第535話 一旦アンチテーゼお試しで
天空階層主へと続く黒門を守る第九の守護者は、幻想的に揺らめく鱗粉で黒門を包み守っている。その姿は巨大な蝶々のようではあるが、触角はアンテナのように駆動し虹色の四枚羽を構成する輪郭は人工物のような精密さがあった。
そんな第九の守護者が悠々と近づいてくる様をオーロラでも見るように眺めていた努は、視聴者サービスで神の眼をカメラマンのように動かしているゼノを横目にスキルを唱える。
「フライ、アンチテーゼ」
ユニス作の何だか昔を思い出すような赤い×印の入ったローブの中心には、そのマークをかき消すように黒い歪みが浮かび上がっている。それに呪寄対策に回復と精神力系の刻印が施された、毒々しさすら感じる緑色の杖。
ユニスは経験値刻印の騒ぎが続いている中でも、努から依頼されたアンチテーゼの検証を粛々と続けていた。そしてどんな刻印構成であればアンチテーゼの効率が最も良くなるかを一人で黙々と検証し、その結論を彼に教えていた。
その情報を加味した努は呪寄のデバフ対策のために入れなければならない刻印を伝え、防具の刻印をそのままユニスに任せた。そして自身は深淵階層でドロップする緑杖に特定のステータス上昇と、体力、精神力共に自動回復速度を上げる刻印も施してデバフを打ち消していた。
更に最後の枠に回復力UPをねじ込んでユニスの出した刻印構成を達成し、現状の160階層用アンチテーゼ結論装備を完成させていた。一発ネタのような回復力全ぶっぱではない、細かな刻印で調整された装備。それは一見すると呪寄の対策だけをした汎用装備のように見えるが、ことアンチテーゼ運用においては類を見ない特化型装備だ。
「コンバットォ……クライ!」
「コンバットクライ!」
そして同時に銀と赤の闘気を放ったゼノとダリルの御大層な装備も、呪寄対策の施されたものだ。タンクに必須のVITは勿論だが、ゼノはMND、ダリルはSTRが下がらないよう調整されている。
そんな二人の闘気を空中で受けた蝶は花にでも止まるように身を屈めると、胴体の中心からその身を綺麗に割いて分離した。その内に血肉などはなく、金色に輝くスライムのような粘体が表面張力のように保たれている。
分離した後にその切断面を折り畳んだ第九の守護者の胴体から、つけすぎた接着剤のように粘体がはみ出る。それが固まり綿棒のような触角などに成形され、それらは2匹の蝶々となった。
「キングベーール!!」
「ディフェンシブ」
「プロテク、ヘイスト。クリアレンス」
その一方は七彩色に輝く羽を広げて光線を放ち、もう一方は鱗粉を刃物のように輝かせながら突進してくる。ゼノは魔法系、ダリルは物理系の蝶を少し離れた場所に引き付けてその攻撃を受け止めた。その間際で進化ジョブを解除した努が支援スキルを当て、更に白魔導士のレベル70から覚える五分間スキルの回復量が上がる呪文を唱えた。
第九の守護者の持つその美しい羽は物理、魔法共に強固な耐性を持っているが、それは左右で分かれている。一体の状態では羽で上手く対応されるばかりで苦戦を強いられるため、タンク二人で分離させるのが定石だ。
「龍化」
「エクスプロージョン、ボルテニックブラスト」
ゼノの方には大剣を構えたアーミラが向かい、ダリルの方にはソニアが後方から援護射撃した。努はうちわのように大きな耳を澄ませている彼女と同様に、ダリルの援護へと回る。
「ハイヒール」
毒々しい緑色の杖から放たれた回復スキルは、アンチテーゼの効果で反転し紫色の気となって発射された。オーソドックスな飛ばすスキルで放たれたハイヒールは鱗粉を鎧のように纏わせた蝶に着弾したが、さしたる変化は見られない。
(目に見える手応えないの、アタッカーとしては微妙だよな。ダメージが数字として見えるわけでもないし)
進化ジョブで攻撃スキルをぶん回してモンスターを一方的に叩き潰すのはアタッカー冥利に尽きるが、アンチテーゼでは外傷も与えられなければノックバックすらない。それこそ毒のような状態異常によるスリップダメージに近い。
「ヒール、ヒール、ヒール」
今回はウルフォディア戦に挑むための最終調整なので、努は撃つスキル、置くスキルなど様々な形態で回復スキルを当てて威力を実際にテストしていた。ユニスからある程度聞いて把握はしているものの、やはり自分でその実態を感じておかなければウルフォディア戦でやらかす可能性もある。
(タンク一人だとマジでキツかったからな。楽ちんでいいね)
それこそクロアがいた時のPTではタンクがハンナしかいなかったため第九の守護者を分離することが出来ず、物理攻撃耐性が異様に高い鱗粉を体中に纏われたままでの戦闘を強いられた。それに片側の羽はスキル系統の攻撃を反射するため、派手な魔流の拳も使えず攻略に苦労した。
結局努とユニスが進化ジョブでちびちびと削り、所々鱗粉が落ちた場所をエイミークロアが狙って何とかなったが、一度は撤退を強いられるほどに厄介な相手だった。だがそれもタンクが二人いればスキル反射持ちに鱗粉を付与されることがないため、ちょろいものだ。
(メディックの反転は地味に便利だな。130階層からぼちぼちスキル使うモンスターも増えたし)
メディックは味方の状態異常を回復するスキルだが、アンチテーゼによる反転で相手のバフを解除できるスキルとなる。第九の守護者も時折黄土色や青色の気を放って自身のVITやAGIを上げてくるため、メディックは痒い所に手が届く。
(メディスンとかヒーリングの使いどころが出来るのはちょっと楽しいね。進化ジョブない時はほぼ使わなかったし)
PTメンバー全員の状態異常を回復するメディスンに、状態異常回復とハイヒール程度の回復を兼ね備えたヒーリング。だがそれらは特定の状況下でなければ消費精神力が割に合わないため、滅多に使うことはなかったスキルだ。
他にも過剰回復になりやすいオーバーヒール、クリアレンス、エクスヒールなどもアンチテーゼ運用ならば選択肢の一つには入る。ユニスの検証曰くクリアレンスが最も回復効率が良いらしく、少し精神力を抑えて持続時間を短くするとコスパがいいらしい。
「エクスヒール!!」
(自己完結型つえー。三回目以降は状況見なきゃだけど、それまで適当に打てるのは強いよな。おかげでアンチテーゼ使えるとはいえ、まぁ厳しい)
聖騎士の進化ジョブでエクスヒールぶっぱしてヘイトを稼ぎつつ全体回復をかける戦法は、『ライブダンジョン!』でもテンプレになりそうな強さを誇る。回数に応じて進化条件が上がっていく制約こそあれ、三回目までは馬鹿でも出来る理不尽的強さだ。
ただ三回目からは自身の回復だけで解除の条件を満たせることは出来なくなるため、適当なエクスヒールでのリセットは出来なくなる。それにそもそも聖騎士は百レベルまでタンクを強制される分、ヒーラーとしての練度はどうしても低い。
そのため進化ジョブの解除条件を満たせずにヘイトを稼ぎすぎてモンスターに狙われて殺されるのは、今の聖騎士あるあるだ。それに一人で異常にヘイトを稼ぎすぎる分、聖騎士を蘇生してそのヘイトを受け持った者も大抵は死ぬまで付け狙われることとなる。
(実際、ヒーラーも上手い聖騎士2枚が結論にはなりそうだよな。ヘイト受け持っても解除条件満たしておけばタンクのステータスに戻れるんだし)
そんなヒーラー職オワコン説を考えながらもヒールを乱打していると、三分もしない内に第九の守護者が努の方へと身体を向きかけた。
「……タウントスイング! シールドバッシュ!」
(雑にやってるとヘイト取りすぎて死ぬなこれ。あとやっぱりユニスとはスキルの感覚も違う。あいつはレオンのために撃つ、置くスキルばっか使ってたから、多分飛ばすスキルだろうな。取り敢えずクリアレンスは序盤からかけなくてよさそう)
ただダリルがそれをいち早く察知して咄嗟にヘイトを取るスキルを連打し、くるくると巻かれたストローのような蝶の口元をぶん殴って逸らしたことで努への攻撃が発射されることはなかった。
もしあのストロー状の口吻に身体を刺されれば、ヒーラーのステータスならそこから体液を瞬く間に吸われてミイラと化してしまうだろう。その伸びた口吻を流れ矢のような目で観察しつつも、努はこれ以上ヘイトを稼がないよう攻撃の手を緩めた。
ただダリルとしてもそこまでヘイトを取られているとは思ってもいなかったのか、悪いねと手を挙げて謝った努に対して驚いたように目を見開いていた。
「……あれでそんなにヘイト取れるの? 凄くない?」
それは同じアタッカーであるソニアとしても同意見だったのか、驚いたように見上げてきた。
「後の支援スキル込みでも漏れないように計算してたんだけど、何かしらの威力が違ったみたいだね」
「アンチテーゼ、めっちゃ弱いって嘆いてたけど……あの兎」
「刻印装備がない環境では、実際そうだったと思うよ」
「……じゃあ、全部計算通りってこと?」
「もしそれが本当に出来るなら、こんなに嫌われてはなかっただろうね」
「……炎蛇」
「プロテク」
中堅の探索者や一部の者には好かれているものの、アルドレット工房や最前線組からは随分と煙たがられている様子な努の自虐に、ソニアは藪蛇をつついて出さないようにダリルの援護を再開してスルーした。
この評価をユニスに言葉にして伝えれば尻尾ブンブン振って喜ぶだろうになあ