつ倒して数的有利を作るのがセオリーであるが、180階層においてそれは許されないと仮定した。
なら代わりに四季将軍:天を集中的に狙って倒せるかといえば、それもまた難しい。赤兎馬のみに各将軍を受け継がせれば人馬一体になってしまい、VITが低い者の頭を爆発させる咆哮を上げるようになる。
四季将軍:天に秋将軍だけを受け継がせても彩烈穫式天穹という鬼札は消えず、それでいて残りの将軍を受け継いだ赤兎馬がより暴れ回る。そのどちらを選ぶにしても今まで築き上げてきた立ち回りをほとんど捨てることになるだろう。
なので努PTは赤兎馬を倒さない状態のまま四季将軍:天を倒す、茨の道を進む羽目になっていた。とはいえそれはアルドレットクロウも同様であるため、180階層主戦の進捗は止まった。
「これはウルフォディア並みだなぁ?」
「でも刻印でどうにかならない分、より絶望感が凄いよ」
「つ、ちゅよい……」
自分たちが帝都に行っている間に大きな差をつけられていた元最前線組は、努たちが180階層で詰まっているのを見てこれ幸いと怒涛の階層更新を果たした。そして意気揚々と180階層に挑んだが、夏将軍:烈で躓くPTも多い始末だった。
アルドレットクロウの上位軍、シルバービースト、紅魔団も180階層ではまるで歯が立たなかった。そのことで探索者たちはまたウルフォディアの時にも似た停滞の時期を察し、180階層で出し抜いてやろうという気概もなくなり空気は弛緩していた。
「いずれは何処かのPT同士で共同戦線を組むこともあるでしょう。そうなると師弟で争っている場合ではなくなるかもしれませんわね」
なのでステファニーは腰を据えて180階層を攻略するため、共同戦線を匂わせ始めた。その言葉は神台を通じて迷宮都市全域に流れ、翌日には現状トップ争いをしているPT同士での連携が見込まれるかと朝刊で話題となった。
共同戦線。それは攻略に半年近くかかった160階層でも行われた、階層主の情報共有と訓練を兼ねた一時同盟に近いものである。
当時のように大手クランのPT同士が連携することで四季将軍:天の攻略はより進み、それを起点に他のPTも底上げされることで180階層の膠着状態を打開できるはず。そうステファニーは考えていたし、世論もまたその流れになるだろうと思っていた。
「へー。そんなのがあるんだ。でも神台見れば済む話じゃない?」
しかし努はガルムから話された共同戦線については懐疑的な意見を示し、実質的にステファニーPTからの匂わせをスルーしていた。
そもそもお互いに神台を見れば情報共有は可能であり、最近出た動画機によって180階層主戦は録画され再放送もされ始めている。それによって探索者たちは情報員や迷宮マニアからに頼らずとも、一次情報を自分で目にすることが可能になった。
『ライブダンジョン!』の時も最前線の者たち同士は互いを認識はしていたが、直接やり取りを交わすことは少なかった。それよりも互いの神台を見てどのような攻略しているかを勝手に眺め、なら自分たちはああしようこうしようと試行錯誤を重ねるのが一般的である。
「ツトム様がそのようなお考えであるなら、仕方がありませんわね」
そう言った彼を神台で見たステファニーの微笑が一瞬引き攣ったが、彼女は精神を統一するようにゆっくりと息を吐いた。桃色の縦ロールを弄る指先の力は強く、しなやかな髪が指の間で軋む。
「では、他のPTと組むまでですわ」
その言葉と共に彼女は他のPTと共同戦線を組むことに決め、早速マネージャーに交渉してくるよう伝えた。それに応えたのはゼノPTとアルドレットクロウの二軍であり、今後の動きに観衆たちは期待を寄せた。
そんな彼女の傍らにいるディニエルもまた、神台越しに映る努を見つめていた。だがその視線にあるのは値踏みでも期待でもなく、静かな怒りである。
努がクリスティアにお熱だと報道されていたことについては当然ディニエルの耳にも入っており、若いエルフである彼女からすれば面白い状況ではない。こんな有様で彼女は平穏に無限の輪へ帰れるのかと、迷宮マニアの間でも話題となっていた。
「若い芽を踏みつけるのは楽しい?」
「……誤解だ。若木が育つ邪魔などするわけがない」
「なら何故今も無限の輪と関わっている?」
迷宮制覇隊のクリスティアはわざわざアルドレットクロウを訪ねて若木に弁解したものの、ディニエルはけんもほろろといった態度であった。しかしクリスティアとて何も努に言い寄られるために無限の輪へ顔を出しているわけではない。
「レベルを上げるためだ。彼の持つレベル上げの刻印装備は、レベルが低くならざるを得ない迷宮制覇隊にとって有用だ。それに、これはディニエルへの当て付けのようなものだろう。それだけ気にかけられているとも言える」
「その割には年甲斐もなく嬉しそうだけど。貴女が笑ったところなんて聞いたことも見たこともなかった。ツトムに迫られてそんなに嬉しかった?」
「それもツトムとは関係のないまた別の話だ……。詳しくは無限の輪に帰ってから聞けばいい。枯れ木の諦めにも近い」
「どうだか」
それからせめてものお詫びということで、クリスティアはディニエルに弓の指南を行った。その最中でディニエルの稀有な才能を本心で褒め称えていたが、彼女からすれば言い訳のおべっかにしか聞こえなかった。
そのため二人の関係が氷解することはなく、淡々とした距離感を保ったまま訓練は終わった。
そんなアルドレットクロウのギスギス具合には、努から擦り寄ってくるなと言われたユニスもにっこりであった。ただその余裕も表面的なものである。彼女のPTは既に崩壊の一途を辿っており、状況は芳しくない。
「ユニス……いい加減他のPTに入ってよ」
「ネビアたちが復帰しないなら私も復帰しないのです。ま、私も丁度納品したかったから丁度いいのです」
無限の輪やアルドレットクロウと比較すると完全に実力不足であり、ユニスやソニアの足手纏いだと自覚した獣人たちはPTを一度解散させることを勧めていた。
そしてシルバービーストの元最前線たちも帰ってきてすぐに帝階層へと来たので、灰色の猫人であるネビアは身を引こうとした。だがユニスは彼女たちがPTから抜けるなら自分も180階層はしばらく攻略しないと宣言した。
シルバービーストも余程のことがない限りはクランメンバーに何かを強制させることはしない。それに彼女がその間に刻印士として活動してくれるのはクランとしてもメリットが大きいので、彼女の意見は尊重された。
「だから、私たちじゃ実力不足なんだって」
「だからこそここで実力をつけるのです。あのピンク頭が共同戦線なんてするくらいなのですから、その猶予はいくらかあるのです。最前線で牙を研げるまたとないチャンスなのです」
「そもそものポテンシャルが違う。神竜人に勝てるわけない」
「何で大剣士のアーミラと比べるのです? 比較するにしても同じ騎士のガルムにするのです。……まぁそれでも厳しい戦いにはなるですが、それを言うなら私だってツトムとステファニーに勝ってないのです。負け犬同士腹をくくるですよ」
「ユニスがそうやって意地を張るだけ、何も出来ない私たちは辱めを受けるんだけど?」
「神の眼の前であれだけイキり散らかしておいて、今更辱めも何もないのですよ」
今まで散々努に言い負かされてきたからか、ユニスは口論の耐性がついていた。それに業を煮やしたネビアは語気を荒げる。
「だからっ……! もう恥は重ねたくないんだって……!!」
「もうツトムに喧嘩売った割に弱っちくて恥ずかしい存在ではあるのです。それを払拭できるかは私たちの活躍次第なのです。このまま日陰で過ごすのですか?」
「そうだよっ! 私たちには過ぎた場所だったんだ! ユニスに付いていかなきゃ、あんな場所には行かなかった!」
「それじゃあ今度はちゃんと自分で日陰を選んで戻ることですね。私は無理強いしないのです」
そう言って話は終わりだと言わんばかりに刻印するために生地を削り始めたユニスに、ネビアはこのわからず屋がと睨み付けた後に出ていき、後の二人はおずおずと後に続く。
その傍らでユニス指導の下、薬師のレベル上げにポーションを調合していたソニアは、嗅ぎ慣れないハーブの匂いにバネのような尻尾をみょんみょんさせていた。
敵のHPみえんのか?